ちょっと抽象的ですが・・・理系的文系的特異点の比較? | 近藤 智 Blog

ちょっと抽象的ですが・・・理系的文系的特異点の比較?

おそらく僕は最近の書いた「相続・・」のブログが少しいや思った以上にアクセスがあったので、その勢いで心に浮かんだことをつれずれなるままに書いてみますと、少し哲学的ですが、最近結構見直されてきている抽象志向の情報もあいまって、今回は「70年代でしたっけ、数学者の広中平祐大先生が数学上の特異点の解消を群論でやってのけてフィールズ賞を取りましたよね!!」あれからもう40年近くも経とうとしているなかに、私は世の書物の中のプラトン的2元論=ダイコトミー的解釈もコンティニュア解釈もどっちも否定しないでむしろ趙悦論的な解釈である最近感じる私の書物もそんなに読まない人間が勝手にこの世の中のある仕組み自分の少ない64年間の経験の中で今回展開してみます。数学・物理は確かに特異点を解消したようになるべくきれいな数式でつまりそれは高度な数式は意外に、例えばアインシュタイン的に言えばE=MCスクエアのように短い簡単な数式で見事に現実の一部というよりほぼ基幹的な問題をつまり最も困難な基礎的な解決をやってのける、つまりその領域は専門学者でしかいや広中氏も含めてある意味で選ばれた天才しか発想・直観できない問題ではあります、ここからがいよいよ私の持論ですが、ではその一部の人たちのおかげでつまりその人たちが選ばれてガロア:神々の愛弟子人のような一般的にはお目にかかれない人々に支えられているのかもしれません、そこで私はこう考えるのです。小学校から受験目指して勉強とアフタースクールの2つを兼ねて生きている若者の人はいずれ就職・結婚をするという人生で最大にして最も波長の高いつまり勉強とそれ以外のバイトでもいい恋するでもいいそれらはアフタースクールと呼びましょう、その理系的部分と文系的というより感性的部分の一生に1度あるかないかに降りてくる文理の超越的統合のはざまのほんの一瞬の直感があなたの脳裏に、これが俺がやりたい職業と出会うことがありかもしれません、プロジェクトX新X等を見ていると学者や芸術家だけでなく所謂会社の経営者というより創業者等がよくテレビを賑わして素晴らしいいこんな人生って俺なんか下っ端でそれどころではないと思いますよね、確かにそうでしょう?、でも私は特異点的にみると、波長が短く直観の降り度合いの鋭い人とそうでない人は何処で別れるかなのですが、これは分かれるというより波長の長い物質的な人というか所謂さっきも言葉で「下っ端」の人というのは特異点ではないのでしょうか、つまり少なくとも広中氏は大学者で特異点を解消してしまった、でも現実世界は思ったよりももっと広く(故東京大学教授:清家新一氏の言葉)、むしろ感性世界は特異点がまず数学から無くなってしまってもその他の分野や現実では未だに特異点があまたたくさん解消されていない分野があると思えませんか?あくまで数学ではようやく困難な解消をしました、でも残された僕らはこれから特異点をほかの場所で探すか逆に作る創ることができないでしょうか?つまりあなたは会社の創業者でもなく社長でも部長でもない平かもしれません、つまり直観が職業が何となく今の従業員でいることがむしろ一般的ではないでしょうか?櫃の人ですよ所謂!!それはあなたはこう考えていでしょう、誰も雇わない一人社長も要るとは思います、でも普通従業員=直観がそれほど鋭く一生の間に降りてこないかもしれないが、でも何かを探している、職業でもいいし、遊びでもいい、酒を食らう、おいしい食べ物を食べたいという欲求だけでもい、我々は少なくともどこかの家族の構成員ですよね!これを組織、社会に拡大解釈して家族的にみれば役割分担的にも取れるし、確かにお金の差は顕著な差があるケースが現実的にも実存主義的にも多いですが  

、でもあなたはそこでthereで元気に仕事分担をあなた的に(ここがあなたの持つ出会った特異点と看做す)直観を要求されるというかあなたなりの生き方を周りの人との関係性で要求された経験ぐらいは、現代的にはKY「空気を読む}ことがありますよね、そのあなたなりの特異点がある以上それを、ここまでくるとSMAPさんの「世界にたったひとつの花」みたいですよね、ここで芸術界も同じようなことを言っていますよね。ぼくもテレビ等や現実等を見てきて生きたどり着いてまだ自分もその自分の持つ特異点があまり波長が高度ではないが所謂平凡な人間ですが、その自己実現=現実的特異点の解消のモナドにむけてある程度の「夢の途中」にあるのだと何だか感じる毎日です。特異点の解消とは私なりには、パソコンで言えば同じOSと機能もほとんど変わらないのに自然にカスタマズしていますよね、またマクドナルド仕事マニュアル方式だと、同じマニュアルを渡されても個性がでてきますよねおそらく、つまりあなたなりのやり方で、マニュアルという特異点を解消していませんか?逆の言い方もできます特異点が解消されたはずの仕事マニュアルをあなたは自分なりのやり方をつまり特異点を敢えて現実的には付与しようとしている、またYahoo出点などは最たるものですよね、誰でも方式さえ飲み込めれば誰からもうるさく言われなくても商品として売ってしまっている、特異点う¥が解消されたはずの出品マニュアルの自分なりに個性をつけて出品しても何しても余程のジャンク品でさえも出品してもいい、などなど。ここまでくる特異点=特異点の解消という哲学的にはグラマとろじてー的に根源の彼方という本が思い出されますね、読んだことは無いのですが、内容は昔は抽象的なものが尊ばれたのに現在は逆に物資的なより波長の低いものが尊ばれる、例えば100均などです、便利すぎますよあの値段であのクオリティ。シニフィアンの戯れとはつまり超越的な神の存在からもっと現実的ンの実存主義から更に「構造と力」等の執筆者の浅田昭教授さんの時代になxちてきたようです、簡単に言えば東京タワーを建てるよりは現代のスカイツリーの方が事故件数が少なくなったし、つまり地獄的直観を捻りだす昔より現在はあまりにも一般的に誰でもスマホをあなたなりにカスタマイズして持てば何処でも誰でも観光地買い物その他お客様でも社長でも同じホームの上に立っていますよね、特殊なスマホってありますかねみたいな、つまりさっきも言った特異点と特異点の解消が同じものだというちょっと哲学的な私の述懐ですし、神=人間のような、同じステージに立っている皆が今度はどう特異点を解消したマニュアルを自分なりに半ば芸術的に特異点付けるようなシニフィアンの戯れの時代に楽になる解釈と現実になりつつあります、むしろ他人から酷使される時代から、誰からも言われないなら自分なりに特異点を解消したり特異点を自分なりに作って誰でもやっていける次元にまで波長を低くするところまできてしまっているようです。