学校と家庭での“できる”の認識の差について


今回は排泄自立についてです


生活自立の中でも排泄だけ抽出したのには理由がありますが


まず学校側が認識する

排泄自立が”できて“いる状態とは

トイレに一人で行けて、後始末まで一人で完了できる

授業中トイレに行きたい旨を伝えられ、一人で行ける


要は普通級の児童と同じレベルである、と認識する場合が多いかと思います

※個人的意見です


家庭では上記排泄自立が完了している場合は

園生活ではどうか?

→先生の声掛け無しで行けているか

家庭以外の家(友人宅、親族宅等慣れていない場所での排泄)での自立はどうか?

→場所を指示されれば一人で行けるのか等

公共施設(スーパー、旅行先等)での自立はどうか?

→個室に一人で入れるか、保護者の声掛け無しで行きたい旨を意思表示できるか等


上記が問題なくできていれば“できる”という認識で問題ないかと思います


就学相談時にクリアできていないことがある場合は是非現段階ではどのような支援が必要なのか(声掛け、付き添い等)を共有してください


排泄自立の認識共有が大切なのは

近年の傾向として異性の排泄支援はできる限り行わないことが理由です

※この観点から、同様に着替えの自立の認識共有も重要となります


ご自身の地域の学校の支援員の性別が隔たっている場合

排泄支援の度に担任や担当でない同性の支援員や教員を確保するのはかなり難しいです

※人員確保まで我慢させるわけにもいきませんしね


保護者と教育現場側もそうですが

なにより児童の心理状態を考慮することも考え

保護者の認識のみで「排泄自立は完了している」と決定すべきではないと思います


特に女子児童の場合は高学年になると生理の問題もでてきますし

男子児童も性的興味がでてきます

排泄自立が未完了なことを共有できていない為で該当児童や周囲の児童が混乱しないためにも

入学前に是非第三者、又はご家庭以外でのお子さんの排泄自立の段階を今一度冷静に判断することをお勧めします


※うちの子は女の子だし、うちの地域は女性の支援員が多いから問題ないでしょ、という話ではありません

自立できている(保護者の感覚では)→教育現場では支援が必要

=待たせることのできない排泄行為に関しては支援の不足が深刻な問題となりうる、という話です