日本の中高と大学のある意味のダイコトミー | 近藤 智 Blog

日本の中高と大学のある意味のダイコトミー

中学高校ではある意味で東京出身地方出身を問わず例えば上野に上京する等々、放送大学で見る限りジョブ型人間が企業にとって好まれ時にはこの中高のみの大学を出ていない青春時代を謳歌したにせよしないにせよ、企業にとっては生意気ではない人材であろうし、大学出は一般教養と専門科目という難しいが入ってしまえば古今東西を問わず日本という国は特に戦後はこの大学という遊びの空間で文理を問わずまた大学に入るまでのレベルは高低の差は著しいが入ればとにかいやがおうでも例えば労働基準法なるものを学んでしまい、文科系のみでなく理科系も企業事情なるものを知ってしまいつまり頭が発達してしまい少し生意気になり更に日本人化されてしまい受験戦争をくぐったのはいいが悪くないし一生ものだが、メンバーシップ志向型にどうやらそういうシステムになっていて、放送大学では1990年代に著しく日本の大学生が企業への進学率が激しくなったのだそうです、つまり戦後日本においてこのような上記のシステムが定着してある時点まで上手くいっていたらしいのです、が最近は大学進学率が著しくなりもはやジョブ型の人間というかアメリカ的青春時代体験の時期の中高学生のような卒業生を企業が採用する機会かそのような生意気ではないようなある意味で上司に忠実な人材が採用しにくくなり、増大した法律を詰め込んだような大学生が著しく増大しておそらくそのような人材の就職が3年で辞めてしまうと私見ですがそう分析できるかなと思います。日本は昔50~60年代は上野上京グループも含めて何とかうまくシステムが稼働していたら篠ですが、現代は超有名大学等への甚だしい進学率により、アメリカ的青春時代とかジョブ型とかメンバーシップ型とかの育成どころか、あまりに大学生のレベル就職人数が増えていくら少子高齢化とは言っても就職組が圧倒的大学生ならもはや法律にうとい者は消え去り少し生意気な職人的ではない知的な者が著しく増大し、仕事そのものよりそ人材のレベルが問題であり、もはや辞めると言われてパワーハラスメントやセクシャルハラスメントがあっても在学中にもはやそのような情報既に刻まれていて頭にこびりついていて、採用側も理由がはっきり合法的な返答であるかh切りどうにも退職をストップできない現状でしょうか?