マティス展にて。




昨日突如思い立ち、東京の国立新美術館
のマティス展を見に行った。




何故にマティスなのか分からんままに
行動して行ってみた。



どんなメッセージが来るのか?



このところマグダラのマリア関連の情報が
来ていて、フランス、キリスト教、って
キーワードしか分からなかった。



でもマティスの産み出した教会の装飾美術に
岡本太郎を彷彿させる何かを感じる。
今までの伝統的な教会の装飾とは違い、
無駄を削ぎ落としたフォルムで構成される
デザイン、色彩は、どこまでも明るく、
シンプル。



聖母子像さえもポップでほっこりする。






何かがおかしい。



今まで苦しみの意識で綴られ、体験されてきた
キリスト像、マリア像は、違ったんじゃないか?
という疑念がわく。



もっと優しく、明るく、生命肯定的だったんじゃ
ないか?



その疑問を持たせるために、私はマティス展に
行かされた。



そう思っている。



裏が表になるとはこういうこと。



権力者の覇権にさんざん利用されてきた
キリスト教の真理は、真逆のことだった
のではないか?



処女懐妊も含めた全て。


女性蔑視も含めた全て。





本来はこれ、女性礼讃の教えだったのではないか?



何故に画家たちは、執拗に女性の裸体を描くのか?



その眼差しのもとにある欲望とは何か?



これに気づくと全てがひっくり返る。



そして今がそのタイミングということか。



考えれば考えるほど興味深い。