母に対して思うこと。
被害者の生き方しかできない人。
昔はそんな人ではなかった。
どこかで人生を諦めたんだろう。
その後は、不平、不満、泣き言、愚痴
しか言わない人生を送っている。
私がいるときだけは言わないように
してるみたいだから、変わってないんだ
ろう。
その言葉から聞こえてくるのは、
私って可哀想!
私はいたわって欲しい!
注目して欲しい!
かまって欲しい!
という心の声だ。
孫を過剰に心配することで、
間接的にそれをアピールする。
自分が自分のことを知らないと、
こういうことになる。
ゴールデンウィークで実家に帰ったときに
たまらずについ、説教してしまった。
被害者意識をやめろと。
人の心配をせず、自分を生きろと。
まあ聞く耳がなかったね。
ただ、あんたの言葉はきついねん!
って泣いてるばかるだった。
(あんたの言っている言葉が)
分からへん!と言っていた。
ショックがないと人は変われない。
そのショックを与えるのが私の役目だった。
ショックを受けても、またコンフォートゾーン
に逆戻り。それを何度も繰り返してきた。
ユダの真実を聞いたからだろうか。
ユダはイエスに言われて、
彼を敵に差し出したという。
ユダの木のあまりの美しさに
なぜこれがユダの木と命名されたのか、
真実を知って気がついたと
ある方が話されていた。
ユダの自殺とキリストの昇天。
あれがなければ人類の進化はなかった。
イエスにもユダにも、人類への大いなる愛が
あった。
きつい言葉は、母へのエール。
いつか分かってくれる日が来るのだろうか。