そうそう楽に生きてるワケぢゃござぁ~せん | mec-sympa

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日本の底辺20代♂が5才児脳みそで思った事
とか考えた事とか感じた事とかグチとか
叫びとかを起承転結メチャクチャな稚拙で乱文
駄文お構い無しにほぼほぼ記録的な意味も込め
ダラダラ取り留めも無さ過ぎつつ綴ってる
ボロ過ぎキモターボMAXなブログです。

結構、楽に生きてるのう

おぬし~と周りの奴等は

思ってるてか告げられし

事数多。

 

 

 

 

見ればただ、何の苦もなき水鳥の足に暇なき
我が思いかな

 

 

それは自分自身で

そう思う様にしとるがな。

大変だ大変だ意識が

そっち引っ張られない

様になるべく何もかも

好意的に考えるクセをば。

 

あちこちで語られてるし

「幸せになるには」なんて

ゆう書物も量産型だけど

根本の最低限の条件

はあるんだろうけども

それはもはや幸せとか

の範疇ぢゃなくて恐らく

生きる為の最低条件と

線引きした場合かなと。

 

絶対的な幸せって無い

って事と、多くは

相対的な意味でそれを

判断しちゃうとこで

劣等感とか幸せぢゃ

ないかも感が増々に

なる気がする。

 

 

詰まるところ「比較」の

存在の悪しき習慣と

ゆうのか。他者と比較

しないからその分の

ストレスは感じない・・・

 

けど逆にそれは成長

も無いって事にもなる

かもとはずっと思ってて

切磋琢磨して同じ方向

を向いてるライバル

の存在が居てこそ

進歩もあるかもと・・・

 

 

だけども往々にして

この比較意識は

ストレスを生む≒

幸せ感が削がれる

≒楽しくないって

なる気もしてる。

 

頑張ってる会社員が

 

 

給与上がったと

喜んでた。会社は

自分を認めてくれた

って達成感に似た

幸福感で満たされた。

俺頑張ったもんなと

満足しまくり。

 

 

しかし

 

ある時彼は同僚の

給与を知ってしまった。

彼より全然多い額

だった。

 

 

この後の彼の心の

動きは論を俟たない。

満たされたであろう

幸福感から、疑念へ

変わったかもしれない。

 

俺の方が頑張ってる

のに何でだ?と思った

かもわかんない・・・

 

 

 

桜梅桃李、紅蘭紫菊・・・

或いは少し角度を

変えると吾唯知足の

様な話。

 

 

比較によって生じて

しまったストレスってか

彼も同僚の給与額を

知らなければ比べなくて

済んでたんだ。

 

 

【抜粋】「吾唯知足――われただ足ることを知る」
「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の教えを図案化し、表現したものとされています。その意味するところは、石庭の石が一度に全部見られなくても、不満に思わず満足する心を持て、という戒めであると言われています。

 

 

さらにここ

 

「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」

 

勝手な解釈だがこれ

ってあのアドラーにも

通じる部分がある気

がした。

 

結局は自分の気持ち

次第?の様な些かラフ

とゆうか曲解かもだけど。

 


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そしてさらに楽に生きてる

(様に見える)のは過去の

思いとゆうのか・・・上手く

的確に表現できないけど

過去って何も大昔とかぢゃ

なくて昨日とかついさっき

とかの過去も含めてだけど

 

 

アドラー信者ぢゃないが

これは実にそうだなって

納得する部分が大きい

んだけども、結局事象と

ゆうか、実際に過去に

何が起きたかが問題

ではないとゆう事・・・

 

 

これも事と次第に因る

んだよなとも感じる

側面は否めないが

 

その起きた事実に

対してどう捉えたか

どう感じた或いは感じ

てるか、が大きな問題

とゆうか。

 

少し違うんだけど・・・

簡単な話だとすると

よくよく有りがちな

LINEしたけど返信来ね

みたいな。それも結構

深い系な内容だったり

だと、何か不味かったか

とか自分の読み返し

たりなんだりしてみて

 

 

だけど相手は内容

を吟味してLINEと

言えど即リプ出来

なかったかも知れ

ないし、今考えてる

から待ってって送る

のも出来ない感じ

だったかも知れない。

忙しいかもだし体調

が優れないのかも

わかんない。相手

の状況が見えない

中での勝手な想像・・・

 

それに因って悩み

ムダな時間と

ストレス増産脳内。

 

 

又・・・

 

あの時あの人は

こんなイヤな事

ゆって来た・・・

事が問題なんぢゃ

なくていや、実際

にはそれも相手側

の性格的な問題も

ある場合も無いとは

ゆえないかもとか。

 

その時イヤな事を

ゆわれた自分がどう

感じたか。中には

それをイヤな事と感じ

ない人も居るか~も

知れないし、むしろ

 

何だか人の批判ばっか

してちょっと気の毒な人

って逆に思っちゃうかも

わかんない。同じ内容

でもこっちの捉え方

楽に生きられる様に

感じる。

 

 

最近経験したのは

あの渡邊圭祐さん

に(今は)はまってる

人で連絡来る時は

如何にその時々の

推しタレントのどこが

カッコ良くてどう素敵

な人かとしみじみ

語ってくれるワケ

なんだけど

 

 

グチとかこぼし話

もして、先般は何か

近所の方に何等の

お礼でカステラを

差し上げたそうだ。

とても高級なカステラ

だそう。

 

 

したらその近所の方

曰く「そんな一々お礼

なんていいのに~」

とゆわれたそうな。

 

それでその渡邊

おばさん(と勝手に

呼んでるんだけど)

ムカついてた。こっち

がせっかく持ってった

のに、あの言い方は

無いでしょ?酷いと

思わない?と・・・

 

 

いや全く思わない

けど。渡邊おばさん

自身の脳内情報

処理の少しばかり

歪みもあるかなと

 

 

ちょっと感じたけど

相手のその近所

の方語彙・・・言葉

駆使した方が良い

かとか5才児脳が

棚上げ名人になって

生意気にも感じた

けど

 

 

まさか渡邊おばさん

の情報処理云々は

口が裂け切っても

ゆわないけど、近所

の方の対応はちょい

良くない意味で勘違い

させちゃいますよね

とだけ。

 

 

渡邊おばさん、もう

二度とあの人には

何もあげない!と。

 

 

こゆホントに些細な

擦れ違い、思い込み

が小さな諍いを

生む場合もある様に

思うし渡邊おばさん

の感じたであろう苛々

感、てかストレスも

大なり小なりあった事

だろうなと・・・

 

 

 

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唯、自分の中で不安

とゆうか考えるのは

 

 

件の心持ちで生きてる

と楽ではあるけどもこれ

裏を返せばトンデモなく

安穏・・・いや、お気楽

脳内お花畑人間にもなり

兼ねないんだろうな

って思ったりはする。

それが楽そうに見える

のかもだし。

 

 

下手すると裸の王様

的にもなり得るんぢゃ

ないだろうかとか。

 

ゆえに並行して常に

自分自身を振り返える

必要あるし、結構毎晩

自問自答したり等々

猛省する事もあったり。

 

 

これはそうなると楽に

生きようと努力しても

冠履転倒になっちゃう

とかとかも考えるんだが

 

それでもそうそう対人に

関してのストレスを余り

感じてない自分は・・・

 

だけど

 

往々にしてこゆ場合

って己は楽であって

も、相手がこっちの

せいで多大なる

ストレスを感じてたり

 

 

って大いにあるから

その辺りは心して細心

の注意は払いたいな

とか肝に命じ系な日々・・・

 

 

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さらに関係無いけど

これも好きな一句かと・・・

 

水鳥の、したやすからぬ思ひには、あたりの水もこほらさりけり

 

これ意味合いは

違うんだけど水鳥が

必死で休み無く絶え間

無く水を搔いてるから

その周りの水も凍らずに

済んでるぞ、みたいな。

 

周りの鳥たちの為に

一羽が藻掻いてる。

 

 

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長くなって面目ねえ

ついでに・・・よくよく

ケンカで騒いでたり

愚痴零したり文句

ゆう人に教諭達や

又上の立場の人々

や幾つかの聖典でも

「あなた自身が

変わりなさい、相手

を変えるのはムリ

です」と言う。

 

 

これは大昔から

かなりしばしば

ゆってるのを見聞

&読んだけど大学

2年くらいまでは

相手が変わるのは

ムリ・・・

 

ぢゃ自分が変わる

ってどう変わるんだ?

 

 

ってわかんなくて

自分の何処がいけ

ないんだろうとか

一々見直すのか?

どうすれば、いいか

結構考えたりも

したけど気付いた

のが、これは自分

相手に対する

態度を変えるん

ぢゃないって思った。

 

ここでアドラーに

リンクしちゃうっぽい

けど、変えるのは

態度ぢゃなくて

自身の思考回路

ってか脳みその中

の考え方を少し

変えてみる、って

気付いた・・・とゆか

思った。

 

 

全て恐らく発端は

自分自身がどう

感じるかゆえ。実際

それはとても楽に

なったが。

 

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

「ニーバーの祈り」

 

無宗教無神論かつ

アドラー信者でも

ないなり・・・

 

 

 

 

お時間を下さり、誠に