新年度がスタートして早速いろいろな事にぶつかる日々。


息子の支援級の先生も変わり、 正直なところ専門的な先生ではないんだなというのが、やり取りの間で自分なりに分かってしまいました。


だからといって、

生徒は自分の子供だけではないし、先生達も色々と大変なことは理解しているつもりなので、こちらの要望ばかり伝えるのもどうなのかと、日々モヤモヤしています。


そんな中、昨年あたりから気になっていた息子の漢字の書き方。

別に書き順なんて、正しく書けていればそれで良いとは思いつつ、書き順テストなんてあるくらいだから、覚えさせたほうが良いのかな…

と、最初はそれくらいに思っていました。

でも、考えてみたら漢字の書き方だけではなく、平仮名やカタカナの一部も未だにちゃんと書けない。

一部の漢字は、まるで記号や図形を書いているようにも見える。


まだ心配ない、もしかしたら当てはまること無く通り過ぎていくかもしれないと思っていた「学習障害」に、ついに直面することになったきっかけは放課後デイの職員さんからのお話しでした。


学習時間に

「書き順のアプリを何度か見せても、同じ字が書けないようなんです…」と。

そして言いにくそうに、「もしかしたら学習障害の可能性もあるのかなと…」と話してくれました。


私は、息子が3歳の時に軽度ASDの診断が出た時と同じ感覚で、

「あぁ…やっぱりそう思いますよね」と、

ショックなどよりも、むしろ共感を得られたこと・短時間の放課後デイ利用の中で息子をよく見てくれていたこと、そして正直に、言葉を慎重に選びながら伝えてくださった事に、こちらの職員さんには感謝の気持ちでいっぱいでした。


そして新しく習う漢字の中で、やはり同じ漢字を何度も間違えているので、

息子にお手本の漢字と自分が書いた漢字のどこが違うか分かるかを聞いてみると、

「同じだよ。合っている。」と言っていて、

私の中で学習障害の〝可能性〟が〝確信〟に変わりました。


ただ、音読することや字を読むことはそれなりに出来ているのでネット検索してみると、


書くことの困難=ディスグラフィア(書字障害)


という言葉が出て来ました。


ASDとか、協調運動障害とか、LDとかですら混乱していたのに、

また新しい用語が出て来て、対策も『一人一人違うのでその子に合ったものを』…と。


“家族で支え合いながら…”とも書いてあったけれど、

息子の障害や学校のこと・自分以外の事に関心のない旦那には相談することはもう無いので、

「あぁ、また一人で考えて悩んでいくのか」といった気持ちです。


どう対応して良いのかまだ分からないので息子と私は毎日のようにケンカで、

それを横でただ黙って聞いている旦那はズルいよね…と思いつつも、


姉が亡くなった時に聴いていた宇多田ヒカルさんの『花束を君に』の歌詞を思い出しました。



“毎日の人知れぬ苦労や淋しみもなく”

“ただ楽しいことばかりだったら”

“愛なんて 知らずにすんだのにな”…。


楽しいことばかりではなく、

苦しいことや悲しみも一緒に共有していくことで、きっと人は愛しさが溢れていくのだろうな。


楽しい時だけを共有していた旦那とは、

虚しさだけが残る。


お姉ちゃんとの日々は、色んな事があったね…

だから今も、あなたを想うと涙が込み上げてくるのかな。



ねぇ、お姉ちゃん。

私の息子、どうやら学習障害もあるみたいなんだ。

なんだか、色々あるね…。



もうすぐ、

あなたがいなくなってから10年。


時が止まったあの日から

いつからか、あっという間に月日の流れを感じるようになったけれど。

あなたが教えてくれたことが沢山あったのに、

わたしは何も変われていないかもしれない。



変わったのは…。


若いままの遺影のお姉ちゃんに対して、

どんどん年をとっていく「妹」だったはずの私。