五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ -3ページ目

漢姓 1

漢姓 1  Wikipediaより
漢姓(かんせい)は、漢民族の姓およびそれを受け入れた近隣民族の姓である。漢姓、漢名は漢字で書かれるか、書かれなくても対応する漢字が存在する。
漢字一字の単姓がもっとも多いが、漢字二字以上の姓(複姓)も存在する。複姓の代表としては「司馬」や「欧陽」「皇甫」などがある。
人口が多い姓は民族によっても、地域によっても異なる。中国では王、李、張が多く、朝鮮では金、李、朴が多い。世界の約1億1000万人は李で、中国約9300万、韓国679万、ベトナム、日本に約1万人 (1966世帯) である。李は世界で最も多い姓としてギネスブックにも紹介されている。
と書かれておりました。

公判傍聴 F

  公判傍聴 F

期日平成30年3月7日 16時30分から16時50分
小田原裁判所 3階 1号法廷 傍聴 16人前後
内容
元組合長の実弟の弁護であった。
「特記事項なし」
*尚 公判の詳細について ここでは控えさせて頂きます。
*公判の詳細について知りたい場合は、県央愛川農協又は小田原裁判所に、それなりに質問されたらいかがですか。

 次回公判 H30年4月25日(水) 13時30分より
  小田原裁判所 3階 1号法廷
  元組合長の尋問(問いただすこと)となります。
 皆さんも傍聴してみませんか。
                          以上
真相究明委員会 代表 小島 佐則

*裁判所の証言内容を、私なりにお伝えします。
多少の聞き違いがあるかもしれません。
詳しくは 小田原裁判所にお確かめください。

挿入改竄の反対

挿入改竄の反対
前記 古事記の「黄泉の国伝説」の挿入改竄を紹介しました。
その反対も紹介しておきます。
私のブログ2017 年1月17日、 18日に、日本書紀の「海幸彦・山幸彦神話とその真意」を参照してください。
 その中に「山幸彦は、アシカの皮と絹で出来た敷物でもてなされた。」と書かれています。
西暦700年前後に、この文章は大きなサプライズと考えます。
つまり、ついつい自分の教養が出てしまったのです。
「三貴人」の蛇足とは大きな違いがお判りと思います。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

古事記「黄泉の国物語」の挿入改竄

      古事記「黄泉の国物語」の挿入改竄
 古事記に出てくる「黄泉の国物語」は挿入文の改竄と思われます。
 イザナミが黄泉の国から帰ってきた時、穢(きたな)い体を禊(みそぎ)します。その時三貴人が生まれます。
天照大御神:イザナミの左目から:太陽神 女神
月読命  :イザナミの右目から:月神 不明
須佐之男命:イザナミの鼻から :海神 男神 とされています。
 おのずとアメノウズメ(天鈿女命)=ヌカダノオオキミ(額田王)=ツクヨミノミコト(月読命)の式を考えてしまい勝ちですが、この物語は明らかに後世の挿入分です。
 その理由として、古代天文学は星の観測ですので、太陽や月が出ていては観測できません。
そのため、挿入文の作者は天照大御神の正体がわからず、作成し挿入したものと解釈されます。
 尚挿入文の内容は仏教系に近いので、記紀完成後の早くから挿入されたのではないかと思われます。例え三貴人の解釈を間違えているにしても、月読命はその後 記紀には登場しません。
 挿入文作者は得意がって、書き記したと思いますが、見る人が見れば明らかなのです。
 神話とはこのように嘘をついたり、挿入したりしても著者のレベルが高いので、それに合わせようとするとレベルの差が出てしまうのです。
 繰り返します。太陽信仰は一神教であり、太陽や月が出ていては星は見えなくなり、天孫降臨現象はみえません。こんな簡単なことを知らないとは、この挿入者は日本書紀の裏付けが天文学でできていることを全く知らない人です。

 つまり、絵は上手に描けたのですが、蛇に足をつけてしまったことになるのです。 お判りですか?
また、この挿入文が、何時入れられたかは判りませんが、それを指摘できなかったことは、記紀は今まで、読み切れていなかったことを証明しています。
 このような挿入部分があるため改竄の疑いがかけられると思われます。
確かに紛らわしいですね。 皆さんの献灯を祈ります。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

和珥氏

和珥(和邇・丸邇)
春日(大春日)・布留・櫟井
大宅・高橋
柿本・粟田・小野・山上
 
 海神の神使いである「ワニ」を名にし負う和珥氏は、阿曇氏と並んで海人族の雄である。闕史八代の5代孝昭天皇を祖とし、四道将軍、後には遣唐使、遣隋使を多く輩出している典型的な海人系の氏族と言えよう。
和邇臣は埴輪などの祭祀関係土器製作者集団の統率者で、山陵の管理と、古墳埋葬者(天皇・皇族)の事跡を語り伝える役目を有して朝廷に重きをなしたといわれる。埴輪というと、土師氏・菅原氏・大江氏の祖、野見宿禰を思い出すが、系譜的に重なるところはない。土師器ではなく須恵器とみて、陶都耳命の系統ではないかと思う。尚、宮主矢河枝比売に見られるように、和邇坂の赤土を神聖なものとしており、「丹土」で詳しくのべるが、赤土を神聖視するのも海人の証拠であり、埴輪はこの土で制作されたのかもしれない。土は「に」と発音し、「邇」とも書かれることから、和邇の「邇」は「土」ともいえるのではないか。また、古墳埋葬者の事跡を語り伝える役目というのは、阿曇稲敷にみられるように、海人語部らしい役職である。
尚、和邇(和珥)部、丸部、丸子(和仁古)、丸子部の各氏については、「部」や「子(古)」を和邇氏に隷属していた氏族とみるか、同族から派生した支族とみるかによって意見は異なるだろうが、「子」を親愛の表現と見、「部」についても、「新撰姓氏録」に「和邇部朝臣同祖、彦姥津命の五世の孫、米餅舂大使命の後」とあることから、ここでは同族とした。
また、和邇氏の実質上の祖といえる彦坐王の子孫から、息長帯比売(神功皇后)が出ていることから見て、近江の息長氏と密接な関係で結ばれていたことが分かる。

と書かれておりました。