社伝によると創建は神武天皇1年、紀元前660年。
平安時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだった。
神の使いとされる鹿の親子🦌
11月の激寒の中、小雨降ってたけど
鹿島神宮に着いた途端に止んだ…
東京ドーム15個分の鹿島神宮境内散策
ゼロ磁場で一番有名な場所は長野県にある分杭峠です。
分杭峠は標高1424Mの山奥に存在しており、癒しを求めて全国から訪れる人も多いようです。
ゼロ磁場は他にも長野県の諏訪大社、愛知県にある豊川稲荷、三重県の伊勢神宮、和歌山県にある高野山などがあります。
都心からでも日帰りで気軽に行けるゼロ磁場は、ここ茨城県の鹿嶋神宮と、千葉県の香取神宮です。
ゼロ磁場で結婚式
手水舎で清めて
日本三大塔門一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。
寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。
『鹿嶋社楼門再興次第記』によれば、三代将軍家光公の病気平癒を頼房卿が大宮司則広に依頼し、家光公が快方に向かった為に奉納されたとあり、浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組み、船筏で運んで組み立てました。
昭和15年の大修理の際丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。
左と
右に
この高い木に囲まれた神宮には
何か気を感じる
ここは何かのパワースポットなのか?
この近くにあるのが御神木
鹿島神宮の森で最も古く、最も大きい木がこのご神木です。高さ約40メートルに及ぶ杉で、樹齢は約1,300年を数えます。
本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。
本殿は参道から見て一番奥にある三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。
拝殿は手前に見える建物で、正式参拝や結婚式の際にお上がりいただくことができます。
盆栽のような柿の木に実がなってる
ちょうど結婚式が
白無垢が映える
結婚式の最中に参拝
奥参道へ
なんだかピーンと張った空気
マイナスイオンとゼロ磁場の空気
コレがさざれ石
君が代です
国譲り神話において、鹿の神である天迦久神が、天照大御神の命を武甕槌大神に伝える重要な役割を担ったことから、現在でも鹿が神の使いとして大切にされています。また、奈良に春日大社を創建する際も、鹿島の神様の御分霊を鹿の背中に乗せてお遷ししたと伝わり、その道中には江戸川区「鹿骨」など鹿に関する地名が今も残っています。
どうしてこんなに高い木が
真っ直ぐに生えないんだろ?
現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。
奥宮
スゴい角度の屋根が美しい
ゼロ磁場の場所の多くは「イヤシロチ」であるともいわれ、イヤシロチはたいてい豊富な湧水が沸いていることで知られています。
御手洗池は、鹿島神宮内にある美しい池で、ゼ口磁場のエネルギーを感じる場所とされています。
この池から湧き出る水は豊富で、その清らかなエネルギーが人々を包み込みます。
湧水だからかめちゃ透明
池の上に鳥居⛩️
まるで浮いてるかのような鯉
1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。
昔は参拝する前にここで禊をしました。
現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。
ここで湧水飲めるけどピロリ気をつけてね
武甕槌大神の石像
この先に要石
奥宮に向かって300m程伸びる奥参道は鬱蒼とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
『要石』
水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。
要石は古代から祭祀の場として重要視されてきました。
鹿島大神(タケミカヅチ)がこの地に降り立ったとされる磐座であり、そのエネルギーが強く感じられる場所です。
古代より「鹿島動石」としても知られ、地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。
鹿島神宮ではこの要石が本堂と並びもっとも強いゼロ磁場だと言われています。
斜めに生える木
盆栽展がやってた
お見事
柿の木か
どれもスゴいのが何となく分かる