古代、
海洋民族が
日本の礎を築いていった事は
書かせていたました。
今回は、
安曇族とズニ族とのことについて
書かせて頂きます。
その前に、
アメリカインディアンと日本語との
共通点を書いていきます。
ペトログラフ(ペトログリフ)研究の
日本での第一人者である
吉田信啓さんの書籍を引用して
書いていきます。
…………
ドン・R・スサミナ氏の
『AMERICA…LAND OF THE RISING SUN』
にはじまる。
著者はサンディエゴに住む
元IBM極東派遣技術団長で、
京セラの役員でもあった。
彼は
「アメリカ・インディアンの言葉を調べると、
日本語と同じ語彙が豊富にある。
例えば
勇者はブシ、草履はワラジ、
入江はイリー、血族はオジオバ、
穴居人はアナサチ(穴幸)、
風はカゼ、山はヤマ、
山桃はヤノモモ、蛇はホビ、
わかってるかはワカンテンカ、
隠れ家はインカ、場所はバ、
海はウミ、水脈はミネ、水はミス、
郷はゴー、野はノ、所はショ、
在るはアル、有りはアリ」
などと
コンピュータ技術の経験を生かして、
日本語とインディアンの言葉を
検索・対照させて
同書をまとめた。
そして、
スサミナ氏はここから
「もともと
アメリカ・インディアンが
使っていた言葉が、
彼らが太平洋を超えて
アジアに向かった時に
日本にも移住したため、
日本語として残ることになったのだ」
と結論づけるが、
これは彼独自のパラドックスであって、
あえて逆の結論を提示したものだ。
というより、
彼の主張するものは
古代・超古代に
世界的な交流があったことであり、
過去は
未開で野蛮な社会という
ステレオタイプな定説への反旗だった。
スサミナ氏が
アメリカ・インディアンの言葉と
日本語の比較を思いついたのは、
日本のペトログラフと
アメリカのそれと同じ、
つまり、
はるかなる古代にも
ペトログラフを持っていたのだから、
その二つの地の住民が
同じ語彙を持つことは
当然ありうるという
発想がもとなのだという。
ここにも
ペトログラフが作用しているのだ。
〜中略〜
スタンフォード大学の
ナンシー・ヤオ・デイヴィス博士の場合は、
カリフォルニア西海岸に住む
ズニ族の言語と語彙に注目した。
※
ズニ族は(ズニぞく、Zuñi)は、
の部族である。
ツニ、ズーニーとも表記される。
1988年にまとめられた
女史の論文
『Enigmas of Zuni(ズニ族の謎)』は、
テキサス大学教授の
ジョージ・カーター博士経由で
私のもとに送られてきたのだが、
スサミナ氏と同視点で
この部族の検証を行なっている。
そして
「ズニ族の言語は
日本語の語彙を豊富に持つ」
ことを明らかにするとともに、
風俗・習慣など
さまざまな面で日本人との共通点を
多くもつことを示す。
さらに
「海神を守護とし、
太平洋の西の国から
遠い時代に渡ってきた」
との伝承から
「海洋部族であり、
少なくとも8世紀には
北米海岸に渡来した」
という。
ちなみに、
デイヴィス博士による
日本語と共通するズニ族の語彙は、
次のようなものが挙げられているが、
九州の筑前や
筑後地方の方言にあるものとの
類似が顕著である。
「烏(からす)はガラス、
成人男子はオセ、母親はオッカ、
にやけ者はニュエ、会食はクエー、
寺はションテラ(小寺)、
脾臓はパリ(怒りのもと)、
神官はシワニ(審神者さにわ)
よたるはヤト、川はカウィナ、森はタ、
道はオナ、雀はツツア、山はヤラ、
辛いはカリー、高くなるはタッシイ(達し)
目覚めるはオキ、言うはイカ、
昔はイノテ、中はアッカ、内はウチ」
これらについて
私はデイヴィス博士に
「ズニは上代の日本の海を
一手に拳握していた
海洋民・安曇(阿曇)族から
ア音が脱落した
ズミから転化したのではないか」
と提言。
〜中略〜
かつては
九州北部を根拠地に、
朝鮮半島の
伽耶かやへの出兵などもし、
いわば巨大な制海権を握っていた
海洋部族が、
大和政権に切り崩されるままに、
むざむざと
屈服したはずもなかろう。
安曇族が祀っていた
志賀島の志賀海神社。
勢力をもがれ、
あるいは
一族皆殺しの運命に甘んじるよりはと
持ち前の海洋民の力に
ものをいわせて、
その一族は
新天地を求めて太平洋を渡ったことは
充分に考えられる。
その結果が
カリフォルニア西海岸の
アズミ族(ズニ族)となったと
私は思っている。
吉田信啓さんの
書籍、雑誌記事より引用。
吉田 信啓
日本の考古学者、元教員、元コラムニスト。
ペトログラフ研究の第一人者であり、
日本ペトログラフ協会の会長。
日本にやって来た
海洋民族について