皆様こんにちは☆
昨日は時間の許す限り、書きたい事を書かせて下さり、ありがとうございました。
昨日から「自己啓発」の為、今までの自分と決別したくて、私の心の中を大手術している私です。
人生において心の中の「膿」を全部吐き出す時が来たのだと思います。
そしてそれが「今」なのだと思います。
文章がとてつもなく長くなると思いますがよろしくお願いします。
去年の暮れから身辺では大掃除を始めて年が明けて、今年の目標を決めて、そして「自分を生きよう」と決意した私です。
でも実際やってみると、わからない事だらけで何からやったらいいのか?わからないまま時間だけが過ぎていき、それと同時にこれまでの事が、また走馬灯のように押し寄せてきて、心が潰れそうになりました。
思い出したくない出来事なのに、もう忘れたいのに思い出す。
それはリアルとこちらブログの出来事でした。
整理して書きたいと思います。
始まったのは4日頃だったと思います。
私はふと思いました。
その「内容」ではなくて「どうしてこのような事が私の身の上にいつも起こるのだろう?」そう言う疑問でした。
私の中では「既に終わっている話、それについても全く興味ない話」しかも2つありました。
一つは6年前の出来事、一つは最近の出来事で今でもヤフー内で起きているようですのでそれは協力したいと思いました。
しかし私が着目したのは「なぜ同時なの?」でした。
一つはもう忘れたい出来事ですから、思い出したくなかった・・・。
でも外部がそれを許さない。
なんで?と思いました。
いいえ、せめているのではありません。
「なぜそのような事が起こるのか?」に着目したのです。
私の中では終わっている出来事で風化しつつありました。
しかし外部が取り上げしつこくしつこく聞いてきました。
どうして私にとって終わっているのに私に「怒れ」と言うの?とさえ思いました。
しかも回りを取り巻く人間関係まで聞いてきました。
私の中では興味ないので知る由もありません。
まして「ヤフーコメントランキング」など聞かれても私にはわかりません。
興味ないですから・・・。
何度も私はブログに書いてました「私は自分の人生見つめているところ」だよと・・・。
そう、それどころではないので、私は今自分の人生かえりみて、「これからをどう生きるのか?」考えるだけで精一杯。
そんな中「ヤフーランキングがどうのこうの」と書かれても答えようがありませんでした。
故にその後私は爆発して記事にしました。
「いい加減にしろ!」と・・・
幸い今はそれはなくなりました。
一つは今もあるようですので、それは協力したいと思いました。
ですので構わなかった。
まぁそれはそれでいいのですが・・・。
さてリアルではとんでもない事がいきなり起こりました。
一つは火曜日の早朝(16日)、朝7時半に取引先からいきなり電話が入りました。
業務時間外でしたので、事務所の電話は留守電に切り替わります。
ちょうど私の目覚ましが鳴る時間です。
正直何事かと叩き起こされた感じで心臓がバクバクと言っていました。
7時半と言うと世間一般から見れば遅い時間かもしれませんね。
私が社会人として働いていた時は、既に会社に着いて業務の準備をしている時間でしたから。
しかし体調的にそれは無理ですので我が家の事務所は業務時間を朝10時~にしているのです。
勿論、アスペ旦那は銀行員ですから朝6時半に家を出ます(今はほったらかしにしてます)
吉川旦那はバイトと私の仕事を手伝ってくれております。
まぁそれは置いておいて、急遽取引先に連絡をして、他のお客様とのスケジュールの時間を調整しながら出向きました。
問題はその前日の夜、車のエアコンがいきなり壊れた事でした。
そう15日の夜から問題が発生したのです。
まだ4年しか経っていないのにと思いました。
これまで何度か車は買い替えましたが4年と言うのは最短でした。
仕方なくエアコンの効かないまま、仕事をして外回りをして、休み明けのディーラー(火水がディーラーは休みでした)に行きました。
エアコンの故障場所はすぐわかり、その場で直り一安心でした。
とりあえず落ち着いたのが18日。
しかし取引先との問題がありましたのでゴタゴタとしていました。
土日は仕事が休みなので家事に追われておりました。
洗濯とか色々。
平日は何かと忙しいのでどうしても土日に集中します。
そして来た、月曜日。
毎度の事ながらボランティアの日です。
車が路上で走行中に止まる、ノッキングする。
もはやお手上げでした。
と同時に「なんでかなぁ~~」と思いました。
誤魔化し誤魔化し、またディーラーへ。
原因が分かりエンジン部分総入れ替えとなります。
そして昨日、昼間通常業務終わらせてそろそろお約束の一週間も過ぎ、こちらブログへと戻ってきました。
整理して書くと大したことのないように思います。
しかし時期が重なっただけに「これは何か意味のある事?」と思うのは私のクセです。
私の理想はたった一つ。
「普通にブログがやりたい」
私の言う「普通」とは皆様のように定期的に訪問して定期的にコメントして、ナイスをして記事も毎日書ける事・・・それが私の中の「普通」です。
しかしリアルで色々あると手いっぱいになってしまって、それができなくなります。
と同時に「訪問できてない、どうしよう」と言うプレッシャーに襲われて苦しくなる。
いいえ、そう感じるのは誰でもない「自分自身」なのだと最近になって気付けたのですが・・・。
そんな中で「記事は書きたい、でも訪問できてない」そんな思いが私の心の中にのしかかってくるのです。
いつ書こうか?ずっと迷っていました。
以前は似たような事書いたと思います。
嫌がらせはある意味、私を助けてもくれておりました。
嫌がらせを理由にして、そう思う自分から逃げれたから助かりました^^;
去年起きたあの事件もそうです。
「のんびりやったら?」私にはそう言っているようにも思いました。
書かれている内容がそうでしたでしょ?
そっか、訪問しなくていいんだ?コメントしなくていいんだ?そんな事さえ思いました。
しかしそれ以上にそれに反発する自分がおりました。
「またかよぉ~、うるせ~よ、静かに普通にブログをやらせろよ」と言っている自分がおりました。
私にとっての「ブログ」、人にはそれぞれ価値観があります。
私にとっての「ブログ」は、まず「宝」です。
日々の記録、思った事、綴れる場所。
過去の悲しい事、嬉しい事綴れる場所。
そしてなによりも自分で勉強した事を自分で纏めて整理して、どこまで覚えたのか記録として書ける場所です。
私はそう認識しております。
それを皆様と共感しあったり、そんな場所だと捉えております。
他の方のブログも同じです。
私には旅行やガーデニングをやる時間が全くありませんでした。
大好きな吉川さんのコンサートでさえ、今まで一度も行けた事がありません。
それはやはり「介護」「介護」に追われていた為です。
書くと暗くなるから極力避けてはおりますがそれでも我慢できなくなると昨日のように過去の話を書いてしまいます。
しかしあれはほんの一部にしか過ぎません。
勿論、苦労している人は私だけではないと認識しております。
もっと酷い人生を過ごしている人もいると分かっております。
でもこれは「私の人生」「私の問題」ですので自分を見つめ、悔いのない人生を歩みたいのです。
そして今がその時で、これまでを全部書く事で私本来の姿をここに出したいのでございます。
今までは断片的に、よく呟いてもおりましたね。
成年後見の話、土地を売る話、お隣さんとの問題や父の入院の話、母の入院の話、借金問題。
事が起きる度にこちらに私の思いを綴っておりました。
私の人生を「ひとこと」で表すのであれば「理不尽」ですね。
貴女の人生を漢字で表すならなんですか?そう問われたら「理不尽」その言葉に尽きると思います。
いいえ、あくまでも「私」に焦点を当てるならです。
何もかもが「理不尽」でした。
昨日も書きましたけれど、あんな事は序の口でした。
書いたら、細かく書いたらきりがない程です。
でも敢えて全ては書いておりません。
もし書いたなら「長編小説」が生まれるのではないでしょうか?
題して「みぃの理不尽な人生」な~んて・・・真面目に作れちゃいますね。
かなり長くなりますが、ちょっと昨日の事で吐き出させて下さい。
私の目が悪くなったのは夜のテレビにありました。
いいえ私が観たくてテレビを観ていたのではありません。
それは私が小学1年の頃から始まりました。
父はその頃、現金輸送の仕事をしていて夜も帰りが遅かったです。
当時は3億円事件があったばかりで、問題となり不安の毎日を過ごしておりました。
私が生まれたのは1965年、事件は1968年です。
多分私の知らないところで警備など強化されていたと思います。
母が寝たり起きたりしていたのもその頃で、我が家には「ごはん」がありませんでした。
作ってくれないから・・・。
買い物は行ける時は母はついてきました。
そう、ついてくる。
普通は逆ですね。
母が買い物に行き、子供がついていく。
我が家は子供が買い物に行き、体調のいい日に母もついてくる。
それが我が家でした。
昔はスーパーも少なく、コンビニもなく、八百屋さん、お魚屋さん、お肉屋さんと一軒づつ回って・・・。
本当、今で言う「はじめてのおつかい」それをリアルでやってる私。
毎日でしたね。
家に帰って買ってきた物を台所に並べ冷蔵庫にしまう。
お風呂場に行ってお風呂の栓を抜いておそうじ。
昔は今みたいに自動でないから、お水をはって薪をくべる。
新聞紙にマッチで火をつけて薪に入れる・・・。
母は既に寝床へ。
そして私は台所に行き、背が届かないので椅子を持ってきて流しで食器を洗って野菜を刻む。
昔は出汁もないので鰹節をカンナで削る。
それながら買ってきた魚を網で焼き・・・そんな毎日。
私はハンバーグもスパゲティーも、おやつも子供の頃に食べさせてもらった事がありません。
グラタンを知ったのも高校生で・・・。
夕食が出来て母に「ごはんできたよ~」と伝える。。。、
すると「お父さんまだ帰ってこないから待っていましょう」と・・・。
私は育ちざかりなので、お腹すいておなかすいて、いつも「お腹すいた」とほえておりました。
それでも「我慢しなさい」「我慢しなさい」と・・・。
仕方なくテレビをつけて待っている。
気を紛らわす為。
時間は夜の9時を過ぎ、10時を過ぎ、とっくに冷めてしまう。
昔はレンジもありません。
ようやく父が帰ってきて日付は変わる。
やっとごはん食べて・・・。
思いだしただけで、涙が溢れてくる。
早朝、私は飯炊きが始まる。
また台所にたっておコメをとぐ。
幸い炊飯器はガスでしたのでスイッチ入れるだけでしたが、それでも40~50分かかります。
朝のお味噌汁作って、お魚焼いて・・・玉子焼きとか。
そんな生活でしたから目もあっと言う間に悪くなりました。
小学1年の最初の頃は1.0あったのが半年足らずで0.3まで下がり「仮性近視」と呼ばれました。
それはそうです、ブラン管テレビですもの、毎日毎日遅くまで観ていたら目が悪くなります。
私には普通の子供のように夜9時には寝なさいは皆無でしたから。
ですからロッキード事件とか色々なニュースが飛び込んできましたね^^;
子供なのにテレビではやってるのはニュースでしたし。
いつしか黒板の文字も見えなくなって、先生が何を書いているのか?さっぱり分からなくなって、何を説明しているのか?もわからなくなって・・・段々と何がなんだかわからなくて「独学するしかなかった」
それでも親は気付かずに「この子はなんで勉強できないの?なんでバカなの?」罵られ、やがて中学。
父はその頃新車ばかり買っていて、子供には眼鏡を買ってくれない。
毎月車のローンが容赦なく襲う。
手取り、たったの10万の給料で5万1千円が毎月飛んでいく。
家事をやっていたのは私、家計費も把握してます。
4万9千円でどうやって生活するの?1ヶ月。
それでいて「お前は県立高校も受からないだろうな、バカが!」と罵る。
「バカはどっちだよ!」
怒鳴ればよかったかもしれない。
気付かないバカ親。
それがそもそもの間違い。
私が反抗して、怒鳴ってやればよかったのだ!
そして気付いたのが中学3年。
我慢できなくなった私はやっと反抗した。
「コンタクトレンズ買ってよ!、見えないんだよボケ!」と中学3年の12月にほえた。
それは受験戦争。
あの頃はお受験お受験の時代。
倍率10倍20倍当たり前。
どうしても欲しかった、見えたかったから「コンタクトレンズ」
高校生、やっと私はコンタクトレンズを手に入れた。
9年間は長かった・・・。
文章も長いよぉ~~~~~!。
これは私の人生の実話、自叙伝。
今がその「整理」の時?
まだまだ続く?
あ!そうそうコメント欄にありがとうございました。
私にとっての皆様は「かけがえのない財産」まさしくその通りです。
唯一私の本当の「心の中」をご存知なのは「皆様だけ」ですから^^
親も知らなかった「本当の私」を知っているのは皆様だけです。