病床に伏しててわからないからって... | mec-sympa

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日本の底辺20代♂が5才児脳みそで思った事
とか考えた事とか感じた事とかグチとか
叫びとかを起承転結メチャクチャな稚拙で乱文
駄文お構い無しにほぼほぼ記録的な意味も込め
ダラダラ取り留めも無さ過ぎつつ綴ってる
ボロ過ぎキモターボMAXなブログです。

 

 

 

 

有名な話だと思うけど

 

 

12歳のマーティン・ピストリウス

 

医師は脳の感染症を疑ったが

正確な病名と治療法を解明

する事が出来なかった

彼は徐々に正常な心身能力

(運動機能、眼球動作、会話能力)

を失っていった

 

 

最終的には、あらゆる精神

認知テストにおいて不合格

となり、両親は「『いないも同然』

の水準である」と聞かされた

知能の水準は生後3カ月の

赤ん坊と同程度だと考えられた

 

 

父親は毎朝5時に彼をデイケア

に連れて行き、8時間後に

迎えに行った。そして家では

床ずれを起こさない様彼が寝て

る間に必ず寝返らせていた

マーティンはそれも出来なく

なっていたのだった...

 

しかし、この話で最も恐ろしい

のは、彼が何を失ったのかでは

なく、彼に何が残っていたのか

だった

 

 

原因不明の昏睡状態から2年後

マーティンが言うには

「目が覚め始めた」彼は動けず

話もできず、あらゆる事が

出來なかった。しかし心の中は

戻って来て生気に満ち溢れていた

役立たずの身体に閉じ込められて

はいたのだが...

ある時、疲れ果てた母親が

彼の目を見て大声で言った

 

「死ねばいいのに 」と!

 

「みんな私がいない事に慣れて

いて、私の意識が戻り始めた時

には、それに気が付かなかった

のです。厳しい現実が私を襲い

ました。この後の人生をこんな

風に――完全に一人ぼっちで――

過ごす事になるかも知れない

という現実です」

 

彼はこの暗い現実に対処する

為には、「ただ存在する」事だ

と学んだ

 

「私は、かつて人々が知っていた

そして愛していた少年の色あせた

記憶の残像のような存在になった

のです」

 

彼は、誰も見ていないと思った

時に、人々がどのように行動

するかを観察した。

「無防備な犠牲者」として彼の

介護をする人々が、自分等の

暗い欲望を満たす為に彼を

利用するのを見た。10年以上

に渡って介護者たちは彼を

身体的、言語的、そして性的な

面で虐待した

 

「暗い奈落の奥底に沈み込んで

いくような絶望を感じさせる

瞬間が数多くありました

その中で忘れられない、ある特別

の瞬間がありました。父が私を

車に置き去りにして、さっさと

いなくなってしまいました

店に何かを買いに行ったのです

その時、たまたま通りかかった

見知らぬ人が、私を見て、微笑んだ

のでした」

 

「彼がなんで微笑んだのか

その理由は恐らく絶対に

わからないと思います。しかし

その理由はわからないけど

そのシンプルな行動と人間同士

の絆が垣間見えたその一瞬が

私の気持ちを変えて、頑張ろう

と思わせてくれたのです」

 

しばらくして、一人のアロマ

セラピスト(介護者)が彼が

目で反応している事に気付き

彼の意識が完全なものである

と確信した。彼女の努力の

おかげで彼の人生は激変した

 

マーティンは現在、腕と頭が

使えある程度は表情も作る事も

出来る。そして音声読み上げ

ソフトを使って意思表示をして

いる。

 

 

 

 

マーティンにとって

人生は特別困難なものだったが

多くの制約があるにも拘わらず

彼は今や、出版物の著者で

フリーランスのウェブデザイナー

且つ父親でもある

 

 

私たちは、体が動くという

事が素晴らしい贈り物で

ある事を、どの位認識して

いるのだろうか。

 

考えること――そして

自分自身のために自由に

行動する事。更に言えば

その自由を無駄にしない事...

 

 

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偶々かもわからないが

最近障碍児或いは者の

人権が、とか彼の植松

死刑囚の事から派生して

意思疎通が出来ない者は

...とか話が上がってる

 

障碍児(心身共●●学園

とゆう名称だったけど今は

療育センターになってる)

の居る所でボラをしてた時

小さい事だけど結構大きな

感動をした事があって

そこは、ASDを始めと

した21トリソミーの子のみ

ならず他トリソミーの子等が

メインだったけど立てない

話せないけどシャフリング

で移動する子が居て或る時

俺のパンツの裾が引っ張ら

れるって思って下見たら

その子が引っ張ってて、え?

ってなった事。個人的に

その子とは関わり無かったし

遊びもした事無かった

んだけど、他の子と遊んで

たりしたのを見てて覚えて

くれてたのか否か...特に

懐っこい性格の子ぢゃない

そうだったにも拘わらず...

下からこっちを見上げて

笑ってる様な顔がとても

可愛くてその顔だけはっきり

覚えてる

 

今、その経験を朧気乍ら

思い出す。障碍が結構

重篤に見えて気持ちが

無い或いは考えも思考

も皆無かもって思われてる

かもわかんない子、人で

あっても悲しみや喜びの

感情で心は満たされてて

その表現がこっちに伝わら

ない又は伝える術を持たない

だけかも知れない、って

 

あの子が男児か女児かも

忘れたんだけどマーティン

さんの件を思うとナニゲ

重なる

 

そしてよくよくゆわれる

数週乃至数日しか命の

灯が無いかも知れない人

であっても耳だけは最期

まで聴こえてるから話かけて

あげて、と...ドラマの様

だが時折臥せってるその

枕元で相続やご葬儀の

話をしたりする輩が居る

とか...それは恐らく苦痛

からセデーションを

かけてたとしても何処かで

聴力は鮮明な場合が多い

のかもわかんないなと

思う。そういう場に居たら

最期の最期まで励まして

感謝を伝えたいとも感じた

 

マーティンさんが疲弊した

母親からの死ねばいいと

いう言葉を耳にした際の

絶望的な気持ちを考えると

心が押し潰されそうになる

 

誰にでも悲しみ、辛さや

喜びの心がある事を忘れない

様にしたいと改めて思う