引き寄せの法則~エイブラハムに学ぶ~
・・・第三章・・・
望んでいることと望んでいないこと
私は前記事で「☆なぜ全てに感謝なのか?☆」を書き、ここまで理解した。
それでは次へのステップ。
それが「望んでいることと望んでいないこと」とは何か?を理解する、今日はこれの実践記事。
私も含め、多くのブロガーさんもそうだと思うけれども、人は自分にその日起きた出来事や過去に起きた出来事を「日記」として書くことが多いと思う。
喜びや悲しみ、不平や不満、満ち足りた気分、それは千差万別。
ここから書く記事は、もしもあなたに「叶えたい望みがあるのであれば」それと相反する出来事は「書かない」。
それについて私が学んだことをここに記そうと思う。
ご存知の通り、これまで私は数年に渡ってヤフーブログやここアメバブログにて自分の日記としてブログを書いてきた。
内心、叶えたい願いがあったにも関わらず、「それをしてはいけないと知らないで」過去の不平や不満、特に自分の身の上に起きた苦労話が多かった。
そこには「誰かに知ってもらいたい」とか「誰かに認めてもらいたい」とか、そんな気持ちがあったからだと思う。
それと同時に「書く事」で「自分を慰めたい」と言うのがあったからだ。
多分、他の人もそのようなこと多いのではないだろうか?
今の現状を知ってほしいとか、誰かに分かってほしいとか・・・
勿論それは間違いではない。
けれど、もしそこに「心の奥で願っている叶えたい出来事があるのであれば」その行為は今すぐやめるべきだと「エイブラハム」は教える。
ところで、エイブラハムとはなんなのか?を簡単に説明しようと思う。
ぶっちゃけ、簡単に言うと「あの世での叡智の集合体」である。
「神に近い存在」と言ったらもっと分かりやすいだろうか?
ネットにはこう書かれている↓
と言うもの。
私達もエイブラハムによると「宇宙の法則」から言えば「波動」だそうです「意識の波動」
このエイブラハムを知ったのはつい最近のことで、前々記事にも記しましたが、いよいよ私の中の「神様」が、「もうあなた(私のこと)にはこれを教えないと理解できないであろう」と究極の「願いを叶えるヒント」を提示してきたのです。
そして私は先日、この本
を手に入れ、読み始めているのですが、これまで私が理解しているようで理解していなかった(間違っていた部分)がよりよく分かり、具体的に私が思っていたことと全く同じことが答え合わせのように書かれており、心に「腑に落ちた」のでございます。
そこで私は実践を試みようと、本を読んで理解したことを「自分の言葉でブログに書く」これを始めたわけです。
それは、自分が理解できていなければ、自分の言葉で文章にするのは「不可能」だからです。
頭と心で理解できれば、何も見なくても「文章」にできます。
だから私は、これを始めました。
こうすることで私は「私の望みを叶えたいから」です。
話を戻します。
自分の望み、それはなにか?逆に望みではないこと、それはなにか?
願いは人それぞれですが、自分の心に聞けば、その望みがなんなのか?わかります。
日々の生活を日記に書く、それは勿論間違いではありません。
ですが、その「日々の生活」が自分の望みとかけ離れているのであれば、今すぐその日記を書くのはやめなさいとエイブラハムは伝えております。
それはなぜか?
その「自分では嫌だと思っている日々の生活を書く」ことで自分の波動が「嫌な生活の波動と一致してしまい、永遠に嫌な生活が引き寄せられてしまう」からです。
あなたはその生活を望んでいますか?
毎日毎日、泣いて苦しんでいる生活を望んでいますか?
もし、そこから離れ幸せになりたいのであれば、その日記は今すぐ破棄しましょう。
私は、これを知って唖然としてしまいました。
それは、まさしくこれまでの数年がこれに当てはまっていたからです。
私はいつも自分の過去の「嫌な目にあったこと」や「両親から理不尽にされてきた不平や不満」をブログに記してきました。
そこには前記述にもあるように「自分を慰めたかった」からでした。
ですが、それを書くことによって、確かに「ヤフーブログでは散々嫌がらせに遭いました」
私は自分のブログに「日記を書きたい」ただそれだけなのに「あれは書いてはダメ」とか「これは書いてはダメ」とか酷い時は「死ね」とか「クソババ」とか、そんなコメントもヤフーではありました。
私は不思議でした。
「どうして自分の日記をブログに書きたい、自分の大好きなアーティストの記事を書きたい、読んだニュース記事を書きたい、ただそれだけなのにここまで嫌がらせをされなくちゃいけないのか?」と・・・。
それは、一つ解決すれば、次の嫌がらせ、一つ解決すれば次の嫌がらせと言うように負のスパイラルの如く永遠続くかのように起きていました。
私がこちらアメバにきた理由の一つでもあったのですが、それは私が招いたからなのだと、これを読んで理解しました。
つまり、私がブログの中で書いていた、過去の悲しい話や苦労話、それは「負の出来事」になります。
それを「無意識に引き寄せていた」わけです。
どんなに「しあわせになりたい」と思っていても自分自ら「過去に縛られ、その悲しい時の出来事にどっぷりとハマっていたら」ずっと「悲しい出来事にどっぷりハマっている人生が続く」と言うことです。
だから、もし自分が願っていることと相反することを日記として書いているならば、今すぐやめなさいということ。
私は思いました。
あの時「それはやめなさい」と伝えていたのも今思えば「嫌がらせではなくて」神様が他の人を使って「今すぐ不平不満を書くのはやめなさい、そうでないと永遠にそんな人生になっちゃうよ」って教えたかったんだなぁ~とやっと今、理解することができました。
そう思うと、あの「嫌がらせ」も「感謝」ですよね。
一生懸命私の為に「悪人になってくれて」伝えてくれてたわけですよ。
「お役目」してくれていたわけです。
そして、やっと私は「もう過去は振り返らない」と決心できましたし、それが如何に「愚かだった」のか?を理解できたわけです。
しあわせになりたいのであれば、これから書くならば「しあわせなできごとを書きなさい」とエイブラハムは言います。
そしてその出来事は「自分で作ってもいい」のだそうです。
人は自分の日記を殆ど100%「真実を書かなければならない」と言った固定観念を持ちがちです。
それはそうです「自分の日記」なのですから・・・
ですが、それを決めたのは「誰」ですか?
それは「あなた(自分)」です。
誰かあなた(自分)に言いましたか?
「真実しか書いちゃダメ」なんて・・・
誰も言ってないし、そんな規則ないんですよ^^
「自由」なんです。
だったら、「自由な日記」書きましょうよ。
自分で自分の物語、作りましょうよ。
「未来は真っ白なキャンバス」ですよ?
そこに描くのは誰でもない「あなた(自分)」です。
そこを「不幸一色」にしますか?それとも「バラ色」にしますか?
あなた(自分)の望みはなんですか?
もうお分かりですよね^^
さぁ、綴りましょう、あなた(自分)にとってしあわせの日記を・・・☆・・・
いつもありがとうございます↓