総講頭罷免――すべてはここから始まった
創価学会と日蓮正宗の関係が決定的に崩壊した出来事として、多くの人は1991年11月28日の「破門」を思い浮かべるだろう。
しかし、実際には、その約1年前から宗門と学会の対立はすでに後戻りできない局面へ入っていた。
その象徴ともいえる出来事が、1990年12月27日に行われた池田大作名誉会長の総講頭罷免である。
私は当時、創価学会員として活動していた。
正確に言えば、まだ入会して間もない時期だった。
そのため、当時の私は宗門と学会の歴史的な関係や、その背景にある問題を深く理解していたわけではない。
新聞でこの出来事を読んだ時も、最初の印象は「宗門内部における役職上の処分」という程度のものだった。
もちろん、穏やかな出来事ではないことは感じていた。
しかし、それが後に、日本でも有数の規模を持つ信徒団体と宗派そのものの決裂につながるとは、その時の私は想像もしていなかった。
ところが、その認識は会館へ足を運んだ瞬間に変わった。
いつも笑顔で冗談を言い、明るい雰囲気を作っていた区男子部長が、その日は明らかに違っていた。
表情は硬い。
言葉も少ない。
会館全体に、いつもとは違う重い空気が流れていた。
「これは、ただ事ではない」
その姿を見ただけで、私は初めて、この出来事が学会内部にとってどれほど重大な意味を持っているのかを感じ取ったのである。
総講頭とは何だったのか
当時の創価学会は、現在のように独立した宗教団体ではなく、正式には日蓮正宗の信徒団体であった。
日蓮正宗という宗派があり、その中に創価学会という巨大な信徒組織が存在していた。
総講頭とは、日蓮正宗の信徒組織を代表する立場であり、当時の創価学会会長であった池田大作氏がその任に就いていた。
そのため、総講頭という立場を解かれることは、単なる役職変更ではなかった。
創価学会員にとっては、自分たちの指導者である池田氏が宗門から厳しい処分を受けたという意味を持つ、極めて大きな出来事だった。
外部から見れば、宗派内の人事。
しかし、学会内部では、自分たちの存在や信仰のあり方そのものに関わる問題として受け止められていたのである。
宗門と学会、それぞれの主張
日蓮正宗側は、池田氏や創価学会が宗門の権威や法主の立場を軽視し、宗門の秩序を乱したことなどを理由として、総講頭を罷免した。
一方、創価学会側は、この処分を宗門による不当な弾圧であり、巨大化した学会を抑え込もうとする動きであると受け止めた。
双方の主張は大きく食い違った。
そして、その溝が埋まることはなかった。
当時の一般会員である私たちには、双方の資料を比較し、冷静に判断する環境はほとんどなかった。
宗門側の情報は宗門から。
学会側の情報は学会から。
それぞれが、それぞれの立場から「自分たちが正しい」という説明を行っていた。
私たちは、その中で与えられた情報をもとに判断するしかなかったのである。
現場に広がった空気
私が今でも鮮明に覚えているのは、組織全体の空気が変わったことである。
それ以前から、宗門との関係が悪化しているという話は耳に入っていた。
しかし、総講頭罷免を境に、その緊張感は明らかに増した。
「先生を守れ」
「宗門に負けるな」
「これからが本当の戦いだ」
そうした言葉が、組織の中で自然に語られるようになった。
会合の雰囲気も、それまでとは違った。
明るさの中にも緊張感があり、「戦い」という言葉が頻繁に使われるようになった。
当時の私は、何が正確な事実なのかをすべて理解していたわけではない。
ただ、大きな出来事が起きていることだけは感じていた。
しかし、今振り返れば、そこには大きな問題もあったように思う。
それは、双方が自分たちの立場からのみ情報を発信し、相手の立場を理解しようとする余地が失われていったことである。
双方が「正義は自分たちにある」と考えれば、対話は難しくなる。
そして、対話が失われた時、対立はさらに深まっていく。
「正義」と「正義」がぶつかった時
私は現在でも考える。
もし双方が、「自分たちにも改善すべき点があったのではないか」という姿勢で向き合うことができていたなら、違う未来もあったのではないか。
もちろん、現実にはそこまで対立が深まった後では、簡単な話ではなかっただろう。
しかし、双方が一歩も譲らず、「正義は我にあり」と主張し続ければ、最後に残る道は限られている。
それは決別である。
歩み寄る努力を失った時、同じ道を歩き続けることは困難になる。
歴史を振り返る時、総講頭罷免は、まさにその大きな分岐点だったのだと思う。
破門への序章
その後、宗門と学会の対立はさらに深まり、約11か月後の1991年11月28日、創価学会は日蓮正宗から破門されることになる。
一般的には「破門」の方が有名である。
しかし、その前段階として、宗門と学会の関係を決定的に変えた出来事が総講頭罷免だった。
新聞では淡々と報じられた一つの処分。
しかし、学会内部では、それは歴史の流れを変える出来事として受け止められていた。
私は、その両方を見た一人である。
私が見てきた歴史
私は、この出来事を外側から眺めていたわけではない。
創価学会員として、その渦中にいた。
だからこそ、年月が経った今、改めて当時を振り返ると、いくつもの疑問が浮かんでくる。
私は後に、宗門信徒側の団体の人たちと議論をしたこともある。
正確には、議論というより、お互いの主張をぶつけ合うような形だったが(笑)。
しかし、冷静に考えてみれば、信徒団体が宗派本体と大きく対立するという構図は、非常に特殊な出来事だった。
それだけ創価学会という組織は巨大であり、独自性を持っていた。
そして、宗門との結び付きが深かったからこそ、決裂した時の衝撃も大きかったのである。
後年、池田氏の発言や当時の資料を読み返す中で、私はこの問題の本当の核心は何だったのかを考えるようになった。
表面上の問題は、総講頭罷免であり、破門である。
しかし、その奥には、
宗教とは何か。
信徒団体とは何か。
権威とは何か。
人は何のために信仰するのか。
という、より大きな問いが存在していたように思う。
そして、年月を経て少し距離を置いて創価学会を見るようになった時、私は一つのことを考えるようになった。
池田氏が一貫して語っていた「人間主義」という考え方。
そこに立ち返るならば、そもそも信仰とは何のために存在するのか、その答えが見えてくるような気がするのである。
歴史とは、勝者だけが語るものではない。
その時代を生き、その場で感じた一人一人の記憶の中にも、歴史の断片は残っている。
私は、その一人として、この出来事を書き残しておきたい。
