締め切りを前に家のことやら雑用ですぎた本日です。
振替日だったのでお弁当でした。
2ヶ月に一回言っている、整体が午後に入っていまして、
そちらに行ったりなんだりで今日はほぼ仕事はできていません。
まああと2日あるのでなんとかしよう!
ところで、整体についてです。
ほとんど読んでる人がいないとはいえ、誤解のないように
書くのが難しいのですが、、、。
今日の整体(りふれ と呼ばれています)
体調は悪くないよ。
活発になってきているけれども、地面から(つまり下半身)の
力が弱くて、バランス悪いので土を歩いてエネルギー充填してね。
いい感じだから!よかったね!
声が治らないのは、声帯がダメになっているのではなくて、
貧血気味で修復に血が回っていないせいなので。
粘膜の症状は、ストレスからだけども、ストレスにどう向き合うか
考えてみてね
とのことでした。
うんうん、自分でもすごく納得でした。
ですけどそのあと、
ここ2ヶ月どうしてた?という話になり、
息子のことを話しました。
一番センセーショナルに感じられるであろう
帰宅中おもらしの話をして、
その流れで教育相談にも行ったんですよとはなしたら、
先生たちの態度が一変。
「それはお母さんとの関係性でしょう。
学校のせいではないでしょう。」
となった。
いやあだから、この流れが、正直大嫌いなんですよね。
全部話を聞かずに、おもらし→教育相談に行った
という順序で間を開けずに話したから、フィーリングで
「絶対あなたは学校の責任にしてるのよ。潜在意識で」と
思い込んで、、、
最後に「逃げちゃダメよ?向き合いなさい」
この言葉がまた、すんごく、ああいやだなと。
で、今回ははっきり言いました。
「言いたいことはわかります。でも、それだけではないんです。
全体のバランスで起きていることで、今回ははっきり言えますが、
わかっています」と
返しました。
正直、はっきり思うんですが、
整体師のひとやカウンセリング、
セラピストの立場の人にこういう話し方をされると、
混乱しますし、
どうしてこの人たちは断言しちゃうんだろう?と。
しかも。
この方、クリスチャンなんですよね。
クリスチャンにもいろいろいますが、自分の場合は、
聖書から導き出されることしか断言はできないし、
はっきり言わねばならない本っ当の局面をのぞけば、
こういうことは相手にしっかり伝わる言葉をなるべく選んで
話すように心がけます
(トーンが弱いのは、本当に自分には完全ということが
ないからです。
だから、はっきり
私たちには罪があるよね。
罪があると神様と離れてしまうんだよ?
罪からの回復は、やっぱり心からのごめんなさい(悔い改め)と
その代償(イエス・キリスト)がどうしても必要なんだ
ということは断言できるけど、
他のことは断言なんてできません。)
まあ、クリスチャン同士のいろんな討論も見ているので、
わからなくはないんです。
こういうことがあっても、彼女のことを嫌いではないし、
信頼していないわけじゃないです。
自分にはない視点で話す人は貴重です。
でも。
勘違いされているところがやっぱりあると思うし、
こっちも正しく理解したくても、フックを見失って
しまってるんじゃないか?と思うことがよくあります。
なんでなんでしょうね?
どういうわけか、
学校の先生と子どものことで話す、となるとなんでこんなに
反対されるというか。。。
子どもとじっくり向き合えば見えてくるはずなのよ、
お母さん。
って言いたいのはわかるけど、
いろんな人と話をしたいんです。
学校のせいにしてるわけじゃないです。
同時に、学校という時間が彼にある以上、影響するものがあって、
環境が変わったわけだから当然そこに関連はあると思っています。
自分の問題も感じているし、
子ども自身の問題も感じているし。
話をしていて、何で息子が困っているんだろ?
学校での様子はわからないので、一応話をしてみよう。
(そうすることで、自分が何に向き合えていないのが見えてくる
かもしれないので)
というだけで、
総スカンです。
そんなにまずいことなんですかね?
おそらく、この方面の方々には、発達障害があるのかも、
グレーゾーンなのかも、と話しても、
「クリエィティブの分野の人だから、それはふつう。
子どもをそういうレッテル貼って扱うのは逃げている」って
言われる気がして、もう話すをのやめようと思いました。
私は可能性の問題を考えているのであって、
なにか問題があっても、どうしたら自分が受け入れられるのか?
そのためにいろいろ考えているわけなんですが。
以前、ワクチン接種の事でも似たような反応がありました。
おそらく、
彼女とは情報の入手の仕方と、コミュニケーションの
方法が私とは著しく違っていて、
そのためにおきる齟齬なのかな?
とか。
一番思うのは、私は私なのだけど、なぜこのかたは、
私に、自分自身と同じ考えや努力を迫ってくるんだろう?
という疑問です。
私だけなのかな?こう感じるのは。
対象をしっかり見よう。
他の人やものは関係ない。
だから、グループでくくって理解したと思うな。
唯一無二の相手と向き合って。
といえば、素晴らしい考え方と思いますよね。
でもね。
これって客観性を失うんですよ。
私にとって、客観性は、コミュをコントロールするための
大切なスコープです。
なんだか彼女は、私からこのスコープを取り上げたいみたいなんですよね。
取りあげてしまえば、私がもっと楽になり、もっと上を目指し、
幸せになれるのよ、、
そんなことを感じます。
俯瞰してものをみるくせを嫌っているのかな。
私は今回は、揺るがされない、と思いました。
私は私で、私として神様と相談して決めます。
教育相談も、勝手に困ってすがって行ったのではないです。
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りふれは、論理的に頭でものをかんがえるだけじゃなく、
体全体からのサインをしっかり感じ取って、自然なバランスで生きる
手助けをしてくれるものです。
他に、保育園の講演会で話されていた
「子どもは育つ力を自分で持っている。それを私たちは邪魔しない」
だから、こどもが外に出ていける環境を作ってあげたい。
という事。
発達障害のためのコーチング術。
西洋医学。
東洋医学。
これそれぞれが、自分たちの考えとそれると全否定して、
反発しあって協力しない。
それぞれに携わる人間が、「もしかしたらこれいいかも」と
取り入れたものをまた混ぜ合わせて改定して、ネオなものが
提示される。
つまり、統合された練られ、精錬されたものを探すのが
とても難しい、、、
これが現状なのではないかと思います。
やっぱり、
そうなると、どんなどんな問題でも、
本当の解決があるのは聖書なんじゃないか、と思います。
(この視点でいくと、当然仏典とかにも重要ヒントはあると思います。
むしろ、現時点ではやっていたり、いいなと感じるだけのものより、
古典のほうが信頼がおける、というのは重要な要素です。
とても重要な。)
原点に帰ろう。
ああ、
すんごい時間無駄にした。
これを1時間も書いている私。
仕事が山積みなのにね。
けれどね、信頼できるなぁ、違った視点でいろんなことに気がつかせて
くれるなあと思う人の発言て、やはり影響力あります。
でも今日は、正直終わった話(たといわたしが潜在的に他人(学校)の責任に
転嫁していたとしても、それは1ヶ月前の話です。改善を話し合い、祈り合い、
実行し始めているのですから。)に、体の状態を重ね合わせて言いすぎた彼女は、
失敗したんだと思っています。
だから私は、現状をうけとめつつこれを書きながら、
彼女の失敗を許せばいいのだと思います。
彼女は、今日、いつもは送ってこないメールを送ってきました。
それも、謝罪はないようについてではなくて、
最後まで話ができなかったので、とありました。
私は、本当に自分は子どもだなと思います。
私が彼女の立場だったら、きっと本当のことをメールに
書いたんじゃないか?と思います。
がっちり「私、間違っていたかも」と謝ったほうが
すっきりするし。
でもこれも、人それぞれなんだなあ。
謝ってすっきりするって上記にありますよね。
結局、しっかり謝る事ができないプライドがある、ということ
ではなく、相手の気持ちを慮って本当のことを書かない選択も
あるんでしょうね。
まあでも、最後に本音をいうと、
むかっときたというより、びっくりしました。
私はやはり空気が読めていないのかなという不安とともに、、、