ひかやんちゃんのブログ

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自問自答。

妄想有理。

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ジョギングの足もとに白い花を珍しげに近づいたら紋白蝶だった。夏にもなりきらぬ内に?

僕がジョギングのコースのゴミを拾い集めても其はボランティアではない。近所の若者や小学校の子供達が町内のゴミ拾いを始めても、それと僕の行為には因果関係を認められない。
単に、走る間には目の先や周りにゴミ等を見たくはない。それだけの事だ。剣道を習う者は道場を水拭きするのが日課だろう?
集められたゴミには前日の子供達のエピソードが纏い付いている。膝小僧から剥がれた絆創膏や鼻血の付いたテッシュや買い食い残しのからや袋だったり。其れは一瞬の想像を楽しませても直ぐゴミとして纏まり棄てられ焼かれて過去となる。
僕の欲しい物は、真っ白いキャンバスの様な物なのだ。片付いたグランドの朝は日々、新しい。

街中では周りに他人の妄想がせめぎあいしている間に割り込んでどんな絵が描けるのだろうか?奥村千代の?貴方好みの女になりたいで腐って消えるのか?
何時も持ち歩いていたスケッチ・ブックを手離してから、僕の手は自分の心や脳を離れて世のスキルに迎合し反目し、緊張を強いられた僕の人生は他人の思惑で塗り潰されてしまっていた。

反面教師にはなれても、周りの不幸は増殖しただろう。恨みや嘆きや反目が全ての記録だ。

今、パンソリとフラメンコのセッションに泣く。涙涙。これぞ、セッションだろうか?
白いキャンバスを過去に求めても日々は直ぐ黒い過去になる。
真新しいキャンバスは明日から来るのだ。

5月のジルカさんのジャズ・ヴォーカルWSで、ルバートと言う音楽用語でピアノとヴォーカルの対話の要領を問う方がいて、日頃のモヤモヤが言葉の説明が付いて晴れた気がした。
僕が耳を澄ましても、同時にリードを平行して演奏されたのでは聞こえてくる対話の音は無いわけだ。コール&レスポンスの癖がついていたゴスペル歌いとしては、ギターを間の手としてやってみて合点がいったのだが、
そうだよね、お互い様に耳を澄まして相手の鼻唄を聞きあわなきゃね。
相手のリズムと共振しなきゃね?
ユニバーサル・デザイン採用で、役割分担のカテゴリーの環境で、人は自分の想いや鼻唄を失い、リズムも他人任せ。アイコンタクト無しはシャイだから?陰でクスクスはどーよ?黒く塗れ。

譲り合い待ってみるだけで、相手の鼻唄を周りのリズムや呼吸を楽しむだけで想像のキャンバスは幾らでも拡がってくる。他人の魂が垣間見れるのだ。漸く、僕にも
参加の機会が恵まれてくる。
待つのが祭。神様は必ず待って下さる。