Aloha!
昨夜は久しぶりにココに来ました。
ハードロックカフェ、ですね。友達がココで初ライブだったので応援のつもりで行って来ました。
今日もギター談義です。いや、ギタリスト談義かな?
ギタリストでありたい方、実は世代を超えてたくさんいらっしゃいますよね。最近ジブンがアメーバのアプリを開くと表示されるレコメンデーションがだいたい以下の通り。
エレキギター愛好家のブログ
BABYMETAL関連のブログ
なんとなく日常を語る系ブログ
中でもやはりエレキギター愛好家のブログってひところよりは確実に増えている気がします。
まぁ上記3つがレコメンドされて来るのはジブンの書いている事と被るのでソレはわかるんですけど、それでもやっぱりギター関連となると特段『違うんだよなぁ』と思うのがギター愛好家界隈のブログを読むときなんですよね。
エレキギターっていうのはいろいろな楽しみ方があるものなので、その楽しみ方に於いてひと言で『こうだ』と言い切る事は出来ません。ですけど、大きく分けるとこんな感じになります。
エレキギターを集めるのが好き
エレキギターをイジるのが好き
エレキギターで物真似するのが好き
僕も昔はエレキギターをたくさん買ったし、それこそホントに家にはギター専用の8畳ある部屋があったほどです。ただ、僕が当時エレキギターをたくさん集めていたのは僕の生活としてある種の極めグセがあった事と、いろいろなギターを所有して弾くという『実体験』をもとにサムシングを得たかったという想いが漠然とあったから、なんですよね。
僕自身が転機を迎えてギターをたくさん持つ事に意味が無くなったので当時所有していたものは90%以上手放したわけですが、僕はエレキギターを改造するのが好きじゃないタイプなのでおそらく手放したギター群はコレクターの人には喜ばれたでしょうね。
ステッカーとか貼ったり缶スプレーで変な色を塗ったり塗装面をわざと汚して古びた風に見せ掛けるのとかは楽器、音楽を冒涜するアホのすることだとすら思ってましたからね(笑)
同様にギタリストとは口が裂けても言えないような方がギタリストを自称されているとか、ギターを手にして何十年も経つのにやっている事、やれる事が結局は誰かの物真似だけっていう方も結構いらっしゃって、例えばジミヘンの曲を弾かせればジミヘンっぽく、ジョンフルシアンテの曲を弾かせたらジョンっぽく弾けて、っていう方が『そんなオリジナリティある奴居る?』とかおっしゃっているのを見てズッコケて椅子から落ちそうになった事もあります。
ギターヒーローだとかロックスターみたいな存在って、オリジナリティが絶対に必要だと僕なんかは考えるんですが、日本のギター愛好家はそうではないんですよね。エレキギターを弾くっていうのは誰かの真似をする事で、上達するためには『真似るは学ぶ』と頑なに信じ込んでいる。
そんなのナンセンスだと思ってしまう僕なので、エレキギターを手にして何十年もの間崇拝するギターヒーローの物真似に精を出して、同じ機材を揃えたり同じ(に見える)ギターを買ったり同じ手癖を弾いたりするのがギタリストだ、みたいな勘違いをされている人が居られると若干イラッとしてしまったりするわけですよ。
そんな僕ですから、ぶっちゃけアメブロでブログを書いてる方のトピックとして出て来る様々な記事内容が歯がゆいというかもどかしいというかなんとも言えない気持ちになったりするわけです。
『そんなことばかりやっているからいつまで経っても本物のギタリストになれないんじゃないの?』
とは口が裂けても言えないじゃないですか。
僕にとってそれは『ホントのこと』ですが、
もしかしたら他の誰か、ギタリストを自称しつつ、現実にやってることは単なるギター愛好家のような方にも当て嵌まる『ホントのこと』だったにしても……
それを言われたらほとんどの人が不愉快になるわけですからね。
誰だって自分の趣味、愉しみとしている事を全否定されたら気分悪いですからね。
だけど僕は『ギタリストになりたい』と思っている人が
『使い所の無いギター』を買い集めるべきじゃないと思うし、
『使い所の無い改造』をするべきじゃないと思うし、
『使い所のない物真似』の習得にリソースを割くべきじゃない、
『使い所』っていうのは自分なりの音楽を創造してそれを演奏して聴く人を愉しませるって事です。
ホントそう思うべきなんですよ。
本物のギタリストになりたいのならば、ね?
だからいいと思うんですよ、納得出来ない『皆さん』は別にギタリストじゃなくてもいいならなくていい。
むしろ自分のことを無理してギタリストだと思い込もうとするから齟齬が生じる。
いいじゃないですか、別に。
ギターのコレクターだっていい。
ギターイジりのマニアだっていい。
ギターで物真似をする人だっていい。
それぞれに等身大の自分、客観的に捉えた自分を受け入れて、堂々とご自身の趣味を楽しまれたらいいんですよ。
そういう風に潔く等身大の自分を受け入れられると必ず『新たな世界』が開けます。
エレキギターの愛好家としての自分を受け入れるだけでその趣味って趣味として絶対に生きてくる。
だってそうでしょう?
子供の頃から野球選手になりたいと憧れていた少年が、
大人になっても当時憧れていた選手のユニフォームを着て、
同じグローブとバットを買い集め、スイングや投球フォームを真似して、
だけど身体は鍛えないしチームにも属さず試合にも出ない。
そんな人が何十年もの間どれだけ深く野球を愛したとしても、
申し訳ないけど絶対に野球選手にはなれないって誰が見たってそう思う。
でも見方を変えればそんな人ほど『熱い』野球ファンは滅多に居ないかもしれない。野球の愛好者として、もの凄い熱量で野球を愛して楽しんでおられるかもしれない。例え自分が野球選手になれないのがわかっているとしても。
だけどそんな熱い野球ファンだって自分のことを野球選手ですとか言わないわけですよ。
野球というスポーツとその界隈にはちゃんと『分別』があるんです。
ギタリストに憧れる人が、ギタリストになりたかった人たちだけが、そういう『分別』を付けないし現実を見ない。
ホントのことを突きつけられてしまうと見えないフリ、聞こえないフリをしてしまう。
そのために1番都合がいいのは『似たもの同士でつるむ』こと。僕が言うようなことは殆どの方にとって『不快な雑音』なのですからね。
だけどそろそろ『ギター界隈』もそうした分別のある世界になればいいのになぁ、と思うこの頃です。
Mahalo!