特異点の続き・・・テンプル大学のハンス・セリエ教授のストレス学説のストレスという言葉を交えて・・ | 近藤 智 Blog

特異点の続き・・・テンプル大学のハンス・セリエ教授のストレス学説のストレスという言葉を交えて・・

人間は生まれながらにして不平等です、この自然の不平等のままでは人間は満足できないし、自分よりレベルの高い或いは金持ちや力量のある人々を何とかやっとつけたいと思うことでしょう、それが人間ですむしろ、「世界にたった一つの花」は比べたがる人間の性格を克明にそのある意味の闘争心を癒そうと曲にして歌っています、この曲はこの曲でまっとうな真理です、ただ現実を見ると身近なところではつまり平均的な民主主義が定着した地方的でない都心的な人々はいや地方から都心に上京する人々と都心的な人々も含めて自分の特異点に満足せずに、受験戦争ではより良い大学へ、芸能では歌手や俳優を目指し、体育会系では野球選手やゴルファー等を目指したり様々に自己の生まれながらの特異点=器に満足せずにその特異点を解消すべく更なる器を超える=人生における人間に特殊な夢に向かい邁進しているようです、そして成功者もいるし失敗者もいる、前にも言った人間は不平等に生まれてきてはいますが、人間はそれをストレスと感じて解消しようとこころみるのが人間たるゆえんです、解消どころか器さえ超えようと無理をするでしょう、それが人間です、マクロ経済的には国家或いは政治家さん達はこの不平等を少なくとも平準化しようとマクロ的な経済的平等を目指して平均化という個々人の経済的特異点的不平等の解消を、例えばお金がない人々は「生活保護」というシステムや障碍者には「障害年金」というシステムで解消を法的に試みます。なぜなら国家関係の人々の役割は受験に勝った人々とある意味で定義するなら、かれらは受験戦争で優位に自己の優位な知的レベルを若いうちにその知的特異点を解消=大いに勉強して捨てれをタイプ=一国のスタンダードの見本なる存在であるからです、彼らはある意味で早期に自身の知的特異点を解消してその時点でのスタンダードな知識を櫃うのっ人々よりかなり早く理解して普通の受験やその他で悩んでいる人々をむしろ見下ろせる立場にいることでしょう、だからこそ自己でなく普通の人々のドングリの背比べの人々の或いは極端に悪い特異点の人々の解消を経済的システム日本の学者さんや政治家さん達がそうやって学んで日本にある意味で輸入してきたのでしょう、あまりに平準化したために、今ではスマホで自己実現というか自己の欲望をぶっつけて形に出来るような時代になってきたことは言えるでしょう、そこで懐古的にむしろ日本独自の古来からの特異点を今では探そうとテレビで盛んに食べ物、風習、伝統をやっているようにさえ思えます、勿論私の解釈のようにたんじゅんではありませんが。

さて放送大学である京都大学の教授が「人間は火を発見してから夜を征服したというか夜を人間の手でコントロールできるようになった」と言っていましたが、そこにストレス学説のストレスを使って解釈すると原始人は夜と朝があることは知っていたが夜の暗闇というストレスが偶然か必然が解からないがその夜という暗闇という特異点のストレッサーを解消すべく火を発見してよ夜と言う特異点を解消し今はエジソンやLEDライト等で夜も昼も平準化してあまり違いの無いサーカムスタンスにしてしまったとも言えよう、他の教授は「人間は科学と技術を手に入れて専門化して」とは自然の元々の統合的な自然を細分化して自然という器の特異点を解消するためにその解からない何故という=例えばガリレオかニュウトンでしたか林檎がなぜ落ちろかあたりまえの自然に科学者は何故か偶然か必然かその現象を特異点としてその解明に乗り出してしまったとも言えますよね、その林檎の落ちる現象を一旦専科した科学に落とし込んで物理学という専科で解釈して技術という手段でで統合してロケットまでに至ったともいえるでしょう。まずはここまで。なるべく統合的な綺麗な数式で解消してきたとか?