合同引き取り訓練というものがあって、
大きな地震など災害のときに、学校に子どもを引き取りにいく
という訓練(?)が年に1回あります。
そういえば、防災訓練も今、あるのかな?
今日は、2:30〜3:30の間にこども引き取りをするのですが、
若干遅れた。
引き取り訓練だから、最速で行くべきだったな、、、
雨模様の日だったので、校庭ではなく、
教室での引き取りに。
2年生は、教室が1階なので、
テラス側からお迎え。
教室を覗くと、4名ほどしか残っていませんでした(汗)
今年の担任の先生は、昨年いろいろと問題の多い年で、
保護者に対してもいろいろ気を使われているのを知っていたので、
教育相談室に電話して、予約をとったこと、
学校での生活について取材があると思います、と
伝えておいた。
そのときに、(本来はそういう日ではないので、大変申し訳なかったのですが、、)
学校での様子や、何が問題があるのか?
などなどちょっと伺えました。
ですけども、学校の先生としては、そんなに問題ではないよ、
とのこと。
昨年の担任の先生もそう言ってくれていましたものね。
成長はゆっくりだけども、大丈夫。
集中力がそのうち出てきますよ。
そうなのかも、、、。
自分自身も、10歳でいろいろ変わったので、
そこまで成長を待つ、ということも大切だなと思いました。
それと同時に、自分がかつてとても学校生活で困っていた
(困っていても、私の場合は泣いたり止まったりはしない。から、
親はわからず。)
ことを思い出しており、
そのときに適切な手助けはほぼなかったと記憶していました。
そのことは、今の自分のいろいろな性格の問題に
影響を与えていて、
対外的なことに関しては(対人も含め)かなりいろいろ
自分で工夫することで現在に至っているのですが、
内面に関しては、外部からはおそらくまったく想像ができないくらい
カオスです。
19歳に洗礼を受けてクリスチャンになってから、
かなり開墾・改善をしていて、私自身かなりいい土地にはなって
きましたが、
ときどき深淵が垣間見えると、
まあなんというか、世界には人に知られない不思議な場所がまだ
こんなにたくさん残っている、、、
いやむしろ、人の知る地域というのは、
ごくごく一部なのだなあ、、と自己内世界について思うのですが、
この深淵が厄介な代物なのですよ。
それは普通の人は見ない。
と、私の主人は言います。
人に原罪がある以上、それは私の中だけではなく、
誰の中にもあると。
それと対峙することそのものがレアではないか?
けれども、
幼少期の記憶が、私をこの原点にいつも立たせるものがあり、
これが厄介なのです。
目前の地獄をみながら神を信じ、その掟を喜び、
平安を保つことができる。
これが一番最良の立ち方です。
これが揺らぐと、一転して目の前の敵が恐ろしく見えてきます。
心の平安を保つ。
これこそが生涯目指してきたものですが、
もちろん、聖書のみことばと神の力でしかそれは
得られないものであるのだけども、
幼少期のいろいろがその場所に立つことを邪魔する
ことがあります。
息子には、究極の味方は神様だけなのだけど、
人間だって信じるに値しないわけじゃない。
お互いに弱さを補い合っているんだよ、ということを
しっかりと伝えてあげたいのです。
そのために、今できることをしっかりやりたいのです。
もちろん、成功なんてことはない。むしろ、
子育てに成功も失敗もない。
ただ自分が後悔しないようにできることをすることしか、
やれることがないのです。