ぼーっと | バイクとCAFEと

バイクとCAFEと

バイクとcafeと猫
これらを愛する俺は、自由に飢えているのかもしれない… ( ̄ー+ ̄)キラーン

今日はいつもの茶店で
御飯を食べて珈琲を飲み

ネットを徘徊したあと


ぼーっと





こういう銀色の物や
珈琲の中に映る光を見ながら
ぼーっと



ロウソクとか焚き火を見ている時に似ている

なんも考えずにぼーっとする

落ち着く


瞑想って、こんな感じかなー

光はいつも見ているハズなのに
何が違うのか、こういう光を見つめていると、心に?脳に?変化がおきる。



そういえば
仕事中とか

ふと、「目が覚めた」
と思う事がある。

周りがハッキリ見える
今までも見てたハズなのに
見えてなかった事に気付く


夢の中で夢だと気付かないで過ごしているように、見えないのが当たり前に過ごしている。

そんで
見えた時だけ、あ、見えてなかった、と気付く


あと
デジャヴをたまに経験するけど

たまに
このデジャヴは前にも経験した!
‥と、前にも思った!
‥と思う事がある。


そうなると、少しだけ怖くなる。

ずっと同じ時間をグルグルグルグル回っているだけではないのかと。

あるいは
マトリックスという映画のような状態とか。

この世界で人間は、機械が電力を得るための電池であり、強制的に眠らされて、機械の作った仮想世界を現実だと思って生きている。






生物の進化を調べる為だったか?
コンピューター上に単純な生き物を作って、その生き物が環境に合わないと死んだり、合うように進化していったり、そういう事が行われているらしいけど

僕らも実は、より高度な存在が作ったシステム上のプログラムにすぎないのかもしれない

そういう仮説すらあるらしい。


こういう仮説があるのは、やはり
みんなこういう無限デジャヴ的な‥ 現実が現実でないような経験をしてるんだろうか?

してるけど、言わないだけ?



まあ

多分
現在の科学的に言えばデジャヴは
生きる為に同じ経験を探す脳の機能だ‥
みたいな事なんだろうなー

とか思って
忘れる。



またある日

あ!コレは‥
と思ったりするのだ。





いうのを前にも考えた気がする


というのを‥

というのを‥

という‥




きりがないねゲロー




ではでは