前回の記事で、自分の中に

「病気の人を救いたい!」って

欲求が出てきた話をしたが、

これって結構誤解される言葉かも

と思った。

 

 

 

私の救いたい!は実は「他人に伴走する」

という意味が入っていない。

 

 

 

私はあまり人のプライバシーに

ズカズカ入りたいタイプではないので、

人の話には興味があるが、それは

人類が救われるためのデータを

収集しているくらいの感覚だから、

コーチのように相手を励まして、

選手と一体となって頑張るって

のは実は苦手である。

 

 

 

だから、そういうのを求めている人には

やや冷たいと思われるかもしれない。

 

 

 

 

「救いたい」ってのは自分が救世主になる

のではなくて(そんなしんどいことよーやらん!)、

本当に救われたい!って思っている人に

「こーしたらいいよ、あーしたらいいよ」って

教えてあげたいだけである。

 

 

 

だから奇跡の水も自分が助かった!って

思ってるから、

必要な人に教えてあげたいって

だけで、「要らないならいいよ」くらいの

感覚。

 

 

 

だって価値が分からない人に

いくら勧めてもしょうがない。

 

 

 

救いたいって情熱はあるけど、

それはこれに出会って私が救われた!って

思ったから、同じような人がいるなら

提供したい!って思うだけである。

 

 

 

何としてでも!!!という熱ははっきり言って

あまりない。

 

 

 

「背中押してくれたら」とか

「もう一回説得されたら」って思う人も

いるだろうが、それくらいの熱量なのは

大して欲しくないしるし。

だから手を出さない方がいい。

 

 

 

 

色々とアドバイスをしても

相手に変わりたい熱量がないと

変わらないから。

 

 

 

実はそれほど変わりたいって思って

ないのだ。

 

 

 

本気の人は自分から取りに行く。

チャンスを逃さない。

 

 

 

スクールの申し込みをしたときも

水の申し込みをしたときも

アクセスバーズを習おうと思ったときも

そうだった。

 

 

 

だから本気の人だけ相手する。

本気の人だけに勧める。

 

 

 

でないと宇宙循環は起きないから。