引き寄せの法則~エイブラハムに学ぶ~

 

・・・第一章・・・

 

私は、この世に目的を持って生まれてきた。

 

この肉体を持ってこの物質世界で、想念の世界とは違った物質の世界で「自分の可能性を試してみたい」と意気揚々として生まれ出でた。

 

そんな事も忘れて、ここ何年かはずっと自分の人生、特に過去に起きた出来事(不平不満など)をヤフーブログやアメバブログに綴ってきた。

 

しかし、それは全て、自分がこの世に生まれる前、あの世の世界で自分がどんな環境でどんな人種で、どこの国で、どんな両親で、友人、知人、私に影響を与える人々、動物、植物全てに至るまで、私自身がその「目的を果たす為に」設定しただけの事。

 

そう、私自身、つまり五次元世界での私が「物質と言う世界で肉体を持って体現したい」と願ってシナリオを作っただけの事。

 

それをあたかも誰かが、他人が?あるいは神様が?「意地悪をしている」などとブログに綴り、その責任転嫁をしていたここ数日いや数年。

 

全ては誰かが、他人が、神様が私に意地悪をしているのではなくて、私自身が、この「肉体の私自身」が招いたこと。

 

「引き寄せの法則」によって引き寄せてしまった出来事であり、それは成功しつつあるのだと、ようやく気づけた。

 

それを教えて下さったのがこれまで出会った沢山の著書である。

 

そして、もういい加減、それに「気づきなさい」と肉体の私の中にある、奥の奥の心の奥にある「本来の自分(神様)」が究極の本を提示してきた。

 

それが、「エイブラハム~引き寄せの法則」である。

 

 

多分、私の中の「肉体とは違う」心の中の「私自身(神様)」は私が物質世界で生きる寿命を把握しているのだろう。

 

そして喜怒哀楽の中の「喜楽を学ぶ時がきた」ので、私に提示してきたのだと思う。

 

なぜなら、私はずっとブログの中でこれまで子供の頃から「嫌な思いをした出来事」しか綴っていなかったし、良かったことと言えばここ12年余り吉川晃司さんに似た「吉川旦那との出逢い」ぐらいしか書いていなかった。

 

多分それは「愛を学ぶ」為のプロセスであり、この世での「愛」について「喜びを感じ」させてくれたのだと思う。

 

時は過ぎ、50代となって人生も後半。

 

私の寿命が尽きる前に最後の「楽を学ぶ」時がきて、きっとその「楽」と言うのが「お金持ちになりたい」なんだと思う。

 

その理由としては、この物質世界で裕福に暮らす為の「ツール」が「お金」だからだと思う。

 

私は多分生まれる前に、こうシナリオの計画を立てたに違いない。

 

「先に怒哀を学んでしまおう」と・・・。

 

先に「喜楽」を学んでしまうと後で「怒哀」を学ぶのは辛いと判断したからだと思う。

 

だから、幼少時代から「親の介護」と言う名目で病弱な母親と、人の気持ちが分からず自分勝手で借金ばかり作ってくる父親を両親として選び、一人娘として兄弟も亡くなったことにして、この世に生まれてきたのだと思う。

 

案の定、母親は私が小学1年生になる頃には殆ど寝たきりで家事も無に等しい程やってくれない人だった。

 

それはずっとブログに書いてきた。

 

父は後先考えず自分勝手で、人の気持ちや感情などお構いなしで仕事以外では自分勝手に生きてた人だし、死ぬ間際には2千万と言う借金を私に内緒で作りやりたい放題やって最後は脳梗塞で倒れ入院、、そして心筋梗塞により帰らぬ人となった。

 

母もずっと寝たり起きたりを繰り返し、結局人生の半分以上を病院のベッドで過ごし最後には大腸がんで4年前に亡くなった。

 

私48歳だった。

 

私はこれまでずっと、自分のそんな「嫌な思いをした出来事」をブログに綴り、自分の心を慰めてきた。

 

そこにはきっと「誰かに知ってほしい」とか「慰めて欲しい」とかそんな感情があったからだと思う。

 

そこには幾つかの「怒り」「悲しみ」「不満」「不平」、幾つもいくつも繰り返しくりかえし綴ってきた。

 

けれど、ある時私の中の心の奥の「神様」と呼ばれている「存在」が「そろそろ怒哀は卒業して、これからは喜楽を学ぶ時がきたんだよ、そろそろ切り替えよう」と私に「神様より」と出会わせたのだと思う。

 

 

私は今から十数年前、自分の存在に疑問を感じていた。

 

いや、実際にはもっと前、幼少時代から感じていた。

 

「なんで私この世にいるんだろう?」と・・・。

 

「目的があって生まれてきたはずだ」と気づいた時、既に私は高校生になっていた。

 

学校へ行き様々な教科を学び、友人を作り、クラブ活動、「青春」と言う名の体験を思う存分体現した。

 

その中に「恋」もあって吉川晃司さんと言う存在も知って、いつか彼を作るなら「吉川晃司さんみたいな人」と自分自身に「インプット」したのもこの時である。

 

 

まだ、あの世にいた時は「恋」について具体的に「どんな感じの人」か設定していなかったのかもしれない。

 

いや、設定していたのかもしれないがこの世に来て忘れてしまっていたのかもしれない。

 

だから子供の頃から「初恋」と称して色々な人を好きになり、でもいつしか片思いで終わっていたのだろう。

 

それが高校、短期大学と上がるようになり、私の中の心の「神様」は「こんな人が自分の憧れの人なんだよ」と提示してきたのだと思う。

 

実際それは、突然のことだったから・・・。

 

ブログにはアスペ旦那の存在を隠したい為にしばらくの数年は私の中で作ったシナリオでブログに吉川旦那の事を書いていた。

 

しかし、一部は事実であり、学生時代、友人が私の為に「吉川晃司さんの存在」を教えてくれたのは紛れもない事実なのだから。

 

私はそれまで違う歌手のファンだったし、でも「恋」や「愛」とは違った感情で私の「魂レベル」の「それ」とは違っていた。

 

ただ、なんとなく・・・そう「なんとなく」だった。

 

でも友人が録音してくれたテープの中の音楽は私に「それ」だと教え、私は歌っている本人を知りたくなった。

 

急いでレコードショップへ駆け込んで、友人が録音してくれたアルバム本体、2枚を買ったのである。

 

それが「パラシュートが落ちた夏」と「LA VIE EN ROSE」であったのは以前も書いた。

 

 

しかし私はなぜか吉川さんとはかけ離れた「アスペ旦那」と社会人になった時に出逢い、気づけば「結婚」してしまった。

 

両親からの洗脳もあったと思う。

 

「お前は結婚するなら銀行員ではなければダメ」とか「千葉県人でなければダメ」とか「婿でなければダメ」とか・・・

 

そんな「条件」を子供の頃から突きつけられていたので、肉体の私はまだ「自我を持つ」と言うことに完全ではなかったのだと思う。

 

しかしそれも自分が引き寄せた結果であって、誰でもない「自分が招いたこと」なのである。

 

人は他人のせいにすることで自分を楽にしようと言う「心理」が働く。

 

「私のせいじゃない、今ある現実は他人のせいなんだ」と理由づけることで精神を保ちたいのか知らないがそこから「逃げたい」と言う気持ちになる(なった)のだと思う。

 

しかし、実際にはそうではなくて全ては「自分が招いたこと」、引き寄せの法則によって私の「学ぶ」に必要だったからそこにいて存在しているのだとようやく悟れた。

 

やがて時は過ぎ、散々「怒哀」を学んだ(病気も含め)私は人生の後半に差し掛かり「スピリチュアル」と出会う。

 

きっと私の心の中の「神様」は「怒哀の学びはそろそろ完了、これからは喜楽だよ」と生きるヒントを与えてくれたのだと思う。

 

2003年の年の暮れ、私は一冊の本と出会う。

 

それがスピリチュアルカウンセラーの「江原啓之氏」だった。

 

なにげに行った本屋さんで私は一冊の本と出会った。

 

 

私は「目からウロコ」だった。

 

そこには私の求めていた問いの「答え」が書かれていたからだ。

 

ようやく私は、自分が「魂の存在」である「確信」を得ることができてスピリチュアルにどっぷりとハマった。

 

そして何年か江原さんのスピリチュアルサイトに登録して、しばらく学んだ。

 

こんな本も買った。

 

 

あの頃はどれだけ江原さんの本を買い漁っただろう?

 

まだネットが普及していないこともあって、本屋さんばかり行ったのを覚えている。

 

やがて私自身も子供の頃からの「霊感」を使って霊視なども始めた。

 

私自身、子供の頃から何度か良いも悪いも「霊体験」は数多く体験してきたし、その中で除霊や浄霊も覚えたからである。

 

ある時、お稲荷様の祠があるお米屋さんのご主人が奇病に患っていると連絡を受けて霊視しに行った。

 

そこはダブル鬼門があって、沢山の浮遊霊達が集まってきていた。

 

それは流石に私自身「危険」な領域(命を奪われるレベル)だったので、できる範囲のアドバイスをして、軽減することをすすめた。

 

一方で庭にあったお稲荷様の祠を掃除してご神気を感じてもらい、私自身も浴びた。

 

それがキッカケで「吉川旦那」とも出逢ったわけだが、気がつけばあれから丸12年。

 

来年年が明ければ13年と言う月日になる。

 

吉川旦那との日々はまるで瞬きをする時間しかなかったかのように過ぎ去っていったように速かった。

 

その中で、こちらの家に引越しをしたり両親の死もあり、今現在に至るわけだが、ぶっちゃけ今私は「自由」だと気づく。

 

そう、私を縛り付けていた両親の介護からも解放され、或意味私は本当の「自由」を手に入れた。

 

困っていることと言えばこの家のローンで、思ったよりも金額の高い買い物だったので、今後返していけるのだろうか?と言う不安。

 

それもあって「お金持ちになりたい」と言う気持ちが動機として現れたわけであるが、これからは「喜楽の人生」を学ぶ。

 

その為には、もういい加減、何か起こる度に「過去」を思い出して「負」の引き寄せには遭わないようにしたいと考えた。

 

先日まで私は「神様に意地悪をされている」と思っていた。

 

しかしそれは間違っていたのである。

 

私の中の心の中の「神様」は私を喜ばしたくて喜ばしたくてたまらなくて、沢山の「生きるヒント」を幾つも提示してきてくれている。

 

「もういい加減悟って早くしあわせになりなさい」と幾つものヒントを与えて下さっている。

 

それが最初に載せた「引き寄せの法則」の本であったり、ここアメバブログでの「神様より」のブログや「本」であったり、江原さんのスピリチュアル本であったり。

 

「あなた(私)は肉体を纏った霊の存在なんだよ」と・・・。

 

「あなた(私)は体現する為にそこに存在しているんだよ」と・・・

 

「後は喜楽を学ぶだけなんだよ」と幾つもヒントを「これでもか、これでもか」と与えて下さっているのだ!

 

そこに気づくのにかなり遠回りをしてしまった。

 

私はやっと気づけた。

 

私は「自由」なのだと。

 

私はしあわせなのだと。

 

私は豊かなんだと。

 

全ては「引き寄せの法則」

 

「宇宙の法則」

 

私は地球を選び、この肉体を纏った「波動」

 

霊界と言う世界から「肉体」を借りて降り立った「波動」のひとつ。

 

その「波動」は宇宙と調和し共鳴する。

 

私の波動が高まれば、どんどん高い波動が私に引き寄せられる。

 

幸せや富み、楽が引き寄せられる。

 

全ては「引き寄せの法則」

 

「宇宙の法則」

 

これから毎日のように綴るだろう・・・

 

私は幸せ、私は豊か、私はお金持ちと・・・

 

繰り返しくりかえし魂に刻み込ませて。

 

私の「思考」

 

「思考は現実化する」・・・

 

そう、吉川旦那の出来事で私はそれを証明している体現している。

 

「いつか吉川晃司さんみたいな人を彼にする」

 

それはまさしく「思考は現実化する」を証明した出来事であって、自分自身で体現した紛れもない事実。

 

ならば「お金持ちになりたい」も「お金持ちになりたい」から「お金持ちになった」にできるはずである。

 

私は「恋」の部分で体現してるじゃないか!

 

時間はかかった・・・。

 

叶うまで30年はかかったけれど実現したじゃないか!

 

できる、私はできる。

 

絶対。

 

私は何度でも綴るだろう。

 

自分は出来る、叶えると・・・。

 

いいえ、それではずっと「叶える」と願望を感じている状態が続くので私は断言する。

 

それが「アファメーション」である。

 

私は豊か、私は幸せ、私はお金持ち。

 

何度でも、何十回でも何百回でも綴る。

 

私は豊か、私は幸せ、私はお金持ち

 

この気づきに感謝です。

 

最後に・・・今日の悟りの文章について、ここまで導いて下さった「神様より」の著者「慈恩保」先生に心より感謝申し上げます。

 

「どうもありがとうございます」

 

ようやくここまで悟ることができました。

 

まだまだ、これからですが、これからもこのやり方で頑張っていきます。

 

そして、いつも私のブログを見守って下さっている皆様、心より感謝申し上げます。

 

「どうもありがとうございます」

 

 

 

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