赤坂真理の『愛と性と存在のはなし』を読んだ。
11月10日の発売記念のトークイベントでも話されていたが、締め切りの直前になって、加筆されたという5章〜終章の圧倒的な吸引力と展開に何度も確かめるように読み直した。
はじめに、を読んで、次にいきなり5章〜終章を読み、もう一度最初から全部読み直すということをした。5章〜終章がこの本の核心だからだ。
『愛と性と存在のはなし』は私のようなトランスジェンダーのために書かれた本でもある。
ヘテロの多様性が、性同一性障害という鏡に映し出されることによって理解が深まっていくというプロセスを書き綴っていく力量に唖然とする。
その量において甚だしいものは、その質の真実を照らしだす。
それはアディクションなどの分野でもしばしば見受けられる。私のような重傷の依存症者に本当に興味を持って近づいてくる人は、一見社会生活をこなしながらも、なんらかのアディクションを抱えもって生きづらさにあえいでいる人が多いからだ。
私自身は性同一性障害の診断を受けているが、ヘテロとしての生活を長い間送ってきた。それが、ある日を境としてトランスジェンダーのTとして、LGBTのTとして自らのアイデンティティを打ち出して生きることとなる。
それじゃ、昨日までのヘテロ生活というものはなんだったのだろう?という自らへの問いを棚上げして。
自分の中に分断線を引いてしまう。
最初から、ヘテロこそ多様であるという概念に巡り合っていたら、まだクローゼットの中にいた私が毎日心を掻き毟られるほど、トランスして行った人たちのことをまぶしく横目でうかがい、自分もそうなろうとすることに強迫的になったかどうかさえわからない。
だが、そこにこそ見えなかった本質があった。
『愛と性と存在のはなし』を読んでほどかれたもの。
ああ、トランスジェンダーとして、私はこの本に心底救われた!
性的マイノリティは存在しない、性的マジョリティも〜という一文ほど自分にしっくりくるものはない。
ヘテロにも多様性があるという言葉はヘテロの中から発せられてこそニュースになり共感を呼んでいく。
私の中のヘテロもトランスも1本の分断されない道の上にいる。そういう認識をもたらしてくれた。
まり、ありがとう
墓場まで持って行きたい本だ。