渓流大物釣り師のブログ

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サツキマス釣り20年の大物釣り師
以前は年間30本くらい釣っていたが
近年の長良川の環境悪化を大いに嘆いていて
以前の川に戻ってほしいと切に希望している。

Amebaでブログを始めよう!

前回に続いて  竹内まりやさんに

ついて お話ししようと思います。

最近発売された アルバム「TRAD」

は 発売から 3週連続でオリコン

ヒットチャート 1位という快挙です。

私も早速  「TRAD」を 購入して

聴きました。 とても良かったです。

特に NHKのtvドラマのテーマ曲

「深秋」がとても好きで毎日聞いています

どの曲も 達郎さんがアレンジしていて

曲のアンサンブルが素晴らしいです。

このプログの読者の方も 是非 聴いて頂き

たいです。

11/22から 竹内まりやさんの33年ぶりの

コンサートが 始まります。

全部で 6都市9公演です。

私も大阪公演の申し込みを

妻と行きたかったので しましたが

抽選で残念ながら落選しました。

今回の公演は 数が少ないのと

超有名アーティストなので 当選は

難しいと思いましたが  第2希望まで

あつたので 微かな 期待をしていましたが

見事 落選しました。「竹内まりや 恐るべし!!!!!!」

最初は チョットショックでしたが

又  次回の公演をこころ待ちにしています。

まりやさんが以前 自分のライブ活動に

ついて述べてみえました

それによると  夫である 山下達郎さんが

まりやさんの曲のアレンジ  ステージの

バンドのバンマスを担当されるので

達郎さんの仕事が 空いたタイミングでし

か 公演が出来ないので いつも

達郎さん待ちとの事だそうです

来年は 達郎さんが公演予定なので

まりやさんの公演はやらなさそうですね。

でも 又 いずれ  コンサートは やっていく

と思うので 其の時を楽しみに

待っていようと思います。

後  達郎さん とまりやさんは

はた からみていても本当に 仲が良いと

みたいです。これは 山下夫妻を知っている 人は皆口を揃えて言います。

依然  まりやさんも 達郎さんとの

生活に触れて  ずっと1日中喋っていて

会話が 途切れ事が無いそうです。

手前味噌になりますが  私も妻と居る

時は 1日中喋っています。

お互い 共通の話題が多いので 会話が

途切れる事が無いのです。

まりやさんへの質問で 又

生まれて来ても 「達郎さんと一緒になりますか?」と言う 問い掛けにも

はっきりと「yes」と答えてみえます。

本当に 山下達郎をこころの底から

尊敬し愛してる見える様が伺え

とても素敵なカップルですね。

私も妻もそんな素敵な山下夫妻みたいに

なれる様日々努力していこうと思います。

今回は私の大好きな 女性ボーカリストで

あり 素晴らしい 作曲家でもる

竹内まりやさんについて お話ししました。

お話しは以上 です。

今まで 竹内まりやさんに興味が

無かった人も  是非 まりやさんの

新作 tradを  是非 聴いて頂きたいです

とても 素晴らしい出来だと思います。

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前回に続いて 竹内まりやさんに
ついて お話しします。

まりやさんは達郎さんと出会って から
7年位を経て
1982年4月6日に二人は目出度く御結婚されました。

当時、私を含めて  多くの達郎ファン
竹内まりやファンは まさか 二人が
結婚するなんて 青天の霹靂だったと思います。私もこのニュースを聞いてビックリ
しましたが  竹内まりやさんの今後の
音楽活動には プラスになると思いました

これ以降メディア露出はほとんどなくなりましたが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などヒット作品を提供したりして活動されていて、1984年にシングル「もう一度」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース8。最終的には30万枚以上のヒットになった。同年、長女を出産されましたが  その後も
作曲家としての活動は続けてみえて
その後も 
2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京(11日、12日)・大阪(31日)で行い(ライブ・アルバム『Souvenir~Mariya Takeuchi Live』収録)。その後もアルバム『Bon Appetit!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリース。そしてその後、子育てが一段落したことで2006年からは再び積極的に新譜リリースを行うようになり、2007年には6年ぶりにオリジナルアルバムDenim』を発表。『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たしました

まりやさんの楽曲の特徴としては

OLの何気ない日常に焦点を当てた歌などが多いのが特徴だと思います。

た。


当時、私を含めて  多くの達郎ファン
竹内まりやファンは まさか 二人が
結婚するなんて 青天の霹靂だったと思います。私もこのニュースを聞いてビックリ
しましたが  竹内まりやさんの今後の
音楽活動には プラスになると思いました

これ以降メディア露出はほとんどなくなりましたが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などヒット作品を提供したりして活動されていて、1984年にシングル「もう一度」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース8。最終的には30万枚以上のヒットになった。同年、長女を出産されましたが  その後も
作曲家としての活動は続けてみえて
その後も 
2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京(11日、12日)・大阪(31日)で行い(ライブ・アルバム『Souvenir~Mariya Takeuchi Live』収録)。その後もアルバム『Bon Appetit!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリース。そしてその後、子育てが一段落したことで2006年からは再び積極的に新譜リリースを行うようになり、2007年には6年ぶりにオリジナルアルバムDenim』を発表。『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たしました

まりやさんの楽曲の特徴としては

OLの何気ない日常に焦点を当てた歌などが多いのが特徴だと思います。

2007年8月のシングル「チャンスの前髪2008年5月のシングル「幸せのものさしをリリース

2008年10月1日に、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『Expressions』が発売されました

大阪フェスティバルホールで開かれた山下達郎のフェスティバルホール最後の公演に、「私も、フェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演。「人生の扉」「September」を披露。またダブルアンコールで「LET IT BE ME」(山下達郎とのデュエット)も披露されました。

2009年4月17日、山下達郎のコンサートツアー東京最終公演(追加公演を除く)にあたる中野サンプラザホールの公演にも、アンコールのサプライズゲストとして出演。「September」を披露し、残り2曲のコーラス隊にも参加した。このコンサートに、ドラマ『だんだん』の縁から三倉茉奈・三倉佳奈やシジミジルのメンバー達を招待していた。

その後 J-popのヒットメーカーとし

多くのヒット曲を送り出して現在も

多くの楽曲を手がけてみえます。

次回はっきり竹内まりやさんの近況に

ついてお知らせします。


















前回に引き続き音楽ネタです。
前回迄 3話ほど  私の大好きなアーティストの山下達郎さんについてお話しさせて頂きました。
今回の話しこれも、私の大好きなアーティストの 竹内まりやさんについてお話しさせていただきます。
竹内まりやさんは 皆さんご承知の様に
山下達郎さんの奥様でいらっしゃいます。
私が好きなアーティストは沢山いますが
夫婦なのは 山下達郎夫妻だけです。
普通の夫妻からみたら この様な
素晴らしいアーティストが夫妻でいる事
自体 信じられない事に思います。

竹内まりやさんは  島根県出雲市の
御出身でいらっしゃいます。
まりやさんのご実家は 出雲大社の
門前で創業130年の
老舗旅館 竹野屋です。

現在は まりやさんのお兄さんが
後をついでみえます。
まりやさんは4女2男の6人兄弟の三女
としてお生まれなさいました
まりやさんだけは 父親が自分の
好きな様に名前を付けさせて欲しいとの
たっての希望により 何処にいっても
通用する様な名前が良いとの事で
「まりあ」と付けられました
ちなみに あの「沢田研二」さんと
「田中裕子」さんの披露宴も
竹野屋で行われました。
ちなみに まりやさんの
大好物は 島根蕎麦と岩海苔だ
そうです


私が まりやさんを聴いたのは
今から、30年以上前のデビュー作品
戻っておいで・私の時間  でした
この時の 私のまりやさんの印象は
女子大生のアイドル歌手のイメージ
で 余り 気に留める事は ありませんでした。ただ  レコディングstuffが一流
ミュージシャンなので  ビックリして
アルバムを購入して 良く聴いていました
まりやさんは デビューした
翌年  「september」で早くも
日本レコード大賞・新人賞を取られ  その
可愛らしい 風貌と相俟って  はたから見るとアイドル歌手路線を突き進んで
順風満帆様に思えました。この頃
の事をまりやさんが述懐してみえて
本当は 相当 自分の活動形態に疑問を
持っていたみたいで
自分は 真剣に音楽家として 活動したいのに 芸能人扱いされて 芸能人運動会や
バライティ番組にゲストで出演されたり
して 相当悩んだそうです。
当時 まりやさんの世代は アイドル不在の
年だったみたいで
その為にまりやさんに白羽の矢が立った
みたいです。


旦那さんの山下達郎さんとの出会いも
その頃だったそうです。
丁度 その頃 所属していた 音楽事務所(RCA)の先輩が山下達郎さんでしたが

初対面の第一印象は お互い 余り良くなかった そうです。
まりやさん側から観た達郎さんの
印象は とても厳しそうな人で冷たい
感じがしたそうです。
達郎さんから観たまりやさんのイメージは
なんか 女子大生でチャラチャラしている
アイドルドル歌手にしか見えなかった
みたいだったそうです。

有る時 これも まりやさんの曲で
アンルイスが歌ってヒットした
「リンダ」の アレンジを達郎さんに
依頼したそうです
達郎さんは丁度  ride on timeがヒットと
した頃で とても多忙を極めており、
とても 時間の余裕が無くて  最初は
まりやさんの依頼も断っていましたが
丁度  うまく  スケジュールの都合が
ついたので  スタジオまで来てくれて
徹夜して 多重コーラスとかも一人で
ミキシングして 何とか 録音を完璧に
仕上げてくれた事に まりやさんは
とても感激したそうです。
達郎さんは 今でもそうだと思いますが
絶対に自分が気に入らない楽曲の
アレンジは引き受け無いそうです。
お金の為だけで 仕事を引き受ける
事はありませんが
一度受けた仕事は その情熱と努力で
完璧なものに仕上げるそうです。
まりやさんは その達郎さんの
どちらと 言えば  職人気質の
音楽に対する真摯な姿勢に強く
惹かれたそうです。
この人なら 人生のパートナーと
して 一緒に人生を歩む事ができると
思ったみたいです。
それから
自分の悩みを
色々相談するパートナ
として 
達郎さんのように 「純粋に音楽だけで活動する為には どうしたら良いのか」?
とか   色々相談に乗って頂いたみたいです。
色々話しをしてるうちに
この人の行っている事は 一理あると
思う様になり さらに  人生の方向性も
同じ方向を向いている事が分かったそうです。
そうして 相談相手から 人生のパートナー
として まりやさんは 達郎さんを選んだ
そうです。

ちなみに  達郎さんとの初デートは
達郎さんのクルマ(BMW)で首都高速を一周したそうです。
(達郎さんの名曲  メリーゴーランドを
イメージしてしまいます!!!!!)

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次回は達郎さんと出会い それ以降

のまりやさんの活動について述べて

いこうと思います





















久しぶりに更新します。
今回も引き続き 音楽ネタです。
9/14 山下達郎さんのマニアックツアーの
名古屋公演に行ってきました。
本当は 直ぐプログupするつもりだったのですが
達郎さんが公演の時に 「今回のツアーが
終わる迄  ネタバレするのはなるべくしないでほしい!!!!」と言っていたのを
思い出したので プログにするのを控えて
いた 次第です。
10/10 名古屋 ボトムラインでのliveで
今回のツアーが終了したので 投稿します。
本当は ボトムラインも行きたかったですが、都合が悪く涙を飲んで断念しました。
「山下達郎」を聴くのなら 大ホールより
Liveハウスの方が絶対良いです。
私も若かりし頃  30年位前の「六本木 ピットイン」で 観た 若かりし頃の「山下達郎
バンド」は 鳥肌ものでした。
あの頃、達郎さんもベースの伊藤広規 さん  今は亡き青山純さん、難波弘之さん
達も 本当に若かった。(^▽^;)(^▽
特にこの時聴いた「ピンクシャドウ」
が  余りに凄くて  あのイントロが
30年近く経った今でも 頭の片隅にずっと残っています。その位強烈な衝撃を受けました。なので 今回のツアーのビジョンと
して 達郎さんはDJをしているFM愛知のサンソンで 今回のツアーでは 有名な曲は
全く演奏しないと言っていたので
クリスマスイブや Loveland island ride on
Timeなど有名曲は 絶対演奏しないと思いましたが   逆に liveハウスでしか余り
演奏しなかった曲を中心に演奏すると
思い   ピンクシャドウが久しぶりに
聴けると思いワクワクして公演に行き
ました。
6:30キッチリに公演はスタートしました。
オープニングは 「あまねく危険な香り」
で、ゼンゼンマニアックでもなく
私的には 有名曲なので チョットびっくりしました。
そして 2曲目に 突然 聞き慣れた イントロのサックスとドラムからみ そして 達郎が弾く
ギターカッティングのリフを聴いた瞬間
心は30年近く タイムスリップして
しまいました。そうです!!!
私が 今日一番聴きたかった
「ピンク シャドウ」です。
これを聴いて  流石 山下達郎さんは
とてもファンの気持ちが良く解っていると
感激しました。
今回の山下達郎 マニアックツアーに来る
お客様は 昔からの根強いファンが
多いです。実際 私と同じ位の団塊の世代より1回り 若い  50代位のカップルが
圧倒的に多かったです。
丁度   まだ 結婚前の恋人時代に 山下達郎サウンドにはじめて触れて お互いに
共感して ずっとファンでいる方は
多いと思います。
会場にいらした
多くの方は、まだ 若仮し頃
丁度 大学を卒業して 社会の荒波に
揉まれて 不安と期待が入り混じる時代
(時はバブル全盛期でした)に 山下達郎の
音楽に 励まされ  癒されて 来たかたは
多いと思います。私も  その一人です
達郎さんが ピンク シャドウを演奏し出す
と 会場のボルテージは 一挙に上がり
至る処で立ち上がり 踊り出す人も多く
見られました。
やはり、みんな 往年の山下達郎ファンでこのタイミングでピンク シャドウを
演奏する 達郎さんの演出にとても感動
したと 思います。私は 何故かこの
ピンク シャドウのイントロを聴いていて
以前のプログでも 取り上げましたが
亡き青山純さんの事を 思い出し
涙が溢れて 止まりませんでした。
やっぱり ピンク シャドウのドラマー
は 青山純さんしかいないと思います。
私的には ピンクシャドウが聴けただけ
で充分満足でしたが、妻は自分の知っている  曲が 演奏されるのを心待ちにしていて
唯  自分の知らない曲でも 演奏自体は
素晴らしいので 満足していたと思います。  ちなみに 妻の一番好きな曲は
「新東京ラブソディ」ですが
これは 有名な曲なので 今回はやらない
と 私的には思っていました。
ですが letsdance babyを達郎さんが
演奏すると 妻も知っている曲なので
満足していました。
終盤に 達郎さんが 突然 来年の
予告と 行って 超有名曲の「sparkle」のイントロを
弾き出したので 会場は多いに盛り上がりました。私も今日はspakleは絶対やらないと思っていたので あのイントロのギターカッティングを達郎さんが弾きだした
時は ビックリしました。
アンコールの最後の曲は 何時も定番の
Your Eyesでした 
結局  公演が終わったのはpm10:00頃でした。
なんと 3時間半ものlongステージでした。
途中で達郎さんが得意のmcも織り交ぜ
とても感動的な ステージでした。
久しぶりに観た  生の山下達郎はとても
パワフルで あの伸びのあるボーカルも
切れの良いコードカッティングも
健在で 愛用のギター(フェンダー・テレキャスター)も 良く鳴っていました。
多分 山下達郎ファンの中には
達郎さんのギターカッティングが
好きな方は 多いと思います。
私もあのテレキャスのシャリシャリした
硬い音の歯切れの良い達郎さんのカッティングが大好きで「spakle」はコピーして
バンドでも弾いていました。
達郎さんの凄い所は 何時も 山下達郎ファンが どうしたら喜ぶのかをつねに考えた
演出を心がけていらっしゃる処です。
アンコールの前に達郎さんが観客席に向かって 「お客さん 今日は楽しんで頂けたでしょうか」と 仰ってみえましたが
これは実は 達郎さん自身で自分への
問いかけの様にも思われました。 

本当に自分のライブを見に来てくれた
お客様に楽しんで頂きたいと言う 達郎さんの切な願いがとても私の心にも
響いて来て、とても感動しました。

そして  何よりもビックリしたのは
達郎さん自身は 3時間半にも及ぶステージに ずっと 出突っ張りだったのです。
他のメンバーが休憩タイムでステージから一時 退出している間も ずっとMCあり
得意なアカペラでずっとステージに立ち続けていました。
これにはみんなビックリしていました。
世界中のアーティストを見渡しても
3時間半もの長いステージにずっと出突っ張りのミュージシャンはいないと思います。
どこに
そんなパワーがあるのか?
不思議です。多分  達郎さんは
自分の音楽を 山下達郎サウンドを
こよなく愛してくれてファンの方々に
精一杯 楽しんで欲しいと言う一心で
ステージを務めている姿勢がこういう
スタイルで音楽を表現すると
長時間ものステージになって
しまうと思います。
裏話しですが、達郎さんは
live当日のランチは、必ず
「ピラフ」を召し上がられるそうです
ピラフはとても腹持ちが良いそうです。
ライブ前日は 余り 外出もされず
室で 体調管理に務められるそうです
お客様の為に最高の音楽 最高のステージを届け様とされるストイックな迄の
姿勢には只々頭が下がる思いです。
山下達郎さんは去年 還暦になられて
も 以前と同じパフォマンスで
我々 ファンを楽しませて下さいます。
私も何回か「山下達郎」のliveは観た
事が有りますが年々パワーアップしている
様な気がします。
今回の公演はマニアックツアーと言う
タイトルでしたが  私にとっては
マニアックでもなんでも無く
ほとんど知っている曲ばかりでした
妻もある程度知っている曲が有ったし
何より 歌と演奏がとても素晴らしいので
とても満足しました。
このプログを読まれた方には
  ゼンゼン 山下達郎に興味が
無い人も、みえられると思いますが
このプログを読んで 
山下達郎に興味を持った方は
是非 一度 コンサート会場に足を
運んで頂ければ幸いです。
百聞は一見に如かずで 生の
山下達郎を観れば  きっと
その素晴らしいステージに感動する
事と思います。
山下達郎さん 感動的で素晴らしいステージを有難うございました
これからも 格好いい青年で有り続ける
山下達郎に注目していきたいと思います。
後  連絡ですが  来年も
達郎さんは コンサート活動をされるみたいなので(今度はマニアックではなく
ヒット曲を中心にした普通の有名曲の
選曲)  是非  コンサート会場に足を運んで
生の山下達郎を観て欲しいです。

次回は  これも  大好きなアーティストである 奥さんの竹内まりやさんについて
述べ様と思います。
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前回  山下達郎について
ざっとお話ししましたが
今回は その 山下達郎サウンドに
ついて 私なりに解釈を含めて詳しく述べて行こうと思います。
なので 少し 話しが 専門的で マニアックに なるかもしれないですが
興味ある方はどうぞ一読してくださいね。

私が 始めて 達郎サウンドに接したのは
丁度 大学1年の頃で 自分も
その頃は 本気で スタジオミュージシャンを 目指して  学業の方は ほったらかして日夜 ギター練習に没頭していました。 
その頃  好きなギターリストは
日本では 高中正義さん 渡辺香津美さん
海外では、エリック ・クラプトン 、
ラリー・カールトン 、ジョージ•ベンソン
ウエス・モンゴメリー、パット•メセニー、カルロス・サンタナ、アル・ディメオラなど 数え上げたらきりがないくらい
色々なジャンルのギターリストを聴いて
コピーしていました
特に  高中正義さんの ready. To. Fly
や  ラリー・カールトンのroom 335や
彼のバンド クルセーダーズの名曲
「スパイラル」は 大好きな曲で
ほぼ  完全コピーして  バンドでも
演奏していました。

その頃は  丁度  フュージョンブームで
16beatに乗って rockとjazzの融合した様
な 演奏が巷でも流行ってました。

私も その様なスタイルでギターを弾くのが 自分に一番合っていたので
16beatのリズムに乗せて JAZZのモードで
クリアーなトーンで速いパッセージを
弾くスタイルが一番好きでした
なので  余り歪んだ ディストーションサウンドが主体のヘビーメタルはあまり
聴かなくなりました。

ただ  音楽としては ギターだけの音は
余り好きではなく、管楽器やピアノ シンセなどとのアンサンブルが大好きだったもで ソロギターリストより
どちらと言うと アース・ウィンド・アンド・ファイアーやクルセーダーズ
チックコリアなどを良く聴いていました。

特に
アース・ウィンド・アンド・ファイアーの
ギターリストのアル•マッケイのコードカッティングが好きで 良くコピーして
リズムパターンとか キーボード ヴォーカルとのアンサンブルなど バンドをやる上で  とても勉強になりました。
丁度この頃に jazzのモードも勉強していて  コードのvoiceingで オープン voicing
と closed voicingが 有ることを知り
その事が  曲のテーマに合わせた カッティングパターンを考えるのに非常に
役に立ちました

なので  一時は ソロギターより
バッキングに  秀でた  スタジオミュージックで活躍している ギタリスト達
良く聴いていました。
参考にしたギタリストで主な人を挙げる
と  先の アル・マッケイ、ディーン•パークス、レイパーカー•jr、ポール・ジャクソン・jr    などですか。

有るとき  TVから  流れて来た
曲が 耳につき イントロを聴いて
これは  ロスの誰か有名なスタジオミュージックと思いましたが
良く聴いていると 山下達郎さんでした
1970年代で大学時代だったと思います。
これが  私と山下達郎さんの出会いでした。
達郎さんのバンド  シュガーベイブ
のアルバム songsの1曲
 「DOWN TOWN」でした
自分でも ギターのアンサンブルに
ついては 色々研究していて コード
カッティングもまだ 日本人のミュージックでは余り 聴いたことが無かったので
山下達郎さんの曲をこの様な時に
聴いた時は  「日本人でこんな凄い曲を
創る人がいるのか?」と 大変ビックリしたののを 鮮明に覚えています。
山下達郎をこの当時聴いて
私と同じ様な 感動を持った方は
多くいると思います。
アルフィーの坂崎幸之助さんも
始めて 山下達郎サウンドを聴いた時は
日本でこんな凄い音楽を創る人がいるのか
ビックリしたそうです。
これが  私と山下達郎サウンドとの
衝撃的な出会いでした。

山下達郎サウンドの特徴は
達郎さんも仰る様に 力強いbeatと
綺麗なメロディです。

以前  青山純さんについて述べましたが。
この 達郎サウンドに
 青山純(drum)
伊藤広規 (Bass)は無くてはならない存在でした。

伊藤さんのチョッパー奏法のベースリフ
に 青山さんの よく抜けるスネアの
タイトが重なったイントロから
始まり  徐々に 難波さんのキーボードと
達郎さんのコードカッティングが
重なっていくパターンが私はとても好きでした。

達郎サウンドの特徴としては さらに
曲のコードが メジャー7や 9th 13th
分数コードなどを駆使した 点も
とても 当時としては 斬新なアイデアだったと思います。

今 では  小田和正さんなど  多くの
アーティストも 分数コードは使って
いますが   当時としては あのコードの
響きはとてもなんとも言えない斬新さが
有りました

分数コードを使っているプレイヤー
は  以前もいました。
有名な 処では  jazz. Pianistの
ビル•エバンスです 彼の名曲
ワルツ フオ デビ~は 私も始めて
聴いた時は とても 1人で 弾いている様
には 聴こえなく デュオで  2人で 弾いているとばっかり 思っていて  ビル エバンス
1人で 弾いていると知って とても
衝撃を受けた 事を覚えています。

ビル エバンスを  聴いた方は 多分  同じ
思いをした 方は  多いと思います。
これが分数コードの為せる技ということが
解ったのは  それから  だいぶ 経った後でした。

この様に 私は  音楽を 感覚的に評価する
より  音楽理論に基づいて解析する方が
好きでした。

山下達郎サウンドは  達郎さんが
聴いた 色々な音楽のエッセンスが
詰まった  集大成だということが
良く判ります。

私は これからも
ずっと  山下達郎サウンドを
愛してる止まないでしょう

最後に  私は 奥さんの
竹内まりやさんも大好きで
良く聴いています。

こんな  音楽的に才能がある
2人が 夫婦 で いる事は
奇蹟だと思います。

私も 山下夫妻の様な
理想的な夫妻に憧れ
こんな風になりたと
常々思っています。

そんな  山下達郎さんの
Liveが 7月から  始まります
私も 名古屋公演を妻と行く予定です

今迄  山下達郎サウンドに余り
聴いた時がない人も 今回
私のプログを読んで頂いた
ついでに  1度  山下達郎を
聴いて欲しいと思います。

今回はちょっと
音楽的に 専門的にな
話しになってしまい
申し訳ありませんでした。

今後も 引き続き
プログは 色々なジャンルに
ついて 書こうと思うので

興味のある方は1度
訪問してくださいね。






今回は
私の大好きな ボーカリストの
「山下達郎さん」について
お話ししてみようと思います

山下達郎さんと言えば
やっぱり  名曲「クリスマス•イブ」が
一番有名では無いでしょうか?

この曲は J/R  東海のCMで流れて
大ブレイクしました。

私も丁度 この頃 1980年代のころ
20代後半で いつも カーステレオで
山下達郎を良く聴いていました。

特に 良く聴いていたのは
Ride on time  sperkring  Loveland,island
です 

朝まづめの海沿いの フリウエイ をLoveland,islandを聴きながら
ドライブするのは なんともいえない
爽快感でした。

この頃の山下達郎に夏のイメージを
持った人は 多いと思います。

どうも  達郎さんは このイメージを
払拭 したかった様で
そのために 作った  アルバムが
Melodiesです
その中に収録 されたのが
名曲 「クリスマス・イブ」でした。
最初は この曲は 奥さんの
竹内まりやさんの楽曲に収録される予定
だった そうです。
マリアさんのレコディングの時に
相手のプロデューサとの調整が
上手くつかず  結局
 達郎さんが自分でプロデュースして
自分で歌う事になったそうです。
多分  マリアさんが歌っていたら
単なる  クリスマスソングで終わっていたかもしれないと 達郎さん本人も
言ってました。
J/R東海のCMで流れた事も大きいと
思います。
世の中に名曲は星の如く有ります。
この様に大抵の名曲の誕生には 色々な
ハプニングが付き物です。
あの クラッシックのピアノ
の大家   ショパンの名曲
「幻想即興曲」も本人が気に入らないで
ショパンは「自分の死後、この楽譜を燃やして処分して欲しい」と頼んだが、ユリアン・フォンタナがショパンの遺品の中にあったこの曲に手を加え、『幻想即興曲』と題して1855年に出版したのが世に
みとめられる名曲となったそうです

1980年9月19日に発売されたアルバム  ride on time で山下達郎の音楽は一気に
ブレイクして以降 日本を代表するJ-pop
のアーティストとして数々のヒット曲を
世に送り出してきました。

そんな 山下達郎のサウンドの
何処jが素晴らしいのかに
ついて 次回に詳しく述べたいと思います。
今回は ざっと 
山下達郎さんについて
お話ししました。
次回も宜しくお願いしますね。
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」新鍋理沙さんについては
バレーボールファンの人なら
たいていは 知っていると思います。
真鍋ジャパンは 2012ロンドンオリンピックで 見事  銅メダルを獲得しました。
マスコミは 迫田選手や 木村選手を
大きく取り上げていましたが
私は 影のmvpは 新鍋選手だと思ました。
通常 相手のサーブは エースアタッカーで
ある 木村選手に的を絞って、サーブを
打ちます。
対戦相手も 真鍋ジャパンは 研究
され尽くされていて 大抵  キープレイヤーで ある  木村選手のリズムを狂わせて
真鍋ジャパンにコンビバレーを
させるまいとします。
以前 ブラジルとやった時も
木村選手が集中的に狙われて
ブラジルに完敗した事がありました。
今回のロンドンオリンピックでも
木村選手が集中的にサーブで狙われて
いました。
しかし 今回は
真鍋さんの指示で 新鍋選手に
木村選手に打たれた サーブを
全てレシーブする様な戦術をとったのが
功を奏して  木村選手を中心した
コンビバレーを組みたてる事ができました。
新鍋選手のサーブレシーブは 本当に
素晴らしい ので  ほぼ Aパスが セッターに 還るので  クイック攻撃などで
早目にポイントが 取れるので
非常に有利にゲームメイクが出来ます。

私なりに 色々な 緊張する
国際大会を観戦してみて
解った事は 試合に勝つ為
1番重要な 事は 20点以上の
戦い方で いかに自分達が試合の
主導権を握るかにかかっていると
思います。
この為、サーブレシーブをセッターに
返すのが 必須となります。
大抵 20点以上の時にサーブレシーブで
ミスをしたチームの方がセットを
落としています。
ロンドンオリンピックで 真鍋ジャパンの
天王山ともいうベキ  中国戦で
真鍋ジャパンは中国にフルセットで
劇的な勝利を得ましたが
この時も 中道選手の連続サーブポイント
が 決まり 日本が勝ちました。
中国が 2本続けて サーブレシーブミス
をしたのが致命傷になりました。
この試合は 江畑選手が素晴らしい
活躍しました。
もちろん
新鍋選手のサーブレシーブが
素晴らしいので  セッターが
江畑選手の打ち易いトスを供給
出来た事が原因だと思います。
特に、後 1点取られれば 負ける
様な 場面でも 新鍋選手は 冷静に
きちんと セッターにAパスを
返していました。
新鍋理沙さんは この時
まだ 22歳だと思いますが  
国を背負って戦っている
この様な 土壇場で 冷静に
素晴らしいプレーが出来る事
に 私は 鳥肌が立ちました。
いろいろな 場面で 日本人が
国を背負って 戦う場面を
みてきましたが
日本人の場面どうしても
メンタル面が  弱いので  ミスを
して  自滅する様な場面を多々観てきた
ので  新鍋理沙さんの様に 
ここ 1番で 自滅する事なく
きちんと自分のパフォーマンスを
発揮出来る人は どんな心臓をしている
んか? とても驚きました。
先日のワールドカップでの
ザックJapanの例でも
肝心なところで  ミスが
出て 相手に得点を許す場面が
良くありました。
新鍋選手はスパイカーとしても優秀で
20点以降の 大事な場面でスパイクを
決めるのは 新鍋選手でした
特に  銅メダルが
かかった  韓国戦では  迫田選手が
大活躍しましたが  20点以降の
大事な場面で見事にスパイクを決めて
いたのは 新鍋選手でした。

ある  バレーボールのプログで
の 記事で とても
気になる事が  書いてありました。
内容は  次の様な文面でした。

「真鍋ジャパンに 置いて
木村沙織、江畑幸子、迫田さおり、
新鍋理沙 が 存在する事は 奇蹟で有る」

この記事を  読んで  なるほどと
思いました。  この4人に共通する事は
「プレッシャーのかかった場面でも
  緊張せず  ふだんどうりのパフォーマンスを発揮出来る ところ」につきます。

木村選手も良く インタビューで
試合の感想を聞かれ 大抵 緊張しないです。と答えて見えます 

これは  江畑選手も 迫田選手も
同じで 余り緊張しない様です。

やっぱり  一流選手は 身体面だけでなく
メンタル面でも一流なのでしょう
 これは 他のスポーツの一流選手は
みんな  メンタル面は 素晴らしいです。

ヤンキースのイチローや 水泳の
北島康介選手、テニスのシャラポアさん
バレーボーラーのガモア選手などは
人間的にも素晴らしい方です。

アスリートでは ありませんが
私の大好きな 一流 アーティストの
Misiaや竹内まりやさんなども
人間的にとても素晴らしい方です。

新鍋理沙さんと迫田さおりさん
は  共に 鹿児島県出身で年齢も
ほぼ  同世代です。もうお互いに
高校時代から  良く知っているとの
事でした。
同じ 出身地から こんな 一流アスリートが
出る事は とても  稀な事でしょうか?
新鍋選手と迫田選手は タイプが違うので
こうゆうタイプの異なる ws(ウイングスパイカー) が   同じコートにいる事で
攻撃のバリエーションが広がります。
そのため  相手に 攻撃の的を絞りにくく
させます。 

真鍋監督のいい点は 色々な
タイプの選手を組み合わせて
相手の予期せぬ様な 戦術をたてる事が
上手いです。そして  どうすれば
強豪国に勝ち切るのかを
ちゃんと選手に理解させた上で
ゲームプランを立てるの
試合中は ピンチの場面でも
選手全員が同じ方向を向いて試合
に臨む事が可能です。

実は  ザックJapanの今回
惨敗を観て  真鍋監督なら
こんなチーム作りはやらなかった
し  ワールドカップでも
違った  ゲームプランを立てた
と   想います。

新鍋理沙さんは そんな
真鍋ジャパンの中核を担う
選手なのです。

今年は  世界バレーが開催されます。

日本でも  何試合は 有るので
時間があれば  試合を観に行こうと
思います。  バレーボールも
TVで観るのと 現場で観るのは
全然迫力が違います。

興味が有る方は 是非会場迄
足を運んで  真鍋ジャパンを
応援してくださいね。
もちろん 木村選手を始め
江畑選手 迫田選手 新鍋選手を
始めとする火の鳥NIPPONを
みんなで 応援宜しくお願いしますね。
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 先日のワールドカップでの
ザック japan の 残念を観て
とてもショックでした。
世間もマスコミも  best8ぐらいは
勝ち残るような雰囲気もあり
本田選手の「ワールドカップで優勝する」
との 発言も あり  私も 今回のワールドカップは かなり 期待していたのですが
結果は 予選敗退でした。
私なりに こうなった
原因を 色々考えてみて 次のような
結論に至りました。

1  マスコミ等が 海外組を
     過大評価し過ぎた。
    有名クラブに所属している
    だけで 選手を持ち上げ過ぎ
    コロンビアのロドリゲス選手
    の様な 選手ならば 海外組と
    して評価できるが 今のザックJapan
     には そんな 選手は皆無である
     我々は 海外組に幻影をみていたと
    思います。(この点に ついては
    評論家の セルジオ越後さんが
    以前より 指摘されていました)

    今回の 惨敗は 2006年のジーコJapan
  の  時の海外組を中心にした 戦いの敗退
  と非常に良く似ています。


2  戦術が間違っていた
    自分達のサッカーをすれば
    勝てると 信じて
    これに 従って ゲームプランを
    監督も 選手も たてて 実戦していた
    ここで 今回 良く 耳にする
    自分達のサッカーと言うも
   の に あまりに 囚われ過ぎて
    試合に勝つ事がなおざりになった。
    今回のワールドカップの様に
   全く 自分達のサッカーが
   バリエーションが 1つしかなく
   それが  早いパス回しにより
   ポゼッションをたかめ
   縦のスペースに早いパスを入れて
   そこに 走り込んだ
    ストライカーが ゴールを 決める
   といった様な戦術しかなく
    メンバー構成も この戦術に
    合う 選手しかいません。
    この様に 硬直した 考えで
    チーム作りをしたのは
    ザッケローニ監督の間違いで
    あった と 思います。
    ザッケローニ監督の描く
    プランでは  現在の日本の
    ストライカー達の 決定力と
    こういう 戦術につきものの
    相手に カウンターを 受けて
    Dfの背後に早い ロングボールを
     入れられた  時に 対応出来る
     足の早い  身体能力の高いDf
     が  絶対必要です。
     しかし  現在のザックJapan
      には   その様な屈強なdfがいま
       せんでした
      又   今の戦術では 攻撃が優先されて
       敵 陣 ないで  数点有利を
       作るので   相手に パスを
       インターセプトされて 
       逆襲された  時に  素早く
      プレスを かけて  敵陣内で
       ボールをうばわなければ
       なりませんが
       日本のdfの脳力では 出来ない
       ので  どうしても  味方陣内
       深く  攻め込まれています。
       そうなると  両サイドバック
       (長友選手  内田選手)は 
       とても長い距離を走らざる
     おえないので  大変 体力的
    にも 消耗します。
     これを  繰り返すうちに
    攻撃と守備のバランスが悪く
    なり 相手をフリーにして
   失点するといったケースが
   今回のワールドカップでは多く
   見られました。特に
   コートジボワール戦
   コロンビア戦の後半は この
   戦術の欠点が顕著に出たと思います。

結局  今のザックJapanの戦術
を 表現するには 現時点では
今の選手層では 無理があるのに
とにかく 自分達のサッカーを
実現 させるのを優先して
勝利を後回しにしていたと
思います。
自分達のサッカーが出来ない場合も
想定して  とにかく勝ちに
こだわった ゲームプランを
立てて欲しかったです。

今  冷静に考えて みると 世間も
マスコミも
今の日本の実力を相当 過大評価
していたと  思います。

ここで 本題ですが
元々  全日本女子バレーは
世界 ランク3位で 大きな世界大会
でも 個々の選手が ベストスコアー
だったりで  本当に世界とほぼ
互角に渡り合っています。
なので  各選手も本当に
世界1を目指しています。
ところ が サッカーでのfifa
順位は 46位と 
現実的に考えると ワールドカップで
優勝目指す様な実力ではありせん
しかし  ザックJapanの試合は 3
万人も入るのに 全日本女子バレー
(真鍋ジャパン)の方は ワールドグランプリ
などの国際大会でも 4000人程度です
私はずっと 真鍋ジャパンを応援している
理由の一つに  このチームならば
冷静に考えても 世界1位  オリンピックで
金メダルを獲得する可能性が高いからです。
世界1になる 可能性の高いスポーツを
応援するのは 応援する 方の
モチベーションも高くなって
くるので当然だと思います。

ザックjapanを応援していた時は
FIFAランクなど 気にせず
希望的観測とマスコミの
報道にも煽られて  本当に
優勝する期待を持って応援していたと思います。

真鍋ジャパンの良い処は
選手をデータバレーにもとずいて
選出しているところです。

ザッケローニ監督の様に
ずっと同じメンバーを固定して
4年間で世界を目指しているのと
全然違います。

真鍋ジャパンの場合は その
年に 活躍した選手を基準に
選手選考するので 過去の実績
が 有っても 全日本に入れない
選手も 多ぃです。
とても知名度がある 
栗原恵さんでも 近年
は  真鍋ジャパンに選出されていません。
この様な シビアな 選出選考にも
拘らず  真鍋ジャパンの
常連でいつも 名が出る選出として
木村沙織さんがいます。
彼女は真鍋ジャパンのキャプテンで
実績  実力  人格 など考慮すれば当然だと思います。
それ以外に 真鍋ジャパンの
常連として 新鍋理沙さんが
います。

去年のvリーグでも

mvpににえらばれたとても素晴らしい
バレーボール選手です。


次回は そんな 新鍋理沙選手

の素晴らしい点について

述べたいと
思います。


 













     





迫田さおりさん 4

迫田選手が 全日本デビューから
ロンドンオリンピックでメダリストに なる迄   の軌跡が 以下の
動画に集約されています
代表デビュー



全日本デビューから2年目は
真鍋ジャパンにとつて集大成で
ある ロンドンオリンピックが
開催される年でしたが  
真鍋ジャパンは 前年のワールドカップで 惜しくも 4位となり OQT(オリンピック最終予選)にまわ
る事になりました。
ここで 3位以内に入らないと
 オリンピックに行けません。
さらに、この時
真鍋ジャパンに大きな試練が訪れました。 何と主力選手の
ミドルブロッカーの  大友愛さんと
井上香さんが 2人とも  怪我で 懸命の リハビリにも拘らず  OQT
に間に合わない事が 判明したのです

私も正直、オリンピックに行けないのでは、ないか? と 大変心配しました 
それくらい 大きな戦力ダウンと
当時、マスコミも報道されていました。
特に、井上選手のブロック力は
2年前の世界バレーでも遺憾無く
発揮されて 外国人のエーススパイカーの強烈な スパイクを何度も
シャットして チームのピンチを
救いました 
又  大友選手は アテネオリンピックも 経験された 非常に有名な選手で
そのブロード攻撃の速さはワールドクラスで 大抵のブロッカーは
振り切る事が出来ます。
なので  セッターの竹下選手に
Aパスがはいれば 大友選手のブロード攻撃で 点を取る事が出来ます。

この2人が 試合に出れないのは
真鍋ジャパンにとって大変な痛手でした。
 キャプテンの荒木選手もミドルブロッカーですが この時は調子を落としていて、コートに立つ事もありましたが
大事な試合は ほとんど 井上選手と
大友選手が出ていました。

OQTが始まり、真鍋JAPANは序盤は
順調に勝っていましたが
韓国戦で、相手エースのキム•ヨンギョンの活躍で 1-3で敗れてしまいました。
次のキューバ戦で敗れると
オリンピック出場に黄信号がともる
ので 絶対に勝たなくてはならない相手でしたが   フルセットの末
何とか キューバに勝つ事が出来ました
この試合のヒーローは 迫田さおりさんでした。途中で 江畑幸子さんと
交代出場した 迫田選手は得意の
バックアタックを 次々に決め
チームを勝利に導きました。
真鍋監督の勝利インタビューにも
迫田選手への感謝の気持ちが述べられていました。
 「今日は 迫田がチームを
救ってくれました。」と
真鍋監督が述べられているのを
聴いて 私は とても嬉しくおもうと
どうじに ホットしました。

真鍋監督は どちらかと言うと
迫田選手より 同じ タイプの
江畑選手の方が信頼が厚い様に
見えて  スタメンはいつも江畑幸子さんでした。
江畑幸子さんは 迫田さおりさん
より 早くから 全日本代表に選ばれて
いましたし 試合に出れば 木村沙織さんの対角で実績も十分ありました。
マスコミも 江畑幸子さんはよく
注目されていました。

この 当時  私を含め迫田さおりのフアンが一番 気にしている事は
迫田さおりさんが ロンドンオリンピックメンバーの14人に入れるかどうかという点でしたが

今回の 監督の信頼度からして
多分 選考から 漏れることは
ないと確信しました。

そうこうして 真鍋ジャパンは
ロンドンオリンピックへの
切符をなんとか手にいれることが
出来ました。
 
しばらくしてから オリンピック出場
選手の選考結果が 発表され
迫田さおりさんは見事 代表選手と
して 選考されました。

迫田さおりさんをずっと応援してきたファンの方は 私を含めて
ホットしました。

当時  ライバルとなっていた
栗原恵さんが怪我のため 調子を落としていたので 迫田選手が選ばれた
と思います。
知名度では 栗原恵の方が有名です。
オリンピックも アテネ  北京 と
経験していて 過去の実績は十分ありました。
栗原恵さんも 私は大好きな選手で
まだ バレーに全く興味が
無かった時でも
栗原恵さんは知っていました。

唯  冷静に考えてみると、私が
監督なら  やはり  過去の
実績より 現在登り調子の
迫田さおりさんの方を選んだ
と思います。

サッカーなどで他のスポーツでもそうですが  実績十分な選手が  現在
怪我なので 調子を落としているのに
も拘らず 過去の実績の方を重要視して 選考した結果、本大会で全く
監督が望んでいたplayが全く出来なかったケースは多くありました。
なので  望ん調子の選手を
選んだ真鍋監督の決断は ただしかったと思います。

バレーボールをしている人なら
誰でも 全日本代表になって
オリンピックに出場することは
自分の夢ではないでしょうか?
この夢があるから 他の事を犠牲
にしても夢に向かって 
日々 精進 努力出来るのではないでしょうか。

又 この様な 具体的な 夢や目標を
持ってバレーボールに取り組んで
いる人は ゴマンといるでしょう
 
然し、その中で ほんの一握りの
人しか 実際に オリンピックに行く
ことは 叶わないのです。

迫田さおりさんも バレーボールを
始めた頃は  
「まさか 自分がオリンピック選手になれるとは 夢ではあっても 実現するとは思っていなかった」と
ある インタビューで答えていました。

私も 迫田さおりさんを始めて見た時
から 考えると 大好きで  まだ 
世間では無名であった頃から
 ずっと応援してきた選手が
日本代表として
ロンドンオリンピックに出場
される と言う事は 本当に
夢の様で 自分にも迫田選手の
おかげで 随分パワーを貰い
大変嬉しかったです。
迫田選手からは 
「コツコツとひたむきに努力
すれば夢は叶う」
事を教えて頂き
とても感謝しています。
木村沙織さんを
知ってからはバレーボールに
興味を持ち、さらに 大山加奈さん
のプログラムを拝見させて頂き
加奈さんが怪我から復帰して
又 全日本代表としてコートに
戻って来る事を信じて待っていた
時の 突然の加奈さんの引退表明で
私は 最初 盛り上がっていた
バレーボールに 絶望感が漂い始めた
時期に 彗星の如く 現れた 少女が
又 私をバレーボールと導いて
くれたのでした。
まさに、 迫田さおりさんは
私の前に現れた シンデレラだったのです。

現在では 迫田さおりさんは TVへの
露出も多く 世間でも有名な
アスリートとなりました。

特に  2012年
ロンドンオリンピック3位
決定戦での活躍 や
去年の グラチャンバレー
での3位入賞の原動力となり
自身もベストスパイカー賞
を取られ 今後の活躍が多いに
期待されています。

迫田さおりさんは とても可愛い
女優の内山理名さん似の
美人選手なので マスコミにも
よく 取り上げられます
TVの露出も多く
アイドル扱いされる様な場面も
暫し、見かけますが、
この様な 一流アスリートを
アイドル扱いするのは
やめて欲しいと思います。

人によっては 有名になった
途端に 態度が尊大になったり
する方もみえますが
彼女にかぎっては
そんな事は  絶対にありません

今後も 迫田さおりさんを
ずっと応援していきたいと
思います。

皆さんも  どうか  迫田選手を
応援宜しくお願いします。

木村沙織さん  迫田さおりさん
以外にも 私が好きなバレーボール選手は たくさんいます 

次回は
そんな中で 今後の全日本の
将来を担って欲しい選手を
何人か述べていこうと
思うので 宜しくお願いします。











 
 









前回は 迫田さおりさんに
ついて   全日本に選ばれて
ロンドンオリンピックでの活躍
につい的述べましたが。

もう少し、詳しく  迫田選手の
一流アスリートになる迄に
ついて お話しをさせて頂きます。

前に述べた 様に 私が 迫田さおりさんを
知った時は、高校を卒業されて
東レアローズに入って 2年めくらいの
時期 だったと思います。
その頃、当時は 大山加奈さんの控え
だったと思います。
私も その頃は 大山加奈さんを応援していて 彼女の プログ をいつも拝見させて頂き
いつも元気をもらっていました。
実は 私がこの様にプログをやる
キッカケになったのも 
大山加奈さんのプログを
見る様になつたのが原因です。

なので 大山加奈さんがコートに復帰
されてからは 彼女の怪我の事がいつも気になっていました。

ある時、スポーツ報道で 大山加奈 腰痛
再発 となっていたので 大変心配に
なり 又  脊柱管狭窄症が再発したのでは
ないかと思い、大変暗い気持ちになりました。
しかし  彼女のプログを見る限りは
再発ではなく
疲れ  から くる  腰痛とあった
ので ひとまず安心しましたが
しばらく  加奈さんは コートに
姿を 表すことが有りませんでした。

大山加奈さんは 有名なバレーボール選手で  知っている人は多いと思います。
メグカナブームの1人で 加奈さんに
憧れてバレーボールを始めたた 方も
多いと聞いています。

加奈さんのファン  強いては  バレーボール ファンの人はみな  又 あの 加奈さんが
全日本のエースに復活されてオリンピック
で日本にメダルをもたらしてくれる事
が 共通の願いだったと思います。
もう1度 大山加奈の力強いスパイクを
みたい  そう言う 期待をバレーボールファ
のみんなが持っていました。
もちろん 私もその1人でした。
結局  この シーズンの残り試合で
大山加奈さんの姿をコートで
見る事は 有りませんでしたが
変わりに 迫田さおりさんの姿
を初めてコート上で見る事が出来て
大変感激しました。
しかし、大山加奈さんがいないので
嬉しさ半減といったところでしたが

初めて 見る 迫田選手のスパイクには
私を含め まわりの人も 
あまりの迫力にどきもを抜かれ
皆  あぜんとしていました。
迫田選手のスパイクの
凄いところは、
 打点が高くて  しかも 高速スパイク
 な点です。
特に  バックアタックの
  高さとスピードは 男子選手なみ
  で   ブラジルの有名な
シェイラ・カストロの様です。
   迫田選手は バレーボール選手としては
   身長は175cmとどちらかと言えば
   小柄な方ですが それを補って余りある
   身体能力の持ち主で 特に凄いのは
   スパイク時の跳躍力が何と75cm
   もあり 高い打点から 放たれる
   スパイクは 破壊力抜群です。
   又  スパイク時のフォームは
   全日本の中でも一番美しいと
  言われます。

  迫田さおりさんのバックアタックに
 ついては 初めて 見た 解説者の方も
  世界に通用すると太鼓判を
押していました。
  
 迫田選手の素晴らしさに感激して
 益々  迫田さおりが大好きになりましたが
 大山加奈さんの怪我も気になっていまし
 た。

 そして その年のシーズンオフに
 なろうとする頃
 「大山加奈さんの引退」の
  ニュースが突然各メディアより
  発表され バレーボール関係者に
  衝撃が走りました。
  
  私も大山加奈の復活を信じていたので
  突然の引退報道に絶望し、加奈さん
  の現在の心境を思うと いたたまれなく
  なり  非常に寂しい気分に
  なりましたが   しばらくして
  加奈さんのプログを拝見させて頂き
  今回の決断については
  充分 検討して出した結論なので
  自分自身も納得されているので
  安心しました。
  加奈さんももう前を向いて
  新しい夢に向かっている様
  なので、 加奈さんの分まで
 迫田さおりさんを
応援しようと言う気持ち
になりました。

しばらくして
又  vリーグが始まり
 迫田選手は
 いつも スタメンで
出場されていて
コート上で は木村沙織さんと
対角を組んで wsとして
活躍されていました。

その頃の東レアローズはvリーグで
3連覇中で 対戦相手の各チームは
エースアタッカーである
木村沙織さんを徹底的にマークしていて
彼女のスパイク時には必ず 2枚から3枚
ブロックが付いています。
又  その頃からデータバレーが普及して来て、木村沙織のデータは 相当研究されていました。

なので、沙織さんのスパイクが中々
決まらない場面も多く有りました。
そう成ると アローズは守備がいいので
ラリーになります。
ラリーの途中で  セッターは
相手  ブロックが 木村選手に付いている
のを 瞬時に判断して  対角の迫田選手に
トスを上げます。

当然  迫田選手には 相手 ブロックが
付かず  高い打点から  放たれた
スパイクは 相手コートに面白い様
に決まり、試合によっては
迫田選手がベストスコアラーと
なる試合も多く有りました。
このシーズンは ファイナルラウンド
の決勝戦で 今シーズン 1度も
勝つ事ができなかった  キム•ヨンギョン
のいるJTに3ー0 のストレートで快勝
して  アローズの4連覇が達成され
木村沙織さんが MVPに選ばれました。
この試合は tvで 見ましたが
木村沙織さんは 素晴らしい活躍でした。
特に   キム•ヨンギョン(ロンドンオリンピック MVP)の 強烈なスパイクを レシーブから切り返して 強烈なスパイクをインナーに決めたシーンは凄かった
です。

迫田選手も強烈なバックアタックでチームの勝利に貢献されました。

ただ 私は  表彰式で  相手チームの
全日本代表選手でもある ミドルブロッカーの  大友愛さん(ロンドンオリンピック
銅メダリスト)が 号泣されていたのが
大変 印象深く映りました。
大友愛さんも 好きなバレーボール選手です。

そんな事で vリーグも終わり
 全日本女子バレーの招集が
あり  迫田さおりさんは
初めて、全日本女子の登録選手と
なりました 。
この時 監督は  すでに 「真鍋政義さん」
が 務めていて データバレーを取り入れた
緻密なバレーを目指していました。

この年 日本で行われた 世界バレーで
全日本女子は  アメリカを破り
銅メダルを 獲得しました。

この試合は フルセットのハラハラ
する  試合でしたが  最後に
木村沙織さんがスパイクを決めて
日本が勝利した瞬間から  ロンドンオリンピックへと続く
新生真鍋japanの新たな歴史がスタート
しました。

ただ、この試合に迫田さおりさん
は 出場する事はありませんでした
この時はベンチすら入事もできなくて
スタンドで味方の勝利を祈る姿がとても
印象的でした。

まだ  この時は 迫田さおりさんが
全日本にスタメンで 名を連ねる事
は ありませんでした 。
当時ライバルであった 江畑幸子さんが
絶好調だったので  真鍋監督も
重要な 試合は 大抵  江畑幸子さんを
スタメンで出場させていました。
江畑選手の調子が悪い時に
メンバーチェンジで 迫田さおりさんが
コートに立つケースが
ほとんどでしたが  迫田選手の活躍で
敗戦濃厚なチームを救った  世界バレー
 ポーランド戦は 見事でした。
いきなり 2セットを落としてから
途中出場の 栗原選手 迫田選手の活躍で
フルセットで勝った試合は 大変感動
的で  特に  迫田選手のバックアタックが
世界に通用する事が立証された試合でも
有りました。


次回はこの続き  

迫田さおりさんが  全日本デビューか
現在に至る 軌跡について述べていきたいと思います。


 









  
  
 
  





始めて