私は長らく誤解していたかも知れない。
 
 
 
使命、について。
 
 
 
使命とは「何か」を「やる」ことだと思い込んでいたけど、
そうではなかったんだ。
 
 
 
 
例えば、ミュージシャンになって、人々を幸せにするとか。
 
 
 
 
まあ、それも使命の一側面に違いないのだけど、ごく一部。
 
 
 
 
そうではなくて、自分が「どうあるか」が実は使命なのだ
ということに気が付いた。
 
 
 
 
宇宙循環の中で生きているということを考えると、
人にはそれぞれ個性があり、役割がある。
 
 
 
 
神はどうして我々を全く同じに作らなかったのか?
個性も役割も同じにしなかったのか?
 
 
 
それが答えである。
 
 
 
違うから補い合える。
違う役割があるから生み出せる。
 
 
 
 
だから、人と同じにすること、
人と比べて、できる、できない、って落ち込む
ことは全く意味のない、無駄な行為なのだ。
 
 
 
だって、それぞれの個性を持って生まれるのだから、
その人がそれを自覚して生きていれば、宇宙循環は
起こる。
 
 
 
 
与え、与えられる関係性が生まれる。
 
 
 
 
古い時代の価値観は、みなが常識通りに生き、
みなと同じ幸せを求め、みな同じように考えることが
求められていた。
 
 
 
でも、結局それでは上手く行かないところが
たくさんでてきた。
 
 
 
 
義務教育からはみ出していく子どもたち。
会社文化になじめない大人たち。
 
 
 
そりゃそうだ、そもそも人はみな同じ、という発想だった
から、個性を消して、押し込めて、見ないものにして
生きてきた。
 
 
 
 
だからいきなり、「あなたはどうありたいですか?」って
聞かれても、は???????ってなるのだ。
 
 
 
 
結局、昨日、先日書いたグループで出る発表会だったんだけど、
例のはみだしていた人も相当機嫌よく参加し、みんなと
コミュニケーションして、楽しそうだった!
 
 
 
 
やらなかったのは私でした。
私が役割を果たすのを怠っていました。
私が見たい世界を見に行こうとしなかった。
私が自分をないがしろにしてました。
 
 
 
 
 
猛反省!!!
 
 
本当は反省などしなくてもいいらしいのだけど。
気づいたらやる!ただそれだけでよし。
 
 
 
 
私が見たい世界は私が創れる。
 
 
 
私は創造主とはそういうことだったんだ。
 
 
 
 
私の役割は、「ビッグバンで思ったことを伝えること」
それは実はみんなの声を代弁しているということ。
 
 
 
 
事実それで物事がスムーズに運び、みんなが笑顔になる瞬間
を見れたから。
 
 
 
 
それは、本当に、魔法のようだった。
 
 
 
 
ビッグバンのたった一言で世界が変わった。