(参考 生命の実相第37巻幸福篇上 谷口雅春著)
<二月三日>(その4)
【傲慢ということはかかる心持をいうのである。謙虚、へりくだりの心持は正直に事物をまともに見る心である。まちがっていたと気づいたら素直にあやまれる心である。放たねばならぬ物は素直に放つ心である。本来ありもせぬ栄えとか虚名とかを、あるかのごとく装おうとするから心が苦しむのである。隠しない心、正直の心は謙虚な心の一面である。
無邪気につき合える人というのはこういう謙虚な心持の人である。相手が警戒心をもって近づいてきて、どうも親しくなれないのは、こちらに隔て心があるからである。
隔てのない心、角のない心、仲のよい心、○(まる)い心。○(まる)はいっさいを包んでいる。隔てもなければ、角もない、実に実に仲のよい心が日の丸の心である。】