骨髄異形成症候群と生きる | オーストラリア暮らしログ

オーストラリア暮らしログ

2011年にオーストラリアへ移住。旦那さん、娘と3人暮らし。嘘、偽りのない、オーストラリア暮らしの日々を書きます。MDSというレア疾患持ち。

当然のことながら、

 

誰の目の前にも『死』は、あって、でも、それは見えない人も多いと思う。 

『余命宣告』をされると、いきなり形を現し、常に纏わりついていて、2度と消えない。

 

 

見えるようになった事に、感謝もある。 

 

今までの世界を違う角度から見るようになる。

『死』は、纏わりついてくる感じ。 

 

 

毎日、ここで気持ちを書くようになって、他の方の記事を読むようになった。

今日読んだのは、『10年は不自由ない生活が送れるでしょう』と、つい最近診断されていた白血病患者さんが、急変、現在、闘病生活をされている話。 

逆に(?) 私は10年以上前に、『余命もって5年以内、病気自体の最長でも記録が10年』と言われたのに、いまだに生きている。 着実に体調は悪くなっているとしても。 私は何をどう思うのか。

 

 

自分のために、家族に出来ることを考えて、特に2歳だった娘に出来ることを1番に考えて、生きてきた。 病気が判明していなければ、こんなに出来なかった。 常に『来月には死ぬ、来週には動けなくなる』と思って、生きてきた。 困難な事があって解決しようとする度、成長できた(と思う)自分を、こっそり誇らしくさえ思うこともあった。 思えば、中学生の頃に読んだ “マスターキートン” の、恩師の教えに感銘を受けた事が一因かもしれない。 『たとえ明日死ぬとしても、今日学べる』が、元々 私の生きる指標の1つだった。 

報われる為より、純粋に、何かを学ぶのが好きな性質とも思うけれど。

 

 

病気だと知ってから覚悟しながら生きてきたつもり。

でも、今日も生かされている。

 

 

今、もし死んで、あの世で先に逝った友達に会ったら、私は、何をして、何が楽しかったって言うんだろう。

 

生きている、でも常に、『死』が視界に入る。 楽しい時も、悲しい時も、常に纏わりついている。

 

必死って、結構大変。

 

『生ききる事を決めた時の笑顔と、ただ死んでいくかもとネガティブになった時の 作り笑い的な笑顔とは、受け取る立場の人の印象は全く違う』と、教えて下さった方がいた。

 

受け取る人の事を考える余裕を持っていたい、ぎりぎりまで。

 

 

私はどうしていこうか。

 

血液検査は行きたくないな。

 

 

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