2025年2月上旬にアザシチジンの第1クール(7日間・14本)を終了し、無事に退院しました。今回はその後の経過についてご報告します。
退院後の2月は、週に1回のペースで通院し、血液検査を受けてきました。以下がその結果です。
| 検査日 | 白血球 (基準:3,300~8,600) |
赤血球 (基準:4,350~5,550) |
ヘモグロビン (基準:13.6~16.8) |
|---|---|---|---|
| 2024年12月 | 2,120 | 2,740 | 11.2 |
| 2025年1月(入院前) | 2,090 | 2,690 | 10.4 |
| 2025年2月(退院時) | 1,490 | 2,340 | 9.5 |
| 2025年2月中旬 | 1,840 | 2,220 | 9.0 |
| 2025年2月下旬 | 1,320 | 2,030 | 8.1 |
私はジョギングを日課にしており、入院前までは「2km走ってインターバル、また2km走ってインターバル、最後に1km」というスタイルで走っていました。
以前はもっと長い距離を軽やかに走れていたのですが、次第に息が上がるのが早くなり、「年齢のせいかな」と軽く受け止めていました。
しかし、退院後に走ってみると、脚が重く感じられ、呼吸もすぐに苦しくなってしまい、なんと500mも続けて走ることができませんでした。
「ああ、これが病気の影響なのか…」と、正直なところ気持ちが沈みました。
それでも、こうして少しでも体を動かせていること自体が、まだまだ恵まれているのかもしれない、そう思いながら、一歩一歩、脚を前に出しています。
以前はもっと長い距離を軽やかに走れていたのですが、次第に息が上がるのが早くなり、「年齢のせいかな」と軽く受け止めていました。
しかし、退院後に走ってみると、脚が重く感じられ、呼吸もすぐに苦しくなってしまい、なんと500mも続けて走ることができませんでした。
「ああ、これが病気の影響なのか…」と、正直なところ気持ちが沈みました。
それでも、こうして少しでも体を動かせていること自体が、まだまだ恵まれているのかもしれない、そう思いながら、一歩一歩、脚を前に出しています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。