現在2012年、
モザンビークの内戦が終わったのが今から20年前の1992年、
その内戦が始まったのがそのさらに15年前の1977年、
ポルトガルの植民が終わったのがその2年前の1975年、
その植民が始まったのがその約350年前の16世紀初頭、
そのきっかけとなるポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが
喜望峰を越えてこの地にやってきたのが1498年。
と、当たり前だが日本とは違った歴史を持つ、モザンビーク。
十代の頃に植民地時代を生きてきた人から、たまたま少し話を聞いた。
彼女の半生を聞きながら、それはもちろん推測の域を超えられず、
物質的に豊かな日本で何不自由なく暮らしてきた私は、
到底同じ気持ちにはなり得ないのだが、
彼女が自分のことを話してくれて、同じ女性として
それがどれだけのことだったか、話を聞きながら思いを巡らせた。
植民地時代が終わりを迎え、喜びに満ちていたかと思ったが、
ポルトガルが、ポルトガル人が築いたシステムはそのままに去り、
すべてを残ったモザンビーク人のみで続けていかなければならず、
それはもう右も左も分からない中で、すべてが手探りだった17歳のとき。
そしてその2年後には内戦が勃発、その後15年間の戦争状態が続いた。
そんな中、3人の息子を育て上げ、自分も要職に就いている彼女は
その環境からか、たくましい。50代後半だと思われる彼女は
公社のナショナルダイレクターを数十年も勤めていた。
今度は若い世代に自分の経験などを共有し、彼らが活躍する番だと言っていた。
西洋文化の影響か、この国では女性だから要職に
就きづらいということはなく、どこに行っても
男性と同じように働いている。
自分の持っている文化、歴史、慣習とは異なるそれを、直で感じて学ぶことは、
同じところや違うところがあって、驚きや面白さもあるけれど、
辛い気持ちや悔しい気持ち、憤りなどを感じることもある。
けれど、自分の目で見て、耳で聞いて、全身で感じることは、
それらすべてをひっくるめても、やはりずっとしていきたいなァと思う。
