源氏 大川周明 日本二千六百年史 | 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ

源氏 大川周明 日本二千六百年史

源氏
源氏の盛んなのは経基に始まる。経基は清和天皇の第六皇子貞純親王の長子なるが故に、六孫王と呼ばれ、武蔵・上野の地方長官として関東に居り、将門の乱を征討して功を立てた。その子満仲もまた常陸介・武蔵守・陸奥守・鎮守府将軍として勢威を東北に扶植し、その子頼信は忠常の乱を鎮定し、陸奥守・甲斐守を歴任した。頼信の子頼義は、相模守として殊に士心を得、安倍頼時の乱を鎮定した。而して、その子義家は、清原武衡の乱を鎮定し、八幡太郎の名は関東武士渇仰の中心となった。諸国武人殊に東国武人の主盟となれる源氏は、もしその実力を自覚し、かつ政治的野心を抱蔵したならば、既に頼義・義家の時に於いて、日本史の局面を一転し得たのである。されどこの時に当たりて藤原氏はなお天下に対して至上の勢力を揮っていた。人心の惰性は、すでに政治的実力を失いて、当然亡ぶべかりし藤原氏をして、なお暫くその威厳を保たしめた。その実力を以てすれば、源氏は大いなる困難なしに藤原氏を倒し得たに拘らず、却ってその家臣たるに甘んじ、その爪牙となって寵遇を失わざらんと努めていた。かくて藤原氏は、その空しき栄華を源氏の忠勤によりて継続し、源氏は藤原氏の威厳を背景として諸国武士の上に臨み、道理としては不思議なる、されど事実としては珍しからざる関係によりて、両者は互いに助け合った。(大川周明日本二千六百年史)
と書かれておりました。