カタカムナの世界 | 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ

カタカムナの世界

カタカムナの世界
「カタカムナ」・・・忘れ去られた神の名が今、蘇る
 カタカムナとは、上古代の約1万2000年以上も前に、日本で栄えた高度な文明の名であるとされている。何故、縄文以前かというと、「カタカムナ文字」又は「カタカムナ文明」が存在したという痕跡は、縄文時代以降の遺跡や記録には全く見つかっていないからである。又、世界の古代文明でも、この様に、幾何学文字を渦巻き状に描き出すという類似文字は発見されていない。
 「カタカムナ」という神の名がこの世に甦ったのは、1949年(昭和24年)にカタカムナ文献の発見者であり、カタカムナ文字の解読者である楢崎 皐月(ならざき こうげつ)氏が、兵庫県六甲山系金鳥山付近で、大地の電位測定の為の調査を行っていたところ、「平 十字(ひら とうじ)」と名乗る猟師風の男性に出会ったことから始まる。
楢崎氏を気に入った平氏が、彼の祖先から、大切に受け継いできたという「カタカムナ神社」の御神体の巻物を楢崎氏に見せた。 
これが、「カタカムナ ウタヒ 80首」で、それらは上記の図のように、渦巻き状に綴られた幾何学的な文字であった。
平氏によると、「この御神体は、目にしただけでも、目がつぶれる」と言い伝えられてきたそうである。楢崎氏は、これを見た瞬間、彼が満州滞在時代に、老子教の「蘆有三(ロウサン)」という道士から聞かされていた、上古代に日本に存在したという「アシア族」の八鏡文字(ハッキョウモジ)ではないかと直感した。
そして平氏にその巻物の書写を願い出たのだ。平氏はそれを許可し、それから彼は、金鳥山の楢崎氏が居住する穴倉に御神体を毎日持参し、書写を見守ったという。この時、写し取られたモノが、「カタカムナ文献」として残されている。
その後、楢崎氏は、長年の研究を重ね、古事記その他の古文献を参考にし、カタカムナ文字の解読に成功した。
カタカムナ文献とは、カタカムナ ウタヒ80首からなり、基本的には5音・7音の区切りで詠われているコトから、日本の和歌や俳句の源流であると言えるかもしれない。
又、古事記の「上つ巻」に登場する御神名が、天石屋戸の物語のところまで、その順番でほとんど登場するので、古事記編纂で、稗田阿礼が誦習(ショウシュウ)した際に参考にしたという帝紀、旧辞の一つである可能性もある。
カタカムナ ウタヒの内容は、「カタカムナ」という生命の根源が、すべての生命、物質の核であり、そこからトキトコロが発信放射され、生命活動が維持されている・・・そしてこれは、宇宙の全ての物質、生命体の中に相似なる象(カタチ)として存在するという、その摂理が、潜象物理として描かれているのである。
と書かれておりました。
コメント

今から約1万2000年以上も前とは、上記表にあるように海水面が120mも低く、中国、四国、本土が陸続きの状態で、瀬戸内海はありません。
イザナギ、イザナミで有名なメンヒルが造られた時代だと思われます。
未だ、研究の段階ですが、この民族は金属を求めて世界中を探索した民族で、メンヒルはその目印と考えられます。
 日本書紀を書いた粟田真人は遠い過去の民族のことまで、書き記しているのです。彼はペルシャ天文学だけでなく、列島に昔から住んでいる、金属文化と古代天文学を知っている民族とも付き合いがあったのでしょうか。
日本の「記紀」はとても奥が深いようです。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。