前回のブログでは死後の捉え方としての一般的な日本人とクリスチャンとの違いに関して問題定義をしてみました。



死後には誰でも天国へ行ける?具体的なイメージとかではなく、そこには何かフワッとした感覚で捉えてる場合が殆どだと思います。



無理もありません。実際のところはクリスチャンですら聖書で語られてる御言葉から派生したイメージの範囲でしか想像は出来ませんので。



具体的な場所としての天国をイメージするより

もっと大切で重要な事があります。




貼り付けている御言葉に代表されます。



この地上で生きている間は死への恐怖は誰もが抱いてることです。



その恐怖を凌駕する御言葉です。



永遠の命を表してる御言葉ですが、イエス様を心にお迎えし、三位一体の神様を受け入れ福音を心に落とし込めば永遠の命を得て天国へのパスポートを手に入れるという事を表しています。



この御言葉を受け入れてる事が前提になって(もちろん、御言葉はこれに関するものは他にもありますが)前回のブログ内容と繋がっていくわけです。









https://x.com/meari_two/status/1629095236772458497?s=46&t=1NBU-d6fN1nq93cNm9h7RA



地上界での死は肉体の死。


地上では肉体が全て、生きているのはこの身体だ…確かにそうですが、それは本質ではありません。人間には魂(霊)があり(動物には無く神様は人間だけに魂を備えて下さいました)魂が本質、根幹であり肉体は魂を包む器です。




死への恐怖から逃れる方が出来ない本当の理由は肉体こそ全てという考えです。




元気な時はなにも考えず、やりたい放題やるのが人間の性です。



上記の御言葉は魂(霊)が本質であるのが前提となっている事に気付かれましたか?



悲しい事に肉体が全てという考えはサタンから来ているものになります。



普通に生きていれば誰もが無意識のうちにサタンに支配された人生を送ることになります。



神様との関係をと取り戻すためにサタンと決別しないといけません。



サタンと決別してこそ上記の御言葉がすんなり受け入れられます。



身体、精神、魂(霊)を聖書の内容と関連付けて分かりやすく説明している動画を貼り付けておきます。


参考になれば幸いです。






おいおい今後も今回の内容に関するものを綴っていきたいと思います。