もう「きっかけ」というタイトルは文章と合わないので
タイトルを変更しました。
FA・希望枠入団の実施と共に成績が下降線を描き始めたカープ。
今年(2014年)でファン暦としては25年になりますが、10年くらいブランクがあったのも事実です。
カープへの興味というよりプロ野球に対して熱が冷め始め、次第にTV中継等も見なくなりました。
期間としては1997~2006年くらいの間でしょうか。
徐々に知っている選手も減り始め、球場に足を運ぶ事もなくなりました。
ただ、たまに新聞で勝ち負けを確認したり、相変わらずゲーム等ではカープを選択するなど
完全に興味が無くなった訳ではありませんでした。
5でも書きましたが、希望球団枠により有望な若手の入団が難しくなったカープ。
そんな中でも優秀な若手は入団してきました。
現投手コーチの山内、沢崎、小林幹など新人王やそれに準ずる活躍をした選手もいました。
しかしカープが弱体化してしまったのは
いわゆる「使い潰し」です。
弱体化した投手陣は優秀な若手に頼らざるをえず、結果酷使による怪我で選手生命を
絶たれるという悲劇が繰り返されました。
上記三人は酷使による怪我で選手としては短命に終わってしまいました。
その結果、本来ならば彼らが投手陣を支えなければならない時期に
投手力が低下し、勝てないチームとなってしまったのです。
(自分は上記3人はカープから距離をおいていた時期ではありましたが、応援していました)
彼等と同世代でカープに入団した(沢崎とはドラフト同期だったはず)現ヤンキースの
黒田などは彼等程酷使をされたわけでもなく
体が丈夫だったのか、いまだにメジャーリーグで活躍していますが。
久々にカープ熱に火がついたのが2007年のオフ。
弱体化していたカープに大危機が訪れました。
それは
エース黒田と4番新井の移籍。
いわば投と打の軸をいっぺんに失うという悲劇です。
前年までも5位と成績が振るわなかったカープ。
翌年は間違いなく最下位と自分も覚悟しました。
えー、久々ですがこのタイトルで書きたいと思います。
(今日は酔っ払っていますので誤字・脱字は勘弁の方向で・・・)
カープが91年に優勝してしばらく。
高校時代は球場に通ったりして優勝できないながらも
スポーツニュース、新聞の記事、たまに放映されるジャイアンツ戦などで
陰ながらカープを応援していた自分ではありますが、徐々に自分も
大学受験、大学生活、就職活動、就職後の社会人として私生活が繁忙となり
以前ほど熱を入れて応援出来ない時期になりました。
その熱の冷め様と比例する様にカープの成績は下降線をたどり
Bクラスの常連となりはじめました。
カープ熱が冷めた要因としては、好きな選手であった長内選手の移籍、
正田選手、大野選手の引退などと共に
FA制度の実施などがあったと思います。
他の球団に対して資金力では圧倒的に劣るカープ。
せっかく育ってきた選手や、過去球団を支えてきてくれた主力選手の移籍は
いわば徐々に身を削られていく思いでありました。
江藤選手、川口選手、金本選手。主力の選手が次々と移籍して行く中、
ドラフト指名選手に対してもカープ球団には不利なルールが施行されます。
それば「逆指名制度(希望枠入団)」
ドラフトで指名されるアマチュアの選手のうち、各球団2名までは
クジ引き無しで希望球団に入団出来るというもの。
正直、この制度が始まった時に思いました。
「これで日本のプロ野球も終わったな」と。
特に資金力に劣るカープ球団にとっては痛手でした。
育てた主力はFAで移籍し、有望な若手は希望枠で他球団に入団する。
正直球団の未来に希望的展開は皆無でありました。
この条件でカープが強豪になるには
「注目されない若手を、FAを取得する前短期間で育て上げその選手がFAを取得する前に
次の若手を育成し主力にする」
というかなりハードルの高い条件しか残されていませんでした。
その条件は当然クリア出来るはずもなく、カープはいつのまにか5位が指定席と
なって行きました。
※FA制度自体は選手のれっきとした「権利」であり、否定するつもりはありません。
資本主義、プロである以上は条件の良い球団に移籍するのは自由でありますし、
低年棒で球団に縛り付けるのは良くない事だと理解はしております。
先日、プロレスリングNOAHの田上明選手が引退しました。
今年の5月に同じくNOAH所属の小橋建太選手も引退し
大物レスラーの引退が続いた事になります。
思えば90年代のプロレス界を沸かせたレスラーって
どんどん引退してゆきますね。
90年代のプロレスラーと言えばやはり
新日の闘魂三銃士と全日四天王ですが、
橋本真也選手三沢光晴選手は既に亡くなられ
田上明選手・小橋建太選手は引退
川田利明選手・蝶野正洋選手は半リタイア状態
現役として残っている武藤敬司選手も
膝の状態を診ながらの参戦と、万全とは言えません。
あの時代の激しいプロレスのツケが50歳近くになった
彼らの肉体に来ているのかもしれません。
引退と言うと寂しいイメージがありましたが、
今回 田上選手の引退試合後のすっきりした
笑顔の写真をみると重荷をおろした爽快感を感じました。
今年同じく引退した広島の前田選手も同じ様に感じました。
一時代を築いた大選手
現役に未練がないとは思いませんが、
やりきった感はあるのでしょう。
選手としては引退かもしれませんが
人生の引退はまだまだ先です。
第二の人生、頑張って下さい。
お疲れ様でした。
FA
フリーエージェント(Free Agent)
直訳すると いずれの球団とも選手契約を締結できる
権利をもつ選手のこと
だそうです。
プロスポーツでは頻繁に行われ、サッカーやアメリカMLB
ではシーズンオフに多数の選手が移籍します。
ストーブリーグと言われるシーズンオフのスポーツの楽しみ方
のひとつでもあります。来期へ向けての戦力補強で
いろいろと楽しみも膨らみスポーツ紙等を賑わせます。
日本のプロ野球(NPB)でも1993年から開始となり
多数の選手がチームを移籍しました。
この制度自体は選手の権利であり、自分の選手としての評価
を他球団に聞いたり、入団時にドラフトで希望球団に入れなかった
裏返しとも言えます。
また、活躍の場を求めて他球団に移籍する場合だってあります。
でも、この制度ってファンからしたらどうなんだろう?って
少し考えます。
獲得球団のメリットが大きすぎて、また放出球団のデメリットが
大きすぎる様な気がします。
大抵獲得球団は資金力が豊富な人気チームばかり。
放出球団は資金力が乏しいチームばかり。
プロのスポーツである以上、お金が全てなのは当然です。
しかしこのままでは強いチームはさらに強く、弱いチームはさらに弱く
の二極化が拡大するのでは。。。
毎年優勝争いするチームが固定されてくると、人気にもかげりが見えるのは
至極当然の気がします。
最初に言った通り、これは選手の権利なので
否定する気もありませんが、
ファンあってのプロスポーツであり、
ファンあっての選手なのではないのかと
考えてしまいます。
退団する選手を否定するのではなく、
この制度のあり方をもう一度考えてみて欲しい気がします。
久しぶりにこのタイトルで書きます。
3からの続きです。
まぁもう ”きっかけ” では無いんですけど。。
91年に優勝したカープは日本シリーズで王者西武に負けてしまいます。
今から考えると、これが最後のリーグ優勝で日本一へのチャンスだった訳で
当時は残念だったけど、また来年があるさ 位にしか考えていませんでした。
その後にこんなに長く暗黒期が続くとは思いもしませんでした。。。
今考えてみるとメンバー的によく優勝できたなってのがあります。
チームのメンバーは
エースで17勝をあげた佐々岡、左のエース川口、昨年までの不調から脱した北別府。
谷間の先発に金石、足立。中継ぎにはこの年台頭した左の石貫、安定感の川端。
抑えは当初のダブルストッパー構想のなか、津田の離脱により一人になった大野。
まぁ投手陣は安定してすばらしいものでした。
しかし、打線はと言うと。。。
四番を務めていた小早川の不調により代打の切り札の西田が4番にまわり
チームの最多本塁打が11本。それも規定打席には到達していない江藤とアレン
3割バッターも1番の野村のみ。
完全に投手力で優勝した感じでした。
その後にチームの主力となる前田、緒方、江藤なんかもまだまだ若手の域で
チームの主力ではありませんでした。
リーグ優勝争いをしている時に友人(中日ファン)から「カープ優勝しそうだね」って
言われても
「あんな選手(打率が1割台だった若き頃の緒方選手)をスタメンで使うようじゃ優勝なんて出来ない」
って答えた記憶もあります。
今考えればとても失礼な発言でした。。。。。
その後のチームを永きに支えてくれた緒方選手に対して。。。。すみません。
翌年もカープは優勝争いをしていましたが、混戦のなか4位に終わりました。
ファンになってはじめてのBクラス。ショックはあまり無く、運が悪かったくらいにしか
考えませんでした。
多分この年が自分が始めてスタジアムで本当の意味で野球観戦をした年でした。
子供の頃に親に連れられて東京ドーム等の内野席で観戦したことはありましたが、
その頃は野球にはあまり興味が無く、勝っても負けてもどちらでもいい感じでしたから。
やはり自分が熱を込めて応援するチームを外野席で応援するのに完全にハマりました。
2013年のカープのシーズンが終わりました。
16年ぶりのAクラス
CSファーストステージで阪神に連勝しファイナルステージへ
これでけ見ればよくやったと思いますが、
3位とはいえ借金3
ファイナルステージでは1つも勝てずに
3連敗で終戦。
もっと夢を見たかったってのが正直な感想です。
でも、久々のAクラス。
素直に喜ぶ事としましょう。
今年は良くも悪くも誤算が多いシーズンでした。
悪い誤算は
栗原の絶不調
東出の離脱
前田の骨折、そして引退
良い誤算は
キラの加入
永川・横山の復活
若手(丸・菊池)の飛躍
ですかね。
ただ、来年はどうでしょう?
今年はヤクルトの館山や
中日の吉見といった主軸が故障して
自滅した為の
棚ボタ的な部分も多いので
来年はヤクルトや中日は今年のようには
いかないと思います。
そして横浜や阪神は
得意の大補強をしてくる事でしょう。
カープは資金的に大補強は出来ません。
来期に向けてフロントは、
何は無くとも戦力がマイナスにならない様に
FA取得選手には最大限の誠意を見せて頂きたいです。
大竹・石原・永川
誰が抜けても、かなりの戦力ダウンです。
そして現場は
現有戦力の底上げに力を注いで下さい。
まずは今年より戦力がマイナスにならない様に
そして出来れば上積みを。
今年の戦力が来年も活躍してくれる保証はどこにもありません。
Aクラスになったって慢心をもっていると
最下位にだってなり得ます。
冗談ではなく。
ギャンブル・・・賭博。金銭や品物などの財物を賭けて偶然性の要素が含まれる勝負を行い、その勝負の結果によって賭けた財物のやりとりをおこなう行為
要は賭け事です。
合法的なものから非合法なものまで様々あります。
合法だから正しい、非合法だから悪い事。
なんて考え方はナンセンスなわけで賭け事は賭け事。
良いも悪いもありません。
ギャンブルについては否定も肯定もしません。
(まぁ合法ギャンブルっていうのもどうかとは思うけど)
違法なものはさておいて合法なものとしては
競馬・競輪・オート・競艇、あとは宝くじとかでしょうか。
勝つときも負けるときもあるから熱くなれる。
たしかにその通りです。
でも自分が知っている限り、頻繁にギャンブルをする人で
ギャンブルで勝ち越している人っていません。
一人も。
そりゃ何万の一の確率では宝くじで云億円当てたり
万馬券的な当りを当てる人はいるでしょう。
でもその確率って野球をやっている人がプロになって活躍する確率や
柔道やっている人がオリンピックに出場するのと
さほど変わらない確率じゃないのではないでしょうか。
昔から「賭博は胴元が勝つようにできている」って言われます。
当然です。胴元はプロなんですから負ける勝負はしません。
長い目でみれば必ず勝つシステムを構築してから主催しているんです。
(非合法ですが)賭け麻雀や賭け将棋で、素人同士の争いなら
そうともいえませんが、その場合は胴元は相手ではなく、雀荘や将棋場
ですからやはり場所代をとるという事で利益を得ています。
ま、場所代は合法ですしね。
ここまで書くとギャンブルを否定している様に
感じるかもしれませんが、
否定はしていません。
パチンコ屋のCMじゃないですけど
「平凡な日常に少しのスリル」
って悪くないと思います。
ただ、自分はやりません。
もうやりません。
怖いからです。
理由は勝っても結局は負け
だからです。
性格にもよりますが
一回のみの勝負なら全然問題ありません。
勝っても負けても一度きり。それならば。
自分がギャンブルで怖いと感じるのは
継続性
負けたら当然マイナスですし
勝ったら勝ったで、その勝ったお金を
次の勝負につぎ込む。
当然ずっと勝つことなんて出来ません。
きっと負けるまで勝負する事でしょう。
まぁ性格にもよるとは思いますが、
自分はほぼそうです。
自分はそれが怖いのです。
結局のところ、ギャンブルは必勝法なんてありません。
ただ、負けない方法は一つです。
ギャンブルはやらなきゃ負けません。
今年16年ぶりにAクラスに入ったカープ。
長い低迷期がありましたが
自分がカープファンになった頃はとても強かったのです。
80年代の黄金期を過ぎ、主軸の山本・衣笠が抜けたとは
いっても投手王国は健在で毎年Aクラスでした。
現在とは違った感じで
セ・リーグはAクラスBクラスが分かれていました。
たいがいAクラスは巨人、広島、中日
Bクラスはヤクルト、阪神、大洋でした。
総合力の巨人、投手王国の広島、恐竜打線の中日
3チームの三つ巴が毎年繰り広げられていた気がします。
投手力以外にも鉄壁とも思える守備と他チームを圧倒する走塁。
派手なホームランバッターが居ない以外はかなり安定した強さでした。
ファンになりたての自分は投手が良いのは当たり前と思っていた程でした。
今とは違い、インターネットもCS放送も無い時代。
埼玉在住なのでラジオを傾けながらRCCをなんとか聞いてみたり
たまに放送する巨人広島戦を楽しみにしていたり
なけなしのお年玉で月間THE CARPを定期購読したりしていました。
ただファンになって2年は優勝は出来ませんでした。
2年とも優勝したのは巨人でした。
カープは2年とも2位。
ぜいたくな悩みでしたが、自分は不満でした。
しかしファンになって3年目。若きチームリーダー野村、
若きエース佐々岡が中心になって優勝しました。
マジック1で迎えた阪神戦はダブルヘッダーでした。
今では考えられない様なデーゲームの後にナイター。
1試合目はTV放送があったのですが
1試合目の阪神の投手は猪俣投手。
不安定な投手というイメージでしたが、(失礼だとは思いますが)
年に1回あるかどうかの大好投。カープは負けました。
2試合目はTV放送はありませんでした。
TVでは巨人の消化試合を放送していました。
自分はふて寝をしていたら、姉から「カープ優勝したよ」と起こされました。
ふて寝(昼寝)のせいかもしれませんが、その晩は眠れませんでした。
中一の頃でしょうか。
とある時にクラスメイト達とプロ野球ゲーム(ファミスタかな?)
のトーナメント戦を行うって話になりました。
ルールとしてはチームのかぶりは無し。
つまり全員が違うチームを使用して戦う事になりました。
当然人気チームである巨人や地元の西武は売り切れ。
他に空いているチームを尋ねると阪神・阪急・ロッテ・そして広島・・・
正直、巨人や西武以外のチームは選手すら、よく判らない。
かろうじて選手を数名ほど知っている阪神にしようかとも思いましたが
当時の阪神は暗黒期。
それはゲームのデータにも反映し、わざわざ弱いチームを使うのも・・・って思いました。
自分は野球通の友人に尋ねました。
他に強くて空いているチームはないのかと。
友人「あとは・・・広島とかかな。結構強いよ」
自分「どんな選手がいるんだ?」
友人「北別府、大野、高橋慶彦とか・・・」
当時大野選手や高橋慶彦選手は知りませんでしたが
以前TVで見た巨人戦で好投していた北別府投手の名前にピンときました。
自分は広島を選びました。
ファンになった直接のきっかけは、このゲーム大会でした。
つまり「余っていたから、仕方なく」です。
ゲーム大会の結果は散々でしたが、その後も徐々に広島カープというチームに
興味を持ち出し、選手も徐々に覚えて行きました。
翌年にクラスで席替えがあり、とある女子と席がとなりになりました。
その子は大の巨人ファンで休み時間等に結構野球の話題を持ち出してきます。
また担任の先生も大の阪神ファンで野球の話で盛り上がります。
自分も負けていられないので少しづつカープの話題で切り返す。
昨日は勝った、負けたで話題も膨らみます。
そんな感じで徐々にプロ野球の熱に取り込まれて行きました。
当時のカープ(1989年)は山本浩二監督が就任した年で投手王国。
先発は北別府・大野・川口の三本柱。
しかし打線は加入した外国人ロードン以外は
ホームランもあまり期待できない地味なチーム。
いわゆる玄人好みの守って勝つチームでした。
少年が憧れるホームラン等の派手なチームではありませんでしたが、
3人の選手に憧れる様になりました。
一人は巧打で堅守、俊足の正田耕三。
一人は長打が期待の長内孝。
最後は左のエース。七色の変化球 大野豊
この3人の活躍に夢中になりました。
