松材が多く使用され松煙色(黒色)となっているため、黒門ともいわれています。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。
モミジと新緑のコントラスト
HPより
好文亭の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事
「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」
により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。
二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。
好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。
靴を脱いでビニール袋に入れて回ります
直線的な回廊
外からは窓であることが判らないように工夫されている。
180年も前から徳川斉昭がここで同じ風景を見ながら
悠々としていたかと思うと…