早く仕事を辞めるには、できるだけ支出を減らして収入との差を貯蓄する必要がある。


それゆえ、そういう生活に対するしばしばの反論として、「経験や体験にお金を使わないと人生が貧しくなる。」という主張を耳にするだろう。


そこで

「体験にお金を使うべきか。そこをケチると後で後悔するのでは」

という質問に私なら、


「知るかよ自分で考えろ」


と答える。


本音では、

「そんなもんないくらいで貧しくなる人生なんて元々貧しいんだよ、と言い切るくらいの機転を効かせられないから不安になるんじゃないの」

と思ってる。


事実私は毎年80-100万円くらいを他人との旅行や交際といった体験に投じている。

そんな身から言うと、経験にお金を払う必要はない。

正直してもしなくてもいい出費だと思う。


老いてから思い出になるとは言うが、正直数年前の旅行すら大して中身は覚えてない。

誰とどこに行った、楽しかった気がする、くらいの記憶しかない旅行もある。

人の記憶なんてそんなもんだ。


そんな、1行で終わる「思い出」とやらですら、得ようと思えば数万から十数万、海外なら数十万かかる。

体験というのは、めちゃんこ高いのだ。

しかも税金みたいに累進課税なんて気の利いたことはしない。

貧乏人にも金持ちにも、同じ体験には同じ値段をふっかけてくる。

つまり、貧乏人が無理してする事じゃない。


じゃあなんで私がそんなものを毎年金を出して買うのかというと、理由は三つある。


1, 流れで行く事になるから

これがきっかけとしては一番でかい。

普段の人付き合いの中で流れで行こうとなる。

生きてればある。食費や家賃に似てる。


2,好奇心が満たされるから

興味関心のあることで知的好奇心を満たすのは楽しい。


3,経済的に余裕があるから

私の経済状況の場合その金を節約してもリタイア計画が崩壊するわけでも、劇的に改善する訳でもない。

感覚としては20円高いが良い豆のコーヒーを飲むのと同じ。

当たり前だが蓄財というのは年齢が上がる方が捗るので、私の20年の計画のうち仮にリタイア計画を始めてから全ての体験を我慢しても計画が繰り上がるのはせいぜい3年だ。

アラフォーになって3年早く辞めるために20代とアラサーの17年間体験を我慢し続けるというのは、私にはあんまり魅力のない選択肢だった。


逆に、全ての体験を諦めて慎ましく暮らしてギリギリ計画達成、という状況だったら行かないし行かない事を後悔もしないだろう。

そんな状態だったら遊ぶ前に給料を上げる努力をするのが先だと思うし。


結局体験に金を払うか節約するかなんてくだらない議論だ。

誰だって身の丈に合う範囲でてめぇのしたいようにやれとしか言いようがないと思う。


ただ、現役時代したかったのを特に我慢していたのでもないのにリタイアして暇になったからといってやおら後悔しだすのは、その後悔の本質は「それを若い頃しなかったから」というのとは別のところにある気はしている。