病気は 納得いかない。
全く、どうにもできない。
ネガティブな日がある。
治らない病気は、負担が大きい。
良いことが起きると、きっと、昔の自分よりさらに嬉しさを感じているだろう。
辛いことがあると、さらに辛い。
患者さんの家族が、皆、理解があったり、協力的なわけでは無い。
命が大切なのは誰でも分かるが、それは自分の命の話。
他人の命では無い。
命がなくなると言われている人と、言われたことがない人は、
世界感が違う、と思う時がある。
私からは、マジックミラーのメガネ越しに、見ているような世界。
マジックミラーのこちら側から見ると、同じ世界を見ているのに違う物にも見えるような。
同じ光景を見ているのに。
でも、見えない人は、見えないままで良いのだ。
病気になって、学ぶことが出来たと言う人がいる。
でも、学ばなくても良いことの方が多い事も言うべきだ。
病気は、私を、時折、
ネガティブで、卑屈で、攻撃的な人格にして、それを病気のせいにする事で自己嫌悪に落とし、
吐き気や食欲不振をおこさせ、無駄な時間を過ごさせる。
自殺する気は無いが、周りの人の残りの人生の為には、私はさっさと死んだ方が良いのだろうな、と思う、事もある。
『なぜ自分だけ?』みたいな、よく聞くセリフは考えついたことは無い。
むしろ、遺伝じゃありませんように、と願った。
でも、『分かってもらえるはずがない』という無益な考えは浮かぶ日もある。
笑っていたいのに、難しい時間が長いときは 空を見る。
オーストラリアの空は、そんな人におすすめ。
オーストラリアには海もある。
結局は、自然が病気を助けてくれると思う。