フード左翼とフード右翼(朝日新聞出版)
- フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人 (朝日新書)/朝日新聞出版
- ¥798
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日本人を食の嗜好から大胆に二分している(実際には中身を見ると四象限に分類しているが)。
フード左翼とは、どちらかというと自然食を好む層。比較的、食に金と時間をかける。
フード右翼とは、どちらかというとジャンクフードを好む層。比較亭、色に金と時間をかけない。
この二つの層に日本人は分かれており、それぞれの層で食だけではなく、政治思想が異なるという主張。
内容については賛否あろう。
食と政治の関係性に興味がある人にはおすすめする。過去(特に1990年代)からの経緯も丁寧に記述してあるので、食文化の変遷を社会の変化の観点から考えたい人には面白いと思う。
ただ、それ以外の人には必ずしもおすすめしない。
タイトルがキャッチ―でマスっぽい割には、そういう意外とターゲットの狭い本だと思う。
さて、この本については、内容ではなく、この大胆な二分という試みについて経営コンサルタント視点で考えてみたい。
経営コンサルタントも「〇〇〇は三つ」とか幾つかに単純化して分類してしゃべることはよくある。
(経営コンサルタントは、この本のように二つに分類するよりも、なぜか三つに分類することが多い。または四象限にして四つか)
この分類するということの効用はなんであろうか。
それは、認知限界を補うことである。
あらゆるものは個性があってユニークな存在なのであるという主張は得てして正しい。ただ、そうであれば、その一つ一つのユニークさを理解したり、そのユニークさに応じてテーラーメードの議論をしなくてはならず、それは人間の認知の限界を超えている。
そこで、複雑で一つ一つがユニークなものの中で、類型を見出し、それにラベルを張ることで、人は認知限界を補い、理解や議論を可能にしている。
では、分類は常によいものかといえば、そうではない。
分類することで犠牲にしているものはなんであろうか。
それは、固定観念をつくってしまうことである。いわゆる「レッテルを張る」というやつである。このレッテルを張る状態になってしまうと、なんでも先入観をもって理解してしまい、その先入観がおかしいときには物事を誤解してしまうのである。
フード左翼とフード右翼も面白い分類である。ただ、そればかりに気をとられ、他の分類の仕方も柔軟に使いこなさなくては固定観念で物事をみて、物事を誤解してしまうことになる。これは、分類を使う側が理解しておかなくてはいけないことである。