今日は強迫性障害の根本の原因について書いてみる。

ブログタイトルらしくというかなんというか。

 

小さい頃、おおよそ9歳か10歳頃だろうか。この病にかかった当初いつもその原因を探していた。心の中で必死に「ヨシ!これが終われば俺はこの意味不明な不快感から解放される」と信じて強迫行為を繰り返していた。

だがいつまで経ってもそれが終わることは無かった。

 

中学になってからも心の中では原因探しをしていたが、ジェフリー・M・シュウォーツ著書「不安でたまらない人たちへ」を読んでから症状にラベルを付けるようになった。そして初めて病院に行ったのは高校の頃(実際にはそのもっと前から親が相談していたらしい)その時神経症のお墨付きを頂いてホッとしたのを覚えている。

その頃は三環系が治療の基本だったのでアナフラニールを当然のように処方されていた。

またこの薬により自分の病状は小康状態へ移行した。その後マラソン大会中に倒れて脳貧血起こして薬を変えたりというようなすったもんだはあったにせよ。一旦は落ち着いていたのだ。これが高校2-3年の頃。普通にアルバイトなどもしていた。

 

しかしこの病気厄介なもんで簡単に再度悪化してしまう。これは就職してから。パキシルの治験に初めて参加したのもこの頃だ。

残念ながら私の症状にはSSRIと名の付く物(パキシル・デプロメール・ルボックス・レクサプロ)は何の効果も無く、この頃になるとそもそもの「モノアミン仮説」について懐疑的になっていた。

この仮説厄介なことに誰も証明していないのだ。あくまで仮説。

製薬会社のイメージ図もただのイメージでしかなく、実際に効果効能を証明した人は誰1人として存在しない。

ここに日本の精神医療の闇がある。

 

欧米などだと腸内環境の正常化が最優先だ!という取り組みを耳にしてヨーグルトやら乳酸菌錠剤やら漢方薬やらありとあらゆるものを試したがやはり効果無し。

 

前置きがすごーく長くなったがこの病気の根源は「死への恐怖」から来ている。

多分間違いない。

 

セロトニンがどうとかハッキリ言って一切関係が無い。

死への恐怖を取り除くことは不可能。つまり諦めるしか無いのだ。

なのでゆるーく発作をかわしながら生きましょうと言う意味でこのブログを書くようになった。

 

しかし鬱の希死念慮とは相反するので自○とかは絶対しないだろうなぁ…

消えてしまいたいと思うことはしょっちゅうなんだが。