女尊男卑以外で父親が教えた事 | mec-sympa

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日本の底辺20代♂が5才児脳みそで思った事
とか考えた事とか感じた事とかグチとか
叫びとかを起承転結メチャクチャな稚拙で乱文
駄文お構い無しにほぼほぼ記録的な意味も込め
ダラダラ取り留めも無さ過ぎつつ綴ってる
ボロ過ぎキモターボMAXなブログです。

 

 

 

 

先般、こうき等の

お勉強終わって

いつもみたくに

ナニゲな雑談を

してた時、因みに

この雑談が結構

情報収集の宝庫

にもなったりなら

なかったり

 

んで、クラスで

引っ越しに因る

転校をしなきゃな子

が居るとか居ない

とかで皆で色紙に

メッセージを書く

のと個別で手紙を

渡すってなったと

今時でも紙媒体で

文字を記して相手

へ意志を伝えるって

ことあるんだなあ

とか思いつつ...

何書けば良いか

わかんないとゆう

こうきの話を聞き

つつ思い出した事

 

7才頃?友の誕生日

に呼ばれてカード

とプレゼントは既に

用意してたんだと

思うけどそれ+何故

にか手書きで便箋に

手紙まで書くハメに

なってた。記憶を

掘り起こしてる範囲

だけど確か自分の

部屋でぢゃなくて

下のリビングで便箋

と封筒が置いてあった

多分それもプレゼント

カードと一緒に購入

したのかもだけど

 

それでソファの下に

座ってテーブルで

手紙を書いてる前で

ソファに座ってた

父親は自分の事を

しつつ、俺が書くの

を結構入念に読んだり

見たりでかなりダメ

出しをしてた

 

 

例えば、便箋を折った

時にその折り目の

上に文字が重なったら

書き直しで、かなり

何回もやってて終い

に先に便箋を折って

文字を書いた様な

 

 

それでも罫線との

バランスが何とかで

却下され続けて結局

便箋1冊近く使った

様な...んでもって

よ~やく書けた後は

先に封筒に手紙を

入れてから宛名●様

みたくに書くのは

アウチでまずは封筒

に宛名書いてからだね

とゆわれ...けどそれが

けして全く全然ウザ

ってなんなかった記憶

まだ幾つか思い出し

てた事はあったけど

こっちも手紙絡み...

多分これも今のこうき

位の10才か11才位に

父親知人の娘が

オレゴンに暫く居る

事になった∴(既に

もう何ヶ月か居たと

ゆうニュアンスその娘

とゆうのは俺より全然

年↑で大学生かもっと

↑?位な感じだった

マクラメかパッチ

ワークがどうとか

ゆってた様な現地の

新聞見せられた記憶)

●●さんのお嬢さん

が今オレゴンの?に

居るから手紙書いて

下さい的な話になって

何を書いていいのか

わかんなくて悩んで

7~8行位は何とか書いて

最後の〆の文章に

悩んでた時「そちらで

何か必要な事は無いか」

とか「お困りな事は

ありませんか」的な事

を付け足そう的な

ヒントをくれてた今

思うと父親は何かを

その「お嬢さん」に

送る際に俺の手紙も

同封し様と思った

のかなとかふと...

その当時はLINE

無かったけどメールは

あったワケなのに

敢えての紙媒体とか

レトロな世界観

 

色々今思い出して

来たけど手紙とは

全く違うんだけど

これは華に対して

だったんだけど

普通のケトルを

レンジに乗せて

お湯を沸かそうと

してた時に父親が

そのケトルの注ぎ口

をこっちに向け

ないで向こう側へ

向けなさいと沸騰

した時に危ない∴

火傷しない様的に

話してたのとあと

 

 

そうだ、これは

母親と華から聞いた

話だけど、これも華

の件で予防接種の

針の跡が将来的に

残らないかとか

接種する医師に

聞いたとか聞かない

とか。ウソぢゃろ的

 

 

な心配をしてた

父親だったんだな

と懐かしく思い出

して来たり、てか

今生存しとります

がな~な話だけど

口うるさくは全く

無くてどっちかって

ゆうと口数少な目

だけど細かいんだな

とか改めてナニゲ

考えてたとゆう話

だったとさ

 

毎度毎度お読み下さい

まして有難う存じ候。

 

然らば