わたしが見ているこの世界は、
本当なのか、嘘なのか、
真実はなんなのか、なにが正しいのかも、
他人が決めることなどできないことを
どこかでわかっていたような気もするけれど
わかりたくなかった気もする。
自分のことを知るために、他人の言葉を丸呑みにして、他人に作られたわたしになろうとしていった。
運命だとか、天命だとか、使命だとか、
誰かに教えて欲しかったし、
何か特別なものが欲しかった。
きっと、あなたは特別なんだと、誰か言ってくれよ、認めてくれよ、なんて思うことも多々あった。
それも、今となれば、自分は自分にとってかけがえのない特別な存在であると、自分に対して気づきたかったのだろうな。
今、わたしは、運命も、天命も、使命も、
自分で決められるものなのだと思う。
決めたことが真実なんだろうと思う。
わたしは、普通の人間だ、ということ。
それが、わかってしまったから、
わたしは自分で自分のことを、決められるんだと思えた。
ずっと、他人に求められる普通が正しいのだと思い、そう生きて、自分にとっての普通を、ひた隠して生きてた気がしてた。
だけど、わたしの求める生き方は、淡々と、わたしにとっての普通を生きながら、わたしにとってのいらない普通を捨てながら、生きていくだけなんだな。
眠りから覚めて、1日が始まって、自分にとって、必要なことをして、1日を終える。
1日と一生は同じなのだなあなんて、思ったりすることもある。
明日はきっとあるのだけど。
きっと、ある、のレベルなのだ。
(きっと来世はある、と、なかなかすんなり日々思うことはないけれど。)
世界に、全てがあるのだそうだ。
わたしにとっての全てがあるのだそうだ。
目の前の人の世界に全てが、目の前の人にとってはあるということなのだろうな。
そういう意味で、世界はきっと平等。
あなたにしかできない経験をしてくれてありがとう。
わたしはわたしの経験をするよ。
あなたがその経験をして、わたしがこの経験をして、
あなたの経験はわたしには、荷が重いので、
わたしはこれをやるね。
あの場所で、会おうね。
そんなことを、どこかで約束してきたのだろうな。
きっと、出会う人には、意味がある。
おかげさまで、今、幸せに、生きておりますよ、っと。
ありがとう。