助けすぎ・尽くしすぎ

自分から

卒業したいあなたへ💐

 

優しくて、頑張り屋さんのあなた。



でも、助けすぎ・尽くしすぎて
気がつけばたくさんのモノを背負い込み、

身動きがとれなくなっていませんか?








【誰より自分を犠牲にして頑張ってきた】

そんなあなたが、もし報われず疲れ果てたとしたら、

少し立ち止まってほしいのです。


それは、
この間までのakemiだからです。

 


私の思い。

ぜひ、こちらをご覧下さい↓


    akemiのプロフィール(^^)/

 




がんばって、がんばって、がんばりぬいた末、

人間不信に陥り、人生に疲れ果てたakemi⤵

 

 


 そんなakemiの救世主は

(自己肯定感up➕お片付け)

による、気づきでした

 




30年間悩み抜いてやっと気づけた


 自分が主役で、いいんだ!!



before (45歳) after(今51歳)

 





超絶・背負い込み体質のakemi  でも出来たのだから、あなただってできます✨

 





akemiがあなたに伴走し 🏃🏃‍♀

脱出のきっかけを【マンツーマン】

で作ります!!!


 

あなたが自ら、歩き出すために。



    (心とモノ)の

   リセット🔷カウンセラー

      akemiより🌈




こんばんは、akemiです^_^






前回、父の2度目の救急搬送からの

続きです。




救急搬送の検査後に聞いた

当直医の言葉




「この病気は、死ぬ病気です。」






驚きのあまり「え!?」と、

声が出たものの



それ以上の言葉は出てこなかった。






退院して、4日足らずで悪化して

急に【死ぬ】って言われても


そんなの

納得できるはずがなかった。







絶句する私に、

ごく冷静に説明を始めたのは

やや高齢で、話し方に特徴のある

ちょっと個性的な先生でした。




レントゲンを見せながら






ドクター「お父さんはARDSです。」


私「…え?!

ごめんなさい、何でしたか?」



ドクター「ARDS急性呼吸窮迫症候群です。コピーをお渡しします。」





その場でコピーをして手渡され、詳しい説明が始まった。



急性呼吸不全…。

恐ろしくて、全然頭に入ってこない。






「残念ながら、この病気は死ぬ病気です。若い人でも、4割の方が亡くなる

ような病気です。




サイトカインストームという免疫の暴走が起きて引き起こされ、


前回の退院の、このレントゲンと比べて

肺全体が真っ白になっているのが

分かりますね、

ここが、こうで


前回の退院時と比べてこうでーーー


一度損傷した肺は元に戻らないのでーー



お父さんは高齢者なので、治療をして人工呼吸器を着けたとしても、大変予後が悪く、

もし治療がうまく行った場合でも、

最高の着地地点が気管切開ですーー。」



私の記憶に残っているのは、上記のような衝撃の会話でした。





私は、泣き出しながらやっと声を出しました。



「え?!まだ退院から4日しか経ってないのに…?!(恐らく顔面蒼白)



家に帰っても父は咳き込み続けていて、全然体調が良くなかったので

何度も病院に行ってほしいって言ったのに、全然行ってくれなくてーーー」



言葉に詰まって

むせび泣きになってしまうと、

その先生は私に言いました。





「お父さんの意地があるのでしょう、


男は見栄で生きてるんです。


お父さんが病院に行かないと言ったら、

それはもう仕方ないでしょう。」




❗❓❗❓❗❓




(え、それ、今言う…??)



一瞬驚いたものの、逆に慰められたり

深刻にされなかった事で、

私はある意味ふっ切れました。





「そうですか…。

先生もそうおっしゃるなら、

私も仕方なかったと思う事にします。」


  




【そう、どうせ今さら騒いでも

何の意味もない事ーーー。

でも、でも。。。】





「でも、すみません。責める訳ではありませんが、退院後あまり体調もすぐれず

すぐ悪化したのに、


前回の入院は、なぜ9日間だけで

退院を許可されたんでしょうか?」




「それは、分からなかったからです。

免疫の暴走は突然起きて重症化するので、予見出来ません。


退院時には、このレントゲンのとおり

肺は良くなっていたので退院が許可されたけど、


その後にサイトカインストーム

(免疫の暴走)が起きて急激に悪化したのでこうなったのです。」




説明が終わると、頭の中は真っ白でした。

とにかくーーー父に会いたい。






確か14:00すぎには救急搬送された

のに、

検査を終えて病棟に上がる頃にはもう19:00過ぎになっていて





検査後なんと3時間近くも

救命センターのストレッチャーの上で

病棟待ちする事に。






父が私を呼んだので、夫と二人で救命室のベッドにいる父の側へ。

酸素マスクをつけて、硬くて狭い

ストレッチャーの上で何度も身を

よじる父。




「ゲホッ、ゴホッ!!

ーーーまだ、上がれないのか…?」




「ゴホッゴホッ!!!

なんか、今回はこのままコロッと逝ってしまいそうやな…。」







(こんなに辛そうなのに、

なんでこんなに待たされるんだろう?!


でも、でも、このままサッと病棟に連れて行かれてしまって、もう会えるのが最後だとしたら…??



もしかして、もしかして

もう会えないとしたら…?!)

 


歪みそうになる表情を、無理矢理に

引き締めた。







父が携帯片手に入院後の気がかりを

メモしてくれと言ったので、私は

メモを取りながら


空いた時間でひたすら父の背中や脚を

なで続けました。






そして、父が病棟に運ばれ、

私は呆然としながら夫と帰宅しました。







そして始まった

父の【急性呼吸窮迫症候群】との戦いと

私の【自責の念】との戦い。






あぁ、一度ならず二度までも

こんな失敗をしてしまった。


しかも、今度は致命的じゃないか。

悔やんでも悔やみきれないーーー





なぜ、私は父がこんな状態でも

病院へ連れて行く事が出来なかったのか??


普通は行くよね、無理にでも連れて行くよね?



結局私は

母や兄と同じ、父に言われるのが

嫌だからって連れて行けなかったのか?!

いや、そんな事。でもーーー。


でも、本人が拒むのに

どうやって連れて行く?


いや、救急車を呼んでしまえば

それで済む。

でも以前そうしようとしてかなり揉めたからそれも勝手にしたくはなかったし、


でも今回はそんな事を言っている場合でもなかったのでは…??





もう、どうやって寝ればいいのか

分からないほど混乱し始めた。







私はあのお医者さんから聞いた

恐ろしい言葉を

母や兄に言う気にはなれなかった。




肺炎がひどくなり

少し大変な状態になっているらしい

と、そう言うのがやっとだった。




何より私自身、そんな事を

直視する事は出来なかったし


その未来を迎え入れる事は

私には不可能過ぎて

口にする事が出来なかった。








年老いた80才の父。


持病をたくさん抱え父が

コロナ感染で重症化して

死んでしまっても


何も珍しくはないのだろう。





でも、防げたかも知れないのにーー

そう思うとたまらなく苦しい。





それがどうしても感情的に

受け入れられない。



自分のもろさを痛いほど感じながら

身震いのする長い夜だった。





    (心とモノ)の

   リセット🔷カウンセラー

     akemiでした。