自家用車が到着してから、旦那さんの通勤(家から車で
5分ほど)はタクシーではなく、私が送り迎えをしている。
朝昼晩と一日に4往復、自宅と旦那さんの職場を車で行き来している。


港町よろしくコンテナを積んだトラックがたくさん走っている


まだまだ発展途上のナカラ、自宅の前は舗装されていないうえに
排水システムが整備されていないので、雨が降ると道路の土が流出し、即座に川と化す。そして
その後、雨水によってえぐられた
道路は灼熱の太陽により、
カラッカラに乾き固まる。

雨季はその繰り返しなので、自宅前の道路はデッコボコ
だ。
まさにオフロード、毎日がクロスカントリーの気分である。


もはや道路の真ん中は走れない


しかし自宅から一本先の上町商店街は現在ブロック敷きの舗装工事が
進んでおり、どうにか自宅前の道路も舗装してほしいと願うばかり。

さてそのように着実に港町としての発展が進んでいるナカラだが、
かつての先住民たちにはライオンやヒョウなどの猛獣や毒蛇、蚊などの
存在による無数の困難が、少しの寛容さもなく襲いかかっていた土地である。

歴史家たちによると、先住民たちはそれらの多様性の前で互いに
n’ nakala?」と尋ね合っていたそうだ。「n’ nakala」とは、
モザンビーク北部で使用されているバントゥー諸語のマクワ語の表現で、
「我々は生き延びることができるだろうか?」という意味。

さらに時を経て
1914年頃にはポルトガル植民者のナカラへ入植により、
先住民たちは侵入者の存在による恐怖ですっかり怯えきってしまったそうだ。
先住民たちは攻撃的に絶え間なく、そして再度互いに
n’ nakala?(我々は生き延びることができるだろうか?)」
と尋ね合ったと言われている。

こうしてポルトガル人たちは、現在のこの土地を
「ナカラ」と名づけることになったのである。

そして現在、ブラジルをはじめポルトガルや中国、日本など
外国からの開発や投資が活発に行われ、町は急速に発展して
いるように見えるのだが、ナカラの人たちが本当の意味で
再度生き残る歴史が繰り返されることを願ってやまない。

それよりも、自宅前が早々に舗装されることをより強く願わずにはいられない。