「あなたは粋ですか?」
そんな問いかけに、どれだけの人が応えられるだろうか。
そもそも、「粋」とはなんだろう。
言葉の由来としては江戸言葉に分類され、いわゆる江戸っ子が使っていた言葉である。
これは非常に主観的な言葉であり
発話者の思う「粋」像にマッチしていた場合、対象者は粋人になる。
つまり、「粋」を定義することは難しく、
そもそも定義してしまったら、その条件に合っていても「粋」ではなくなるのではないかと思う。
なんとも「粋」とはやっかいな概念である。
とはいえ、日本でごくごく一般的に生活してきた人ならば
なんとなく沁みついた「粋」という概念を持っているのではないかと思う。
これが、ナショナルアイデンティティなのか。
問題は、「粋」という概念を説明するときである。
説明するとどうしても「粋」を言葉にしなければならない。
しかし、先ほどの考え方からすると
言葉にされた「粋」はすでに「粋」ではない。
では、本当の「粋」を理解するにはどうするべきか。
それは、自分の「粋」像を形造るということである。
それには、様々な「粋」に触れるしかないのではないかと思う。
Aさんの「粋」
Bさんの「粋」
…
それが積み重なって積み重なって自分の「粋」ができる。
あなたは自分の「粋」を持っているだろうか?
そして、あなたは「粋」だろうか?
ちょっと意識するだけで、粋な人生になるかもしれない。
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