これから、母の持ち物を整理しなければならない。
母は、手先が器用な人だった。
編み物は、母から教わった。
妹が小学生のとき、ピンク色の可愛いマフラーを作ってくれた。しかし、当時お転婆だった妹は、あっという間に汚してしまい、結局一年しか持たなかった。
当時中学生だった私が、代わりにマフラーを編んでプレゼントした。妹は、大人になるまで使ってくれた。
大学時代、父方祖父母に手編みのマフラーをプレゼントした。祖母に編んだマフラーの毛糸は、母と買いに行った。祖父のマフラーは、自分で選び、寝ないで一日で編み上げた。そして、それを一年でダメにした。次の年、もう一度編んだ。今度は、すぐにダメにしなかった。
今ならわかる。妹も祖父も嬉しいから、あちこちに身につけて出掛けたのだと。
母は、身体を動かすことが好きなひとだった。
でも、父に言わせると運動音痴。
父曰く、父と母が最初に出会ったのは、大学の体育の講義。スキーの授業だったそうだ。
あんまりにも母が下手すぎて、心配になった父が声をかけたのが、きっかけだという。
運動音痴は、しっかり私にも遺伝している。
ただし、水泳とスキー以外(主に脂肪のおかげ)
母は、音楽も好きだった。
叔母(母から見て)が音楽の先生だったので、子供時代個人的にピアノを教えてもらっていたそうだ。
父が一軒家を買ったあと、娘と連弾する夢を叶えるため、電子ピアノを買った。
でも、娘達は音楽はからっきしだった。
電子ピアノは、母が寝たっきりになってから、音楽部に入っていた従兄弟にあげた。
電子ピアノは、従兄弟の元で、寿命が尽きるまで弾いて貰えたそうだ。
母は、字が綺麗な人だった。
書道家の叔父(母から見て)に子供時代、字を習っていたそうだ。
右利きの子は、みんな書道家の叔父に字を習った。
左利きだった私と妹は、例外で、母は私を右に直そうとしたが、結局諦めた。
おかげで、私は両利きになった。
家の中には、母がのこした、手芸道具や布、作品がある。持ち主を失ったスポーツウェアもラケットもある。
楽譜は、電子ピアノと一緒にあげてしまった。
母の実家には、母が書いたものが残っている。
母本人だけでなく、母のものたちともお別れしなければならない。
父は、そんなに急ぐ必要はないというが、時間が経つと余計に辛くなるし、何より母の荷物が家を圧迫して、今を送る人の負担になっている。
暫くの間、妹と一緒に母の遺品を片付ける。
これが、私達の仕事だ。