Château Margaux
シャトー・マルゴーは、ジロンド県の県庁所在地ボルドーの北方、メドック地区マルゴー村にある。
マルゴー村はガロンヌ川河口部エスチュアリーの左岸に位置するワイン生産の好適地である。
同名のワイン銘柄「シャトー・マルゴー」は、世界で最も高い名声を有する赤ワインの一つである。
メドック地区の4つの第1級格付け銘柄の1つであり、10年から数十年の熟成に耐え、良質なヴィンテージのものは高値で取り引きされる。
シャトー・マルゴーの年間の生産量は約35万本である。
第1級の名声に達しないと判断された赤ワインはセカンドラベルの「パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー」として販売される。
セカンドにも満たないと判断された赤ワインが「マルゴー」の名称(AOCで言う村名マルゴー。他のシャトー産のワインにも、該当する地域のもので同様にマルゴーの名称で販売されているものもある)で販売されることもある。
シャトー・マルゴーは、かつてはカベルネ・ソーヴィニヨン75パーセントを主体に、メルロー20パーセント、プティ・ヴェルドとカベルネ・フラン5パーセントを基本的なブレンドの比率としていた。
だが2000年前後からやや傾向が変わり、カベルネ・ソーヴィニヨンの比率を83パーセントから86パーセントまで引き上げ、代わりにメルローの比率を落としている。
シャトー・マルゴーを愛好した人物としては、デュ・バリー夫人、共産主義思想家のフリードリヒ・エンゲルス、作家のアーネスト・ヘミングウェイなどが知られている。
エンゲルスは「あなたにとっての幸せは」と聞かれ「シャトー・マルゴー1848年」と答えたという。
ヘミングウェイはシャトーにしばしば滞在し、孫娘が生まれると「シャトー・マルゴーのように女性らしく魅力的に育つように」と願って「マーゴ(マルゴーの英語読み)」の名を贈ったほどであった。
願いは叶い、女の子は魅力的な女性へと成長した。
若くして亡くなった映画女優マーゴ・ヘミングウェイその人である。
日本でシャトー・マルゴーが一般にも広く知られることになったきっかけは、渡辺淳一の小説『失楽園』であろう。
ラストシーンで主人公と不倫相手とが心中する時に毒薬を入れて飲んだのがシャトー・マルゴーだったのである。
小説が映画化されてブームになると、ワインをよく知らない人たちが、マルゴー村の普通のワインをシャトー・マルゴーと間違えて「これで心中したんだ」などと悦に入っていたこともあったとか。
wikiより
あの5大シャトーの一つ、シャトー・マルゴー1967、46歳です。
ほぼ同学年なんで、まだ元気に生きているのか、もう老いぼれているのか。
1967年はボルドー地区は悪い年なので、さらに不安です。
ラベルにもカビの様な汚れがまた時代を感じさせ、いい経年変化をしています。
シャトー・マルゴーのラベルの絵はここのシャトーです。
2000年にボルドー回った時に見てきましたから、感慨深いものがあります。
これがその実物。
この中で作られているんです。
キャップにもこのトレードマーク。
さらにその下にもこのシャトーのトレードマークが描かれています。
キャップを開けるとやはり激しいカビが。
これはオールドヴィンテージにはよくある事ですが、やっぱりちと心配です。
コルクはもう柔らかくて、シャトーラギュオールで抜栓するのにも相当気を遣ったのだが、やっぱり最後の部分が抜き取れなかった。
無念…
リーデルのグラスに注いだ46年前の赤ワインは、当然褐色を帯びたオレンジ気味のオールドヴィンテージ独特な色。
香りはもう強くはないですが、まだまだあのマルゴーのエレガントな香りがほんのり残っています。
最初はオレンジ色だったのですが、残り1/4からは濁ったオレンジに。
澱がまだまだ沈みきっていなかったんですね。
味はもう強さは無いですが、まろやかで舌触りもまなめらかで、いわゆる女性的なと表現される味も残ってました。
こんなに長い間、眠ってきたワインがまだまだ元気に生きているのを感じると、僕もまだ頑張れるなって勇気づけられますね。
ちょっと感動すら覚えます。
ちなみに、
1967年はボルドーにおいては決して恵まれたビンテージではない。
このヴィンテージの出来をワイン評論家は「1967-1974年に試したときには軽さ、魅力、果実味があったが、1978年には薄っぺらになり、果実味がなくなってきた。
1991年には混乱しきっていた。
今や、1967年のマルゴーはとうに盛りを過ぎている。」と評しました。
パーカーポイント:67点
でも、良いんです。
まだある程度美味しく飲めたっていう事が、同年代の僕らだからこそ楽しめるワインなんです…
ちなみにこちらは僕のバースデーヴィンテージ、1963年。
これ飲んだ時には涙がこぼれた…
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