生と死の境界 「人魚の眠る家」 | meaw222のブログ

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映画・ドラマの部屋

 

もし、自分の愛する人が、二度と目を覚ますことがないと知ったら、

 

あなたなら、どうしますか?

 

 

これは、東野圭吾さんの小説「人魚の眠る家」のテーマとなっている問いかけです。

 

 小説家・東野圭吾

 

東野圭吾さんは、高校時代に小説家を目指します。その後、大阪府立大学工学部電気工学科に進学。大学在学中はアーチェリー部の主将を務め、デビュー作『放課後』では題材として使われています。

 

大学を卒業後は、日本電装株式会社(現デンソー)に技術者として入社。勤務の傍ら推理小説を書き続けます。そして、1985年に『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞し、小説家としてのキャリアをスタートします。

 

しかし、しばらくは、今一つ人気が出ずに困難の時代を過ごします。そして、今のような人気作家になるキッカケとなったのが、1998年に発表した「秘密」。これにより、一気に大ブレイクします。同書は映画・ドラマ化されたほか、第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞。

 

その後は、「ガリレオ」「新参者」シリーズや「マスカレード・ホテル」「白夜行」「手紙」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」など、映画化された小説が多数あり、この外にもテレビドラマ化されており、ほぼ全ての小説が、映画またはテレビドラマとして世に出されています。

 

東野圭吾さんの小説は、作品を重ねるごとに徐々に作風が変化しています。初期の本格推理のようなトリックに重きを置いた作品が減少し、社会派推理小説のような現実的な設定にこだわるようになります。

 

とは言っても、初期のころから小説題材が、工学部を卒業ということから「ガリレオ」シリーズに代表されるように、科学的なテーマが中心となっている作品が多いという特徴をもっています。

 

今日紹介する映画「人魚の眠る家」の同名の原作も、人間のロボット化と脳死が、中心的なテーマとなっています。

 

 映画「人魚が眠る家」

 

 

映画「人魚が寝る家」は、東野省吾さんの同名小説を原作としており、2018年に製作されます。

 

主人公の夫婦に、篠原涼子さん、西島秀俊さん、その他の主要な人物として坂口健太郎さん、川栄李奈さん、山口紗弥加さん、田中哲司さん、らの演技の上手い役者が勢ぞろいしており、そこに大ベテランである松坂慶子さんや田中泯さんなどが、この作品を更に味わい深いものにしています。また、脳死の少女役を演じた稲垣来泉さんの演技も見ものです。

 

この映画は、愛する娘の悲劇に直面し、究極の選択を迫られた両親の苦悩を描き出しています。

 

2人の子どもを持つ播磨薫子と夫・和昌は現在別居中で、娘の小学校受験が終わったら離婚することになっていた。そんなある日、娘の瑞穂がプールで溺れ、意識不明の状態に陥ってしまう。

そして、病院で娘が「脳死状態」であることを告げられます。

 

播磨薫子と夫・和昌は、娘の死を受け入れ、臓器移植を承諾しますが、この時に、脳死とされる患者が自発的に手や足を動かす動作である「ラザロ兆候」が起こり、これを起点に播磨薫子の精神は、狂気へと向かう事になりますが・・・

 

 

 生死を分ける判断

 

みなさんは、「死(個体死)」を明確に定義することができますか?

 

現代日本において、死の判断には下記の3つの判断基準が使用されています。

 

① 呼吸の停止(肺機能の停止)

② 脈拍の喪失(心臓機能の停止)

③ 瞳孔の拡大(脳機能の停止)

 

の3つを「死の三徴候」といいます。この三徴候が一定期間続くと、死亡と判断されることになります。当然、この判断をすることができるのは、医師だけです。

 

死の三徴候のうち「①呼吸の停止」と「②脈拍の喪失」は、医療の近代化にともなって西洋を中心に17世紀頃から重要視されはじめました。またそれ以前は、科学的な判断というよりは、呪術や民間伝承などに則って死の判断がなされていました。20世紀前半には、更に「③瞳孔の拡大」が加わり、死の三徴候として定着します。

 

因みに、「お通夜」には、生死の見極めが曖昧だった時代に一晩おいて死亡を確認するためという現実的な意味があったという説もあります。

現在でも、特定の感染症などの場合を除いては、24時間経たないと火葬してはいけないという法律があり、これにより死んだとされた人が実は生きていた、ということを防いでいます。

 

 脳死とは

 

更に医学は発達し、いままでは脳の機能が失われるとすぐに呼吸停止と心停止が起こり死に至りましたが、今日では人工呼吸器をつけることで呼吸が止まることがなくなり「①呼吸の停止」が起こりにくくなりました。これが、「脳死」という状態です。そして、この脳死を巡って死の定義は現在も大きな議論となっています。

 

では、呼吸は止まっていないけれど、その他の機能が止まってしまっている状態は、人の死といえるのでしょうか?

 

これには、大きく二つの意見があります。一つは、自発的な呼吸ができず、意識がなく、反射的な行動しかできない状態になると、知覚・思考・感情などの機能が全て消失するために人間としてのアイデンティティも同時に消失する為、これをもって人間の死と考える意見。

 

もう一つは、脳死状態の人であっても、何かのきっかけで回復する可能性があることや、呼吸があり心臓が動いている、体温が維持されることなどから脳死を人の死とすることに根強い抵抗があり脳死を人間の死とは認められないと言った意見などがあります。

 

また、脳死には、こうした「脳機能の停止=死」なのかと言う根本的な問題のほかに、脳死者からの臓器移植を認めてよいのか、脳死判定の基準は妥当なのかという問題も提起されています。

 

この為に、日本では1997年に「臓器の移植に関する法律」が施行され、以来、臓器移植をすることを前提とした場合のみ、「脳死」は人の死として扱われます。

 

また、この場合でも、脳死判定には細かい規定が為されています。

 

① 臓器提供者が脳死状態

② 臓器提供者が臓器提供者になるという意思表示を脳死になる前に行っていた

  (リビングウィル、アドバンスディレクティブ)

  ※リビングウィル:医療現場において延命治療をして欲しいか、して欲しくないかなどを示

           す言葉と臓器移植の本人承諾

   アドバンスディレクティブ:自らが判断能力を失ったときに、自分に行われる治療やケア

                の意向を示す意思表示のこと

③ 家族の同意を得ている事

 

これら3つの基準をもとに、医師が2名以上で数度にわたる「脳死」が診断され、初めて臓器提供が可能となります。

 

つまり、日本では、人間の生死の最終判断は、法律で定めるものではなく、本人も含めた当事者の行うべきものであるとしており、「脳死」と「心停止による死」のどちかを選択するかを当人に委ねています。

 

 

移植医療は、確かに残酷な現実を伴っていますが、命を繋ぐリレーでもあり、その意味では温かい医療と言えます。しかし、現実は、移植医療に対してマイナスのイメージが付きまとっており、この映画などを見ることにより、更に論議がなされるべきであるとも思っています。

 

 第2の患者と予期悲嘆

 

「大切な人の死にゆく様」に接した時に、本人はもとより、家族を始め周りの人の精神的苦痛は、計り知れないものがあります。そのため、それらの人は「第2の患者」ともいわれ、さまざまな立場の人たちから、「ケアを受けてください」という強いメッセージが出されています。

 

しかし、現実では、精神的苦痛を抱えていても、それを心の奥底に押し込め、患者さんご本人のケアに専念しようと頑張る傾向があります。そして、その精神的な苦痛により、精神の安定を欠き、疲労しボロボロになる場合が多いのも事実です。

 

そして、どうしても死が避けられないとなった時に、現れてくるのが「予期悲嘆」と言うものです。予期悲嘆とは、「自分にとって大切な存在と、そう遠くない時期に別れなければならないかもしれないと意識したときに現れるさまざまな反応のこと」をいいます。

 

これは、色々な症状を引き起こしますが、主に精神的な不調を引き起こし、映画の主人公の様に、容易に狂気へと駆り立てます。

 

 

 「大切な人の死」を意識した時にすべきこと

 

大切な人との関係性のことを、心理学では「愛着」といいます。愛着は生きる上で必要なものです。この大切な人を失うことへの不安は、「子どもが親とはぐれて迷子になったときの、とてつもない心細さ」に通じるともいわれています。

 

それでは、この「大切な人の死」を意識した時にすべきことは何か?

 

容易く行う事ができる方法とはいえませんが、少なくとも現実を否定することではなく、「自分の心から湧き出す感情を受け止める」ことからはじめる必要があります。

 

「大切な人の死」といった受け入れがたいことが起きたとき、気持ちを保とうとする必要はありません。怒りや悲しみ、不安などの感情も大切な役割があり、感情のおもむくままに過ごせば、心は、必ずどこかにたどり着くのです。

 

例えば、怒りは、絶望と戦い自分を強くするための感情ですし、悲しみは心の傷をいやす役割があります。これらの感情の助けを借りながら、大切な人との時間を大切に過ごすことで、一緒に精いっぱい生きたという感覚を持てることこそが大切であり、そうすれば「最後の瞬間」が来たとしても、最初は打ちのめされた気持ちになるとは思いますが、大切な人との想い出を胸に、再び新たな人生を歩みだすことができるのです。

 

この映画「人魚の眠る家」も、最後は、心がたどり着くべき場所を見つけ、救いのあるラストシーンとなっています。

 

この映画は、現在、アマゾンプライムで配信中です。まだ、見ていない人はこの機会に見てはどうですか。

 

この映画の主題歌となっている絢香さんの「あいことば」。原作の小説、映画の世界観と重なっており、この映画をより深いものにしています。