※完全なる私見です
障害を持つ児童に対する療育は基本、オーダーメイドのようなものだと思っている
同じ疾病名がついていても
薬が効く児童、効かない児童、後々を考えると服用を躊躇する児童
困り事へのアプローチも絶対に効果的な方法があるわけでなく
医者や教育者はその経験と知識から、目の前の児童の特性を考慮して最適と思われる療育を考える
支援者はそれに基づいてサポートし、医療や教育機関、家庭との共有をする
年と共に特性やこだわりも変化するかもしれない
そのたびにその児童の”今“に適した支援方法を検討する
長年療育に携わる医療従事者や教育者、支援者を見てきた私からすれば本当に大変な仕事だと思う
私も支援者の端くれだが基本的にサポート役に徹しているので、いつもその決断力や責任感に尊敬の念を覚える
このようなサポートを現在の小学校支援級でどのくらいの自治体が可能なのだろう
かなり厳しいだろうなと思う
8人を上限に担任が1人+支援員(数は自治体によって様々)
それぞれ特性も困り事も違う
児童によって異なる支援が必要な時と場所、イベント
それを支援級の担任一人+支援員で賄えるか
故に現状の支援級には
各自治体や教育機関が定める”ここまで“というラインがあるのだと思う
※排泄自立、発語、コミュニケーション能力等
その“ライン”は
各自治体の教育者数や支援者数
支援級の現状
支援学校の現状
等、一律に定められない不確定要素を加味しなければならない
就学相談での判定はだから自治体によって基準が異なる
少なくとも私の地域での支援級では、いわゆる療育的要素を希望されても難しい
支援級のクラスメイト全員がいかに快適に、問題を起こすことなく(悲しいけれどここが一番重要なのが現実)勉強できる環境を作るか、そこに注力している
いずれブログに書きたいと思っている支援学校を見学した経験
その手厚い支援に感動した
勿論地域によって支援級も支援学校も様子が違うから
一概に言えることではないのかもしれないが
その手厚い支援を断ってまで
地域の小学校にこだわる保護者の気持ちがどうしても理解できない
なんというか、障害受容ができていないとか
せめて小学生のうちは健常児と触れ合ってほしいとか
様々な感情があり、こだわっているのだなと言うのは頭ではわかるけど
それは子供の将来より優先すべき事項なのか
そこがどうしても解せない
こんな考えの私が果たして支援者として存在すべきか悩んだりもした
偏見と言われれば偏見なのかもしれないとも思う
でも私が胸を張って言えるのは
私が関わっている児童に対しては、今までもこれからも精一杯できることはしてきた、していきたいということ
その保護者の思いは理解できなくても
子供のことは全く関係ない
ただ恐らくこんな私に支援されたくない人もいるだろう
万が一私に現実世界で出会い、私であるが故に支援を受けたくないのであればそれは是非ともそう言ってほしい
子供のためにも、家庭と教育機関、支援は信頼関係が大事だから
…なーんてつらつらと考える眠れぬ夜
※別に現実でなにか言われたわけでもなんでもないですが
ここのところずっと自分の今後を考えていて
なんとなく文語化したいなと思っただけです
あーまだ寝れないな…