助けすぎ・尽くしすぎ

自分から

卒業したいあなたへ💐

 

優しくて、頑張り屋さんのあなた。



でも、助けすぎ・尽くしすぎて
気がつけばたくさんのモノを背負い込み、

身動きがとれなくなっていませんか?







【誰より自分を犠牲にして頑張ってきた】

そんなあなたが、もし報われず疲れ果てたとしたら、

少し立ち止まってほしいのです。


それは、
この間までのakemiだからです。

 


私の思い。

ぜひ、こちらをご覧下さい↓


    akemiのプロフィール(^^)/

 




がんばって、がんばって、がんばりぬいた末、

人間不信に陥り、人生に疲れ果てたakemi⤵

 

 


 そんなakemiの救世主は

(自己肯定感up➕お片付け)

による、気づきでした

 




30年間悩み抜いてやっと気づけた


 自分が主役で、いいんだ!!



before (45歳) after(今51歳)

 





超絶・背負い込み体質のakemi  でも出来たのだから、あなただってできます✨

 





akemiがあなたに伴走し 🏃🏃‍♀

脱出のきっかけを【マンツーマン】

で作ります!!!


 

あなたが自ら、歩き出すために。



    (心とモノ)の

   リセット🔷カウンセラー

      akemiより🌈




こんばんは、akemiです^_^






今、私の実家の家族は

バラバラになっています。







母は大腸がんになり、術後の経過は良いけれど、入院前に転倒した痛みで、

歩けないまま入院して1ヶ月以上経って

いたので、


リハビリのための転院をさせて頂く事になりました。


しかも


父母の家のすぐ近くである

かかりつけの病院に無事転院出来たので

仕事の途中で寄りやすくなり、


父も自力で行けて、頻繁に面会できるようになりました。




私はその事で、本当に本当に安堵して

今、心安らいでいます。





母はもし家に帰っても、この寒さもあり

ほとんど布団にもぐって寝てしまうし、


父は身体がどれだけ大変でも、家にじっとして居られなくてすぐに出かけていくので、



寝起きや、トイレへの移乗がままならない状態で自宅へ帰るのは、大変な事だったからです。



せっかく大腸がんを手術してもらい

命をつないだ母の身体。



このような形で助けて頂けた

巡り合わせに、


日々感謝が尽きません。









父の方は、コロナの重症化から一命とりとめた後、在宅酸素とインスリンの自己注射でコントロールしながら


母と兄が入院中の今、

一人で生活をしています。




父は去年の11月に、外出先で転倒して

顔面からこけてしまい

血だらけになって救急車で運ばれる事がありました。




その傷も治らぬうちにまた転倒し、


今度は腰をかなりやられため、

年末年始も激痛で寝起きするのも

やっとの状態でした。






近頃、やっと痛みがひいて来た父ですが、


ずっと一人で自分の食事や買い物、

5か所もの通院もして

自身の病院通いだけでも大仕事で、




それなのに、兄や母の病院へ酸素ボンベを積んだ電動カートでせっせと通い、

面会して、洗濯物もしてくれている。


(父が兄の洗濯物をほぼ担当し、

母のものは私が回収して分担。)




さらに驚くべきことに


あいた時間はゲームセンターへ行き、

朝から夕方まで一日遊んで


友人とマクドでハンバーガーを食べたり

シェイクを飲んだりして

気晴らしもしている!!!


(1日2回のインスリン自己注射と、

4回の血糖値測定もあるのに?!)


時々おかずを持って家に訪ねても、

寒い日も雨の日もほぼ不在。






なんとも、父は怪物であり、

家族も医者も

誰もが認めるモンスターぶりです。





先日、父の顔がむくんでいるのに気づいて、検査をしてもらって受診に付き添ってみると、



なんとーーー


レントゲンであんなに白かった肺が、

だいぶ黒くなってきている。

(治らないって聞いてたのに!?!?)

 



確か去年の12月に、あんなにネバネバの痰が絡んで、苦しそうに咳をしていて



かなり辛そうなので、

呼吸器内科に付き添って、痰の事を相談してたのに。(痰切りを出してもらった)




その他にも父は

今となっては病気のデパートで、


心臓の血管は、5cmほどに拡がっているし、緑内障で片目がほとんど見えにくくなっており7、8本もの目薬を毎日何回もさして眼圧を下げなければならないし、後縦靭帯骨化症で10年以上前に大手術をしたが太ももがしびれてずっとずっと痛くて、手術した背中の傷の辺りが痛むこともしばしばだし、呼吸器の治療のステロイド内服のため、血糖値も高くなりインスリンの自己注射もしているし在宅酸素も必要な身体になったはずなのに、




結局、むくみの原因となるような

決定的な悪化は何も見られなかった。


(血圧の薬などの副作用か、筋力不足かと言われた)







先日の糖尿内科では

寝る前の血糖値測定は免除され


結局外してばかりの酸素も、「苦しくないなら外してもらえるか聞いてみたら?」と言われたらしく


先生に「タフガイ!!!」と言われた

そうだ。




そんな父を見ていると

転倒の激痛でむしろ他の病気を事を忘れたのかもーーと思ったり


兄や母の事を気にして、逆に自分の事を

気にせずすんでるのかもーーと

思ったり




でも何より、誰に何を禁じられる事なく

ビクビクしないで

好き勝手に生きている

(家でも酸素はずしまくってるし

本当に、やりたい放題!!)事が、




80年間フル回転させた生身の身体を

モンスター級の気力で蘇らせて、



「魂の器」として未だ成り立たせている

最大の秘訣だと、合点が行く。






父の生き方は、時に人を巻き込み

激しいものだったけれど


その強さはまた、

悔いなき人生を生きる人の

天に愛される生き方でもあるのかと





父の生き様を目に焼き付けています。







そして、兄。


兄は去年の2月にクロザリルの治療を

受けて精神科へ入院しました。


5月から劇的に良くなって

その後一旦、退院したものの

帰宅後すぐイレウスで別の病院へ入院し、数日で退院したのに、また同じ症状が起きて入院↓







検査をしても内科的におかしな所が

なく、これ以上処置する事はないと

言われたけれど、

それでも腹痛が続きました。



せっかく上手く行っていたクロザリル

の治療が一旦中断になり、

危うく振り出しに戻る危機に。




なんとか、お腹がおさまった所で

再び精神科へ戻って副作用からくる腹痛も考慮しながら薬を調整していたら、

今度は躁状態に。


そして、また薬を調整しているうち

意識がまとまらなくなり、

みみずのような字しか書けず


何を言っているのか、私でもほとんど

聞き取れないほどろれつが回らない

状態で、尿失禁が頻繁に起こりました。



尿臭のきつい失禁した衣服を引き上げ洗濯しながら、薬での調整の難しさを

痛感。



ちょうどいい所にとどめる事は

至難の技だということは

この25年の月日で目の当たりにして

来ましたが、



やはり、このような状態を見ると

面会しても為すすべもなく辛くなる

時もありました。










しかし、今ありのままの兄の姿を受け入れながら、落胆したり諦めたりする事もなく、


お菓子を差し入れして、

手紙を書いて渡し、



ゴミの散らばる汚い床を掃除して帰ったり、清潔な衣服を着て気持ちよく生活出来るよう気をつけたり、


自分自身が元気を持って

兄の顔を見に行く事を

今まで通り続けるのは


私も父も同じでした。



心配したり、恐れたり、自力でどうにかしようと力む(りきむ)事が

兄を良くする事には、決してつながらないと



今のわたしたちには分かるようになったのだと思います。









そこから1ヶ月ほどしか経たないうちに、

兄は急に落ち着き始めました。


その顔は憑き物が落ちたような

穏やかな表情になり、

話す言葉も明瞭で、的を得ている。




未だかつて感じた事がないほど

安らいでいて



ひと目で


「あ、くつろいでいる!!」


と分かるようなーーー。




その姿は感動的で、

今兄が「楽になった」状態である

ことがひしひしと伝わって来ました。






あぁ、なんて凄いことーーー!!


この病院の先生やスタッフは、

なんて凄い仕事をしているんだろう。



クロザリルの治療で兄が我を取り戻し、一旦退院できたと思うと

直後イレウスになり、治療が難航してしまった。


 

あの状態から、



焦らず

ブレず

諦めず



いかなる兄の暴走も受け止め

観察、保護して

プロとしての務めを果たし



兄をまたこの状態へ

導いて下さった。

なんて尊い事だろうーーー。






先日、兄が私にくれた手紙がそれを

物語っています。






(先週、兄からもらった手紙)



akemiへ


(兄)よりakemiには、いつも急がしいのに来てくれてありがとう。父母の事も、

いつもありがとう。(兄)もakemiの武勇伝を見たり聞いたりして毎日嬉しいです。みんなにとって大事なのはHappy

(幸福)なんだと思う。



そして(兄)もようやく、自分の意思で生きていくことができるようになったよ。見て楽しい、聞いて楽しい、毎日素晴らしいし、みんなに守ってもらっている事に感謝しています。ありがとう。







4月から兄の主治医となったN先生は、



1年前の2月末に


義足もつけずに割れたガラスを踏みつけて、外に飛び出すような

激しい発作を起こした兄を


まるで刑務所のような保護室から

始めて、わが家の激動の1年と共に

治療に携わって下さった。



兄も父母もみんな

命があるかないかも分からぬ

試練の1年でした。






そのN先生も、この3月で

この病院を辞めて行かれます。


その前のS先生も、とても穏やかな優しい人柄の素晴らしい先生でしたが、


一期一会の出会いと別れは

承知のこと。





兄の過去と未来がどうであろうと


今この時に

兄が心の平和と感謝に包まれた

その時間が確かにあったと



この手紙を見て、分かった。


 


深い深い感謝の念が

怒涛のように押し寄せ、

私はえも言われぬ喜びに包まれました。






今も兄は保護観察室にいるけれど、

扉は開放され、

かなり落ち着いて生活できています。



先日の兄のカンファレンスで

初めて、退院後の行き先を

グループホームにする事が話し合われ

合意したのは、


初めての事でした。





長年私の望んでいた

三つどもえの解消。

私の念願と言ってもいい。



前回5月のカンファレンスで兄の独立を

すすめたものの、

また実家へ戻る事になり

 



会議中とはいえ、ひと目もはばからずに

悔し涙を流していた私がいた。








その第一歩が、今このタイミングだった事に納得しながら


自力では辿り着けない

偉大な、偉大すぎる

天の配剤を思った。





一家バラバラになり、

バラバラにした事で、



今ようやくそれぞれが心と身体の

力み(りきみ)を緩めて

幸せを感じられる時が来た。




私には出来なかった。

しかし、その時は来た。




これぞ、天の配剤では

ないだろうか。



天の配剤


機会や人のあり方などが、自然の成り行きとは思えないほど適切に配されていること




誰か一人のせいでも、

誰か一人のおかげでもない。




一期一会

禍福はあざなえる縄の如し

天の配剤







大いなるものに導かれて、私の家族は

ここまでやってきた。





今、みんながバラバラ。


でも、それでいて

今までで一番心がつながっていて

それぞれを思いやれるようになった。


そんな、気がしています。







    (心とモノ)の

   リセット🔷カウンセラー

     akemiでした🌿