頑張れ受験生なのです!
今日ね、たまたま国語の受験対策プリントを見ていたのですよ。
作文対策の問題がギッシリギシでした。
公立の高校入試の問題、だと思われます。
ある中学校で、生徒会が中心となって校庭の花壇を整備し、「いこいの広場を」つくることになりました。
この広場にごみ箱を置くかどうか、生徒会の役員の間では次のAまたはBのどちらかの立場を選び、あなたの意見を書きなさい。
A:「ごみ箱を置くべきだ」
B:「ごみ箱を置くべきではない」
みたいな、問題があったわけ。
なんてゆっか、こういう問題形式は割と多いらしいのですのよ。
それはともかく、100字~150字程度、もしくは200字ちょっとしか許されていないのです。
だから、「賛成か反対か」の立場をわかりやすく取れて、
その立場のメリット・デメリットもわかりやすいものが用意されてあるけれど、
その中でいかに自分の意見を出すかっていうことが求められていると思っていたのね。
なんだけど、
突っかかったのはあたしだけなのかもしれないけど、ちょっと。
ある日の新聞の折り込み広告には、台所のことを「キッチン」、開店のことを「オープン」と、外来語を使って表現してありました。このように同じことを表すのに外来語を使って表現することについて、「賛成」、「反対」、「賛成でも反対でもない」のいずれかの立場に立って、あなたの意見を書きなさい。
段落構成は二段落構成とし、第一段落ではあなたの立場を明らかにし、第二段落ではその根拠を、外来語を使って表現した例をあげて書くこと。
なお、次の参考例を用いてもよい。
【参考例】
アドレス=住所 オフィス=事務所 トレーニング=練習
クリエーティブ=創造的 シンプル=簡単
なんかさー、なんかさー、「…どうでもよくなーい?」って感じしない?
だって、「賛成でも反対でもない」っていう立場がとれるって以上、出題側も ど う で も い い って思ってるってことじゃないの?
実際に、この題目でディベートなんか組まされたら、あたしきっと発言一切しないと思うんだけど。
こういう「賛成か反対か」の意見を問わせる問題とか、それこそディベート的なもんは、「どちらでもいい」ようなことの意見を求めるのが普通で、「どうでもいい」ようなことの意見を求めるのは、問題の質が悪いんじゃないの?
わかる?この違い?
とかって思うのは、間違っているの?
それとも、この問題を出した県は、世の中にはどうでもいいことがいっぱいあって、そのどうでもいことに時間を割いて悩まなければいけないこともいっぱいあって、どうでもいいことについての意見なんてクソみたいなのに、それをもっともらしく書くことの馬鹿馬鹿しさを、高校入試で、
有難いことに、 高 校 入 試 問 題 で 、暗に教えてくれてるわけ?
で、日本語をわざわざ外来語を使って表現することに「反対」した人の意見には、きっと『日本語の大事さ』とか『日本語を守るべき』とか、そういうのも含まれてくると思うんだけど。
明らかに本人の意見じゃなくて、人が気にいるような正解しか書けないと思うんだけど。
「賛成」はなんだ、外来語のほうが新しく大々的で、すっきりとした印象がある、とかって言うのか?
そもそも、この作文を書くにあたって、外来語表現は使っちゃいけないってこと?
(元々好ましくないと思うけれども、それでも表現の幅を狭めているんじゃないのかしら)
それとも、貧弱なあたしが思いつかないだけで、
「その立場を取った、わかりやすい理由」っていうのが忍ばせてあるのか。
それともそれとも、あたしの思い込みが間違っていて、「どうでもいいことを論じさせる」「どうでもいいことから、それっぽさを出す」っていうのが狙いなのかしら。
あー、そうなのかも。
それだったら、悪いことした。
確かにそういう理由もアリだと思うけど。
犀川先生は、「役に立たないことこそ楽しい」って言ってたけど、これがそうなのかしら。
あたしが、実生活では役に立たない数学に喜びを見出していることと、通じているのかしら。
でも、少なくともあたしは、この問題にセンスの欠片も見出せなかったよ。
「どこの県の問題じゃ!」と思ったら、いまいちマイナーな県だった。
今時の若者に、「どの辺にあると思う?」って聞いても、13%しか答えられなそうな県だった。
やり切れぬ怒りのあまり、「だからオマエはマイナーなままなんだよ!」って言ってやった。
◎◎県の人、ごめんなさい、反省してますしてません。