我が家の不登校歴史 娘編です
娘は何度か書いていますが、かなりの嗅覚過敏です
※現在進行系
成長していくうちに少しずつ弱まっているようですが、体調を崩したりストレスが溜まると過敏になりやすいようです
そんな娘ですが、学校自体は登園、登校渋りとは無縁でした
ただし給食の匂いは長い間受け付けず、結局小学校6年間お弁当持ち込みでした
更に教室で食べるのも苦痛のようで、当時既に支援員として働いていた私と共に空き教室で食べることも多かったです
ありがたかったのは学校が柔軟に対応してくれたことと、お友達に恵まれていたことでしょうか
(幼稚園は給食なしの園が近くになく、お弁当持ち込みを打診してもアレルギーでないならNGと言われ、隣の市の幼稚園まで自転車送迎をしていました)
同じ教室で食べられなくてもそれを怪訝に思うことなく接してくれていたおかげで、娘は体調不良以外の欠席と無縁な小学校生活を送りました
中学もほとんどのクラスメイトが同じ中学に進学するため、そこまで不安はありませんでした
※中学は購買か申し込み給食かお弁当が選べました
中2になったばかりの春
娘が泣きながら学校から帰宅し、もう学校に行きたくないと泣き喚きました
何が起こったのか、落ち着いた娘に尋ねたところ
娘は匂いを少しでも感じにくくする為に年中マスクをつけているんですが
酷い時はマスクの下に鼻栓をしていました
※呼吸の妨げにならないもの
普段はお昼前後にトイレで着脱していたのですが
うっかり忘れてマスクを取り、クラスメイトに鼻栓をしているのを見られたとのこと
私は正直そのくらいで…と思ってしまったのですが
思春期真っ只中の娘には耐え難かったのだと思います
②に続きます